東京科学大学(科学大)は10月8日、大規模量子コンピュータの実現に不可欠な「量子誤り訂正技術」において、理論上の性能限界に極めて近い効果を持ちながら、高速訂正する手法を発見したと発表した。

同成果は、科学大 工学院 情報通信系の河本大輝大学院生(研究当時)、同・笠井健太准教授の研究チームによるもの。詳細は、英科学誌「Nature」系の量子情報を扱う学術誌「npj Quantum Information」に掲載された。

量子コンピュータ実用化に不可欠な「高精度化」に貢献

実用的な量子アプリケーションの多くは、数百万個以上の信頼性の高い論理量子ビットを必要とするため、大規模かつ効率的な量子誤り訂正技術の確立が強く求められている。大規模化を妨げる最大の要因は、装置の安定性や制御技術に関わる工学的課題にある。具体的には、量子ビットのコヒーレンス時間の短さ、ゲート操作や測定における誤り率の高さ、量子ビット間の相互作用範囲の制約、さらには大規模集積化や冷却などに伴う技術的困難などである。これらの課題は、いずれも大規模な論理量子ビットを構築する上で本質的な制約となっている。

とはいえ、装置の制約を取り除いた理想的な符号理論の枠組みに限定したとしても、量子誤り訂正符号の設計には未解決の課題が残されていた。代表的なものとして、符号化率の低さ、鋭いしきい値現象の不足による性能改善の限界、エラーフロアによる高信頼領域での性能劣化、量子誤り訂正性能のベンチマークである「ハッシング限界」(量子通信路を通じてエラーなしに伝送できる量子情報の理論上の最大量(量子容量)の下限値)までの大きな隔たり、そして「ビリーフプロパゲーション復号」(符号の制約を利用して誤りを確率的に推定する手法)の後に必要となる高コストな後処理の存在などが挙げられる。

量子誤り訂正は大規模化するほど理論的には性能が向上することがわかっているが、これまで大規模化のメリットを真に活かせる「量子Low-Density Parity-Check(LDPC)符号」(今回の研究では、CSS構成に基づき疎なパリティ検査行列を持つ量子符号のこと)は発見されていない。

その一方で、古典情報理論の分野では、LDPC符号の登場以来、通信路容量に迫る効率的な誤り訂正が実現されてきた。実際、LDPC符号は第5世代(5G)移動通信システムに採用され、大規模符号化が社会インフラの基盤を支えるに至っている。こうした経緯を踏まえ、研究チームは今回、量子LDPC符号を古典LDPC符号の成熟度の水準に引き上げることを目指したという。

今回の研究では、これまで困難とされてきた大規模な量子誤り訂正を現実的に可能にする新しい量子LDPC符号が提案され、その性能が大規模シミュレーションによって実証された。具体的には、「アフィン置換」(整数を乗算と加算の組み合わせで入れ替える手法)を用いた新しい構成法を採用。それにより、復号性能を低下させる要因である短い閉路を符号構造から排除し、フレーム誤り率が10-4(1万分の1)に至るまでエラーフロアの抑制が実現された。加えて、「ビット反転誤り」と「位相反転誤り」を同時に扱う復号アルゴリズムを導入し、従来法では到達できなかったハッシング限界に迫る高い性能が実現されたとした。

  • 物理誤り率とフレーム誤り率のグラフ

    横軸がノイズレベル(物理誤り率)で、縦軸はフレーム誤り率。物理量子ビット数nはn=8LPで、最大で数十万量子ビットとなる。今回の手法は、符号化率50%、60%、75%の3種類の復号性能曲線がプロットされている。Lは8から16までの値を取る。物理量子ビット数が増加するにつれてフレーム誤り率が急峻に減少するスケーラビリティが確認された。これは、従来の量子LDPC符号では実現が困難な現象だ。従来の最良復号(グレー)を凌駕し、各符号化率で対応するハッシング限界に迫る性能を持つことがわかる。さらに、従来符号では得られなかったエラーフロアが、フレーム誤り率10-4までは発生していないことがわかる(出所:科学大プレスリリースPDF)

  • 量子LDPC符号のビリーフプロパゲーション復号のためのファクターグラフ

    量子LDPC符号のビリーフプロパゲーション復号のためのファクターグラフ。中央配置の3列のノードは、ビット反転誤り、位相反転誤り、そして両者の相関を表す。左右両端の四角いノードは、誤りの部分的な情報である「シンドローム」を表す。ビリーフプロパゲーション復号では、これらのノード間で確率情報を繰り返し伝搬させ、ビット反転誤りと位相反転誤りを同時に訂正する(出所:科学大プレスリリースPDF)

今回考案された新しい量子LDPC符号の大きな特徴は、以下の3点に集約される。第一に、大規模化するほど復号性能が向上するスケーラビリティを備えていること。第二に、復号計算量が物理量子ビットの数に比例するだけの効率性を持つこと。そして第三に、数十万ビット規模の大きな符号においても極めて高い信頼性を確保できることである。その結果、量子LDPC符号において従来は不可能とされてきたハッシング限界近傍での高効率誤り訂正が実現された。

  • 物理誤り率と符号化率のグラフ

    横軸がノイズレベル(物理誤り率)、縦軸は符号化率。フレーム誤り率10-4を達成した物理誤り率と符号化率のペアがプロットされている。曲線はハッシング限界を表す。従来法の結果(白点)はハッシング限界から大きく乖離しているが、今回の手法の結果(黒点)は接近していることがわかる(出所:科学大プレスリリースPDF)

今回の研究成果は、将来の量子コンピュータに欠かせない「信頼性の高い誤り訂正技術」の実現に大きく貢献するものとする。大規模な量子計算を可能にすることで、シミュレーション、新素材開発、最適化問題の解決、暗号解析など、社会的に重要な応用が現実味を帯びてくる。今回、ハッシング限界に近い高い性能が示され、量子誤り訂正の実用化が一段と現実的となり、量子誤り耐性型量子コンピュータの実現に向けた道筋が具体的に見えてきたとした。

研究チームは今後、さらなるエラーの低減に向けて、縮退誤りの扱いや後処理技術の高度化を進める予定とする。加えて、これまで古典符号理論で発見されたアイデアを使って、より厳しいノイズも訂正できる比較的低い符号化率のスケーラブルな符号の設計も目指す方針とした。さらに長期的には、量子誤り訂正の理論とハードウェア設計を橋渡しすることで、大規模量子計算の実現に向けた道筋を提示する考えだとしている。