国立科学博物館(科博)らでつくる共同研究チームは、昆虫を誘引し花粉を運ばせるために腐敗臭を放つ「腐肉擬態花」が、主要な悪臭成分「ジメチルジスルフィド」(DMDS)を生み出すメカニズムを解明し、その機能の獲得がわずかなアミノ酸置換によってもたらされたことを実証したと、5月9日に共同発表した。
同成果は、科博 植物研究部・筑波実験植物園の奥山雄大研究主幹(東大大学院 理学系研究科 准教授兼任)、国立遺伝学研究所(遺伝研)、昭和医科大学、長野県環境保全研究所、宮崎大学、東北大学、ライフサイエンス統合データベースセンター、龍谷大学、慶應大学らの共同研究チームによるもの。詳細は、米科学誌「Science」に掲載された。
腐肉擬態花の進化、特に悪臭成分DMDSが生成される仕組みは不明な点が多かった。研究チームは、多様な種を持つ「カンアオイ属」の植物で、腐肉擬態花の性質を持ちながらもDMDSを花から放出する種としない種が存在することに着目。この事実は、悪臭を放つ花の進化が繰り返し起こったことを示唆する。そこで今回の研究では、それらの種間比較を通じて、花が悪臭を生み出す仕組みの解明を試みることにしたという。
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今回の研究で解明された、悪臭花の悪臭成分DMDSの生合成経路。これまで、DMDSはメタンチオールが酵素反応を経ずに酸化して生じると考えられてきたが、この反応を担う酵素DSSが発見された
(出所:共同ニュースリリースPDF)
DMDSはアミノ酸「メチオニン」由来とされてきたが、未実証だった。そこでカンアオイの花にメチオニンを供給したところ、DMDSへの変換と放出が確認された。さらに、花の粗抽出液からメチオニン由来のDMDS生合成を担う強い酵素活性が検出された。この酵素活性はDMDSを放出する種にのみ顕著なことから、DMDS放出の有無が花に含まれる酵素活性の違いに起因することが示唆された。
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(左)カンアオイの花にメチオニン水溶液を与える実験の様子。(右)花から放出されるDMDSのマススペクトル。下段のマススペクトルには、未処理の花にはほとんど見られない80、95、96といった質量数のシグナル(赤数字)が存在することから、花に吸わせたメチオニン(13C標識されたもの)がDMDSに変換されたことが明らかになった
(出所:共同ニュースリリースPDF)
次に、系統関係を考慮し、DMDSを放出する種としない種の30系統(26種)のカンアオイの花について、全遺伝子発現プロファイルの比較解析が行われた。その結果、DMDS放出量と強く相関する遺伝子を絞り込み、硫黄代謝に関わる2つの遺伝子、「メチオニンガンマリアーゼ」(MGL)と「セレン結合タンパク質」(SBP)が同定された。
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カンアオイのリビングコレクション30系統の系統関係と、それぞれの花から放出されるDMDSの量およびMGL・SBP両遺伝子の発現量の関係。系統関係を補正した解析により、両遺伝子の発現量とDMDSの量には強い相関があることが判明した
(出所:共同ニュースリリースPDF)
続いて、MGLとSBPのDMDS生合成への関与を調べるため、両遺伝子を大腸菌で発現させ、組換えタンパク質の酵素機能が検証された。すると、MGLはメチオニンを「メタンチオール」に変換することが判明。しかし、従来の知見に反し、MGL単独の反応ではDMDSがほとんど生成されないことがわかったという。このことは、メタンチオールからDMDSへの変換に別の酵素反応が関与することが示唆されているとした。そこでSBPの酵素機能を調べた結果、メタンチオールをDMDSに変換する新規酵素活性が発見され、「ジスルフィドシンターゼ」(DSS)と命名された。
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カンアオイ属由来のMGLとSBPをメチオニンと反応させた生成物のガスクロマトグラム。メチオニンを基質とした場合、MGL単独ではメタンチオールを生じる一方でDMDSはほとんど生じないが、SBP1はメタンチオールからDMDSを生成する。SBP2にはDMDSを生成する活性は見られず、別の実験からMTOXとして働くことが確認された
(出所:共同ニュースリリースPDF)
SBPの相同酵素は動物やバクテリアでは、「メタンチオールオキシダーゼ」(MTOX)として知られ、メタンチオールを硫化水素と過酸化水素に分解するが、植物での機能は不明だった。詳細な解析の結果、カンアオイのSBPはSBP1〜3の3サブタイプに分かれ、SBP2のみがMTOXとして機能し、SBP1はDSS活性を持つもののMTOX機能は有さず、SBP3の機能は未解明だった。
さらに、カンアオイのDSS(SBP1)の起源解明に向け、幅広い陸上植物のSBP相同遺伝子をクローニングし、その酵素機能が網羅的に調べられた。その結果、MTOX機能が陸上植物全体で高度に保存されていることが確認された。また、陸上植物とカンアオイ属のSBPの分子系統解析から、カンアオイ属においてはSBP2(MTOX)が祖先的であり、そこからSBP1(DSS)が派生したと判明した。
また、系統解析により推定復元されたカンアオイ属SBP1の祖先配列Yとその直近の祖先配列Xを人工的に再構築し、酵素機能と配列が比較された。すると、わずか5アミノ酸の差異でMTOXからDSSへの機能転換が起きていることが突き止められた。この発見は、MTOXからDSSへの機能転換が比較的容易な形質進化であることを示唆し、腐肉擬態花が被子植物の多くの系統で繰り返し進化した要因の1つである可能性を強く示唆するという。
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陸上植物におけるSBP遺伝子の分子系統樹と、その遺伝子産物の酵素機能。この結果から、ピンク色の矢印の箇所で独立に遺伝子重複が起き、DSS機能が獲得されていることが明らかにされた。またカンアオイ属においては祖先配列XとYを人工的に遺伝子合成し、わずか5アミノ酸の違いしかないその遺伝子産物の間で、酵素機能の変化が起きたことも実証した
(出所:共同ニュースリリースPDF)
カンアオイ属以外でDMDSを放出する臭い花の代表として、「ショクダイオオコンニャク」(サトイモ科)、「ザゼンソウ」(サトイモ科)、「ヒサカキ」(モッコク科)も調査した結果、ザゼンソウとヒサカキにおいても、カンアオイ属と同様にMGLとSBPの両方の働きでDMDSが生合成されていることが確認された。
ザゼンソウ、ヒサカキにおいても、それぞれDSSとMTOX機能を持つ2つのSBPサブタイプが存在することが突き止められた。そこで、分子系統樹を用いたタンパク質配列の収斂進化検出解析法を適用し、カンアオイ属、ザゼンソウ属、ヒサカキ属のSBP間の分子収斂進化が探索された。すると、4つのアミノ酸座位において、この3植物群で共通したアミノ酸置換が起きていることが明らかにされた。
この結果をもとに、これら3植物群のDSSとMTOXをコードするSBPサブタイプ間で、特定アミノ酸座位の入れ替え配列を人工的に作成し、酵素機能が検証された。その結果、このうち2〜3のアミノ酸置換でDSSとMTOXの機能が入れ替わることが確認された。
このことは、SBP遺伝子の祖先的な機能であるMTOXをDSSへとの適応進化が、この少数のアミノ酸置換のみに起因することを示唆するものだ。しかも、まったく異なる3植物系統で独自に同じ機構でDSSが獲得され、進化したことも明らかになった。つまり、臭い花への進化の道筋は限られており、独自に悪臭を進化させた3植物群は、まったく同じプロセスを経て同じ機能の酵素を獲得したのである。今回の研究成果は、顕著な分子収斂進化による新規機能獲得の明白な一例を示したとする。
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トクノシマカンアオイ由来のSBP1とSBP2の3アミノ酸座位を入れ替えると、酵素機能が逆転。右は、酢酸鉛試験紙によるMTOX機能による生成物(硫化水素)の検出結果
(出所:共同ニュースリリースPDF)
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トクノシマカンアオイ、ヒサカキ、カンアオイそれぞれのSBPサブタイプの2〜3個のアミノ酸を入れ替えた実験結果。これらの入れ替えだけでMTOX機能は失われ、DSS機能が獲得されることがわかった(それぞれの条件で2回ずつ実験した結果が図示されている)
(出所:共同ニュースリリースPDF)
なお、腐肉がDMDSを放出する仕組み、つまりバクテリアによる動物性タンパク質分解を介したDMDS生成機構は未解明。SBPが関与しないDMDS生合成機構も存在するという。研究チームは今後、DMDSを放出する多様な生物を比較解析し、生物が悪臭を生み出す機構の全貌解明をめざす。
また、腐肉擬態花以外の昆虫をあざむく擬態花は多様で、通常の植物にはない特殊な香り成分を放つことが知られている。研究チームは今後、今回と同様の手法でこれらも研究し、重点的に研究される「モデル植物」では困難な、特殊な生命現象の解明をめざすとのこと。