次に研究チームは、これらのブタが飼育されていたか否かを判定する指標として、個体群の年齢構成に着目し、後臼歯の萌出状態からブタの年齢が査定された。今回は下顎骨305点のうち、後臼歯部分の残っている80個体で年齢を判定することができたという。これらについて、幼獣(誕生~第1後臼歯萌出の0.5歳)、若獣(0.5歳~すべての歯が生え揃う3歳ごろ)、成獣(すべての歯が生え揃って以降)に分類したところ、幼獣:若獣:成獣の比率は、22個体(27%):47個体(59%):11個体(14%)となった。
さらにこの結果については、野生イノシシを狩猟していた縄文時代の遺跡(愛知県の伊川津貝塚)、およびブタが飼育されていた弥生時代の遺跡(愛知県の朝日遺跡)や中近世の遺跡(沖縄県の東村跡)との比較が行われた。
すると、下田原貝塚の年齢構成パターンは若獣が多く、ブタが飼育されていた朝日遺跡や東村跡に類似しており、特に朝日遺跡とはよく似ていることがわかった。一方、野生イノシシを狩猟していた伊川津貝塚とは大きく異なっていたという。研究チームは、若獣が多いのは若獣を選択的に屠殺した結果であり、これは肉の生産の点で効率が良いからとする。つまり下田原貝塚では、弥生時代や中近世のブタ飼育と同じで効率の良い飼育形態が、4000年前の段階ですでに採用されていたことが判明したのである。
これらをまとめると、下田原貝塚で出土したイノシシ類の大部分はブタであり、それらは飼育されていたと考えることができるとしている。
今回の研究では、沖縄本島に続いて、八重山地域でも縄文時代のブタが確認されたことから、沖縄では弥生時代にブタ飼育が始まる本州・九州よりも古くから、広くブタ飼育が行われていたことが明らかになった。研究チームによると、この研究結果は、沖縄において現在まで続いている、ブタを盛んに利用する文化の基礎となった可能性があるという。
また、古い時代から沖縄の広い地域にブタが多数導入されていたということは、それらの中から逃げ出して野生化する個体も長い間には当然出てくるため、現在の沖縄に生息するリュウキュウイノシシ(野生イノシシ)は、古いブタの遺伝子を色濃く引き継いでいる可能性があるとする。なお、沖縄本島のブタは中国大陸から導入されたと考えられるが、八重山地域の場合はその地理的な位置から見て、台湾から導入された可能性も考えられるとしている。