京都大学 iPS細胞研究所(CiRA)は4月19日、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)は未分化のヒトiPS細胞には感染しないことから、アデノウイルスベクターを用いて、SARS-CoV-2の受容体である「アンギオテンシン変換酵素2(ACE2)」を発現したヒトiPS細胞を作製することによって、未分化ヒトiPS細胞でSARS-CoV-2に高効率に感染・複製させることに成功し、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)治療薬候補を評価可能なツールとして利用できること、感染の個人差を再現できることなどを確認したと発表した。

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    今回の研究成果の概要図 (出所:CiRA Webサイト)

成果は、CiRA 増殖分化機構研究部門の佐野絵美教務補佐員、CiRAの出口清香大学院生、同・坂本綾香テクニカルスタッフ、同・三村菜摘テクニカルスタッフ、京大 ウイルス・再生医科学研究所の平林愛特定研究員、同・村本裕紀子助教、同・野田岳志教授、CiRA/京大高等研究院 ヒト生物学高等研究拠点/理化学研究所 革新知能総合研究センター/日本医療研究開発機構の山本拓也准教授、CiRA 増殖分化機構研究部門の高山和雄講師らの研究チームによるもの。詳細は、国際生物学総合誌「iScience」に掲載された。

新型コロナの症状は、個人差が大きいことが分かっており、その重症度の個人差を生む主要因の1つとして、遺伝的背景の相違が関係しているとされている。一方で、新型コロナ重症患者に対する治療法開発に向けては、重症化の原因を明らかにする必要があるが、新型コロナに感染した際の個人差を再現できるモデルはまだほとんど開発されていないのが現状である。

これまでのところ、SARS-CoV-2感染モデルとして用いられているのは、アフリカミドリザルの腎臓上皮細胞に由来した細胞株で、SARS-CoV-2を含む広範囲のウイルス感染を受けやすくウイルス研究で幅広く使われている「Vero細胞」や、オルガノイドを含む培養細胞、ハムスターなどの実験動物だが、これらでは個人差の再現は難しかった。

そこで注目されるのがiPS細胞の活用で、すでにヒトiPS細胞はドナーの遺伝情報を引き継ぐため、遺伝子疾患モデルとしても広く使用されるようになっており、多くの個人から樹立されたヒトiPS細胞パネルを活用することで、SARS-CoV-2感染の個人差を再現できるリソースになる可能性が指摘されていた。そこで研究チームは今回、ヒトiPS細胞を用いてSARS-CoV-2感染とその個人差を再現できるかを試みたという。

これまでに行われたヒトiPS細胞を用いた感染実験では、SARS-CoV-2が細胞に侵入する際に利用する細胞表面にある受容体のアンギオテンシン変換酵素2(ACE2)や、「TMPRSS2」(Transmembrane protease, serine 2:II型膜貫通型セリンプロテアーゼ)を発現しているヒトiPS細胞から分化したII型肺胞上皮細胞や腸管上皮細胞においてSARS-CoV-2が感染可能であることが確認されている。

しかし、ヒトiPS細胞からの分化誘導には3週間以上の長い期間を必要とし、ヒトiPS細胞株間で分化誘導効率が異なることが多いため、ヒトiPS細胞分化細胞を用いてドナー間の違いを大規模に調査することは困難とされていたことから、未分化ヒトiPS細胞においてSARS-CoV-2感染実験が可能になれば、多くのヒトiPS細胞を用いた感染実験を容易に実施することが可能になると考えられていたが、未分化ヒトiPS細胞はACE2の発現量が低く、SARS-CoV-2はまったく感染しないという課題があったとする。

もし、未分化ヒトiPS細胞にACE2やTMPRSS2を高発現させることができれば、SARS-CoV-2の高効率な感染・複製が観察できるようになることから、今回の研究では、アデノウイルスベクターを用いて、未分化のヒトiPS細胞にACE2とTMPRSS2を過剰発現させた「ACE2-iPS細胞」が作製された。

実際に感染が行われたところ、高効率なSARS-CoV-2粒子の放出が確認されたとのことで、この結果から、SARS-CoV-2が未分化ヒトiPS細胞に感染するためにも、ACE2発現が必要であることが明らかとなったという。

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    アデノウイルスベクターが用いられ、LacZ、ACE2およびTMPRSS2が未分化iPS細胞に過剰発現させられた。そして上清中の感染性ウイルス量が、TCID50アッセイによって測定された。その結果、ACE2を過剰発現したiPS細胞(ACE2-iPS細胞)において、高い感染性ウイルス量が測定された。(出所:CiRA Webサイト)

また、SARS-CoV-2に感染したACE2-iPS細胞の詳細分析を行った結果、細胞膜近くや、ERGIC(核膜の外壁とつながっている小胞体とゴルジ体の中間区間)におけるSARS-CoV-2粒子が確認されたという。

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    感染したACE2-iPS細胞の透過型電子顕微鏡画像。細胞膜の近くにおいてウイルス粒子が観察された (出所:CiRA Webサイト)

さらに感染したACE2-iPS細胞においては、2本鎖RNAが検出されることから“ウイルスRNA合成の場”といわれる二重膜小胞も観察されたという。こうしたSARS-CoV-2粒子や二重膜小胞などは、感染していないACE2-iPS細胞では観察されなかったことから、SARS-CoV-2の生活環がACE2-iPS細胞で観察できるツールとして利用できることが示唆されたという。

詳細な解析を行ったところ、感染ACE2-iPS細胞において、細胞内SARS-CoV-2ウイルスゲノムが検出されたとするほか、感染による未分化マーカー、または自然免疫応答関連マーカーの遺伝子発現レベルに変化はないことが、内胚葉、中胚葉、外胚葉マーカーの遺伝子発現レベルも変化していなかったことが判明。免疫染色の結果、SARS-CoV-2 ヌクレオカプシドタンパク質が、感染2日後にACE2-iPS細胞で強く発現していることが確認されたという。

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    SARS-CoV-2非感染・感染ACE2-iPS細胞におけるSARS-CoV-2 ヌクレオカプシドタンパク質(緑)、OCT3/4(赤)、およびSOX2(赤)の免疫染色結果。DAPI(青)で核が染色されている (出所:CiRA Webサイト)

加えて、ACE2-iPS細胞が薬物スクリーニングに使用可能かどうかの検討として、COVID-19臨床試験で使用されている8つの治療薬候補を対象とした評価を実施。その結果、レムデシビルの抗ウイルス効果が最も強いことが確認されたほか、クロロキンならびにファビピラビルはウイルス複製を阻害せず、イベルメクチンは細胞毒性が高いことも判明したとする。このほか、ACE2-iPS細胞において抗ウイルス効果を示すことが確認されたのは、RNA依存性RNAポリメラーゼ(RdRp)阻害剤であるレムデシビルとEIDD-2801、TMPRSS2阻害剤であるカモスタットとナファモスタットの4種類としており、ACE2-iPS細胞がCOVID-19治療薬候補の評価ツールとして利用可能であることも示されたとする。

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    ACE2-iPS細胞とVero細胞に、各種治療薬候補存在下でSARS-CoV-2が感染さられた後、細胞培養上清中のウイルスゲノムコピー数が測定された。下段右から2列目のレムデシビルの抗ウイルス効果が最も強いことが確認された (出所:CiRA Webサイト)

実際に8人のドナーから樹立されたヒトACE2-iPS/ES細胞を使用してSARS-CoV-2感染実験を行ったところ、ウイルスの複製効率はACE2-iPS/ES細胞株間で異なっており、男性由来のACE2-iPS/ES細胞のウイルス複製能力は女性由来のACE2-iPS/ES細胞のウイルス複製能力よりも高いことが確認できたとする。この結果について研究チームでは、ACE2-iPS/ES細胞を用いることで、SARS-CoV-2に対する感受性の性差を再現できることが示唆されているとしている。

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    ACE2を発現した女性由来ES/iPS細胞株(4株)と男性由来ES/iPS細胞株(4株)にSARS-CoV-2を感染させる実験が行われた。(A)は培養上清中のウイルスゲノムコピー数の測定結果。(B)培養上清中のウイルスゲノムコピー数を、女性由来iPS/ES細胞と男性由来iPS/ES細胞間で比較したもの。男性由来の方が3倍以上も複製能力が高い (出所:CiRA Webサイト)

なお、研究チームでは今後、ヒトiPS細胞パネルを用いることによって、性別だけでなく、人種や血液型の違いがSARS-CoV-2感染に及ぼす影響を調べることも可能になることが期待されるとしている。ゲノム配列情報を取得しているiPS細胞パネルを用いてSARS-CoV-2感染実験を行うことによって、SARS-CoV-2感染およびCOVID-19重症化の責任遺伝子変異が特定できるようになることも期待されるとしている。