京都大学(京大)は3月9日、量子もつれ光の干渉を用いて、可視光のみの検出で赤外分光を実現する「フーリエ変換型赤外量子分光法」を提案・実証したと発表した。

同成果は、京大工学研究科の竹内繁樹教授、同・岡本亮准教授、同・向井佑研究員、同・田嶌俊之研究員、同・荒畑雅也大学院生らの研究チームによるもの。詳細は、国際学術誌「Physical Review Applied」に掲載された。

電子や光子などの量子は、「量子もつれ」という特殊な振る舞いを見せる。量子もつれは、その関係にある2つの粒子が、どれだけ離れていたとしても、一瞬にして情報が伝わっているようにしか見えない、光の速度を無視しているとしか考えられない不思議な現象として知られるためである。

例えば、観測すると赤か青のどちらかであることがわかる粒子があるとした場合、仮にAとBとして、量子もつれの関係にあるとする。粒子Aを天の川銀河の端、粒子Bを反対側の端に置いたとする。そして粒子Aを観測して赤であることがわかったとすると、10万光年彼方にある粒子Bも一瞬にして青になるというものだ。

量子もつれのパートナーが赤に決定したから自分は青、という風に情報を受け取ったとしか思えない現象が起きる。光の速度でも10万年かかるはずなのに、一瞬にして伝わってしまう何かがあり、相方とは反対の色となるのである。これが銀河系の端と端どころか、観測可能な宇宙の端と端(現在はさしわたし900億光年以上)だったとしても、同じだとされている。距離に縛られずに何らかの情報が伝わっているとしか考えられない現象であり、そのため、かのアインシュタインも「不気味な遠隔作用」として敬遠したといわれているのである。

しかし、アインシュタインが毛嫌いしたからといって、量子もつれをすべての科学者が毛嫌いしたわけではない。むしろ、今では積極的にその謎を解こうとしたり、それを応用しようとしたりしている。量子もつれを制御することができれば、計算能力の飛躍的な向上の実現につながったり、盗聴不可能な暗号を実現する量子暗号、従来の計測技術の限界を超える量子センシングといった「量子技術」の実現などが期待されているためである。

量子もつれの粒子として利用可能な中で、長距離伝送が可能で、また室温でも量子状態が保存されることから有力な担体と目されているのが光子だ。特に、光のさまざまな波長(色)の対となった「量子もつれ」光源の活用が期待されている。中でも、最近は「赤外量子吸収分光法」が注目を集めているという。

赤外分光法は、物質中の分子の種類を特定する方法として、化学・生命科学・医療・環境モニタリング・工業生産など、幅広い分野で利用されている。ただし従来の装置では、赤外域での検出器や光源の感度や効率などが、装置の小型化の重大な支障となっていた。

赤外量子吸収分光法は、重ね合わせや量子もつれといった量子力学特有の性質を利用して、古典的計測技術の限界を越える量子センシング技術のひとつだ。可視域と赤外域に発生する「量子もつれ光子対」を利用することで、一般に用いられているシリコン光検出器と可視域の光源のみを用いて赤外吸収スペクトルを取得することが可能となる。そのため、装置の飛躍的な小型化や高感度化が期待されている。

しかし、従来の赤外量子吸収分光法では、可視域の光子を波長ごとに分解するための「分光装置」を設ける必要があり、小型化の実現や高分解能の実現に対し大きな課題となっていた。

そこで研究チームは今回、分光装置を用いない、新たな赤外量子分光法である、「フーリエ変換型赤外量子分光法」(QFTIR:Quantum Fourier-transform infrared spectroscopy)を提案、実証したという。

  • QFTIR

    今回実証されたQFTIRのイメージ (出所:京大プレスリリースPDF)

なおフーリエ変換(解析)は、光学測定において広く利用されており、QFTIRにおいては量子干渉信号に対してフーリエ変換を行うことで、赤外光スペクトルを算出できるという。

  • QFTIR

    QFTIR実験装置の概要図。まず可視レーザー光を非線形光学結晶へ入射させ、量子もつれ光子対を発生させる。結晶を透過した可視レーザー光と可視光子は波長フィルターで反射した後、凹面ミラーで再度結晶へ集光される。波長フィルターを透過した赤外光子も同じく、被測定試料を透過した後、結晶へと再入射。赤外光子の伝搬距離は、稼働ステージ上に配置したミラーの位置を変えることで調整が可能。ミラー位置を掃引しながら可視光子の発生数をシリコン光検出器と光子計数装置を用いて記録すると、2回の光子対発生事象の干渉効果により光子発生数の増減(量子干渉信号)が観測できるという仕組みだという (出所:京大プレスリリースPDF)

実験装置の概要は、以下のようなものだという。

  1. 可視域のレーザー光を「非線形光学結晶」に入射すると、可視光子と赤外光子の対であるもつれ光子対が発生
  2. この光子対を波長フィルターで分離し、赤外光子を鏡で反射させる。また、可視光子とレーザー光も別の鏡で反射させて、非線形光学結晶に再度入射させると、1の時と同様に光子対が生成される。

この2つの発生事象は、その出力からは区別することができないため、いわゆる量子干渉が生じる。その2つの事象の「位相差」を、赤外光子の反射鏡の位置を掃引し変化させることで、発生する可視光子は増減し、干渉縞を生じる。

  • QFTIR

    (a)観測された量子干渉信号。横軸は赤外光子の伝搬距離の変化量、縦軸はシリコン検出器で測定された波長810nmの可視光子発生数が示されている。(b)干渉縞の信号ピーク近傍の拡大図。干渉信号の周期は、赤外光子の波長1550nmに対応している (出所:京大プレスリリースPDF)

今回、この干渉縞をフーリエ変換することにより、赤外光子の経路に設置された媒質の、赤外吸収スペクトルや、さらに通常のフーリエ変換型赤外分光法(FTIR)での測定が困難な屈折率スペクトルを取得できることを理論的に示したという。

さらに、検証用の実験系を構築し、光学特性が既知である光学フィルターの透過率絶対値スペクトルや、石英ガラスの屈折率(物質中での光の速度の指標)と消衰係数(光の吸収量の指標)のスペクトルの計測にも成功したという。

  • QFTIR

    QFTIRにより測定された光学フィルターの透過率スペクトル(赤線)。黒線は、従来の分散型分光器によって測定された透過率スペクトル。QFTIRの測定結果と定量的な一致が示されている (出所:京大プレスリリースPDF)

  • QFTIR

    QFTIRの計測結果を用いて算出した、石英ガラスの光学特性スペクトル。屈折率(赤丸)は、媒質中の光の速度に対する真空中の光速度の比、消衰係数(青丸)は光吸収の程度を表す。今回の測定により求められた屈折率(~1.5)は近赤外波長領域における石英ガラスの典型値と合致している。非常に小さな消衰係数(<<1万分の1)は、この波長域において測定試料が透明であることを示しているという (出所:京大プレスリリースPDF)

今回の方法を用いることで、スマートフォンなどで用いられているシリコン光検出器によって、赤外吸収スペクトルや屈折率スペクトルが取得できるようになると研究グループでは説明しており、これによって、装置の小型化や高感度化が可能となることから、量子センシングの社会実装のさきがけとなることが期待されるとしている。また、コンパクトで高性能な赤外分光装置の実現により、環境モニタリングや、医療・セキュリティなど、さまざまな分野への波及効果が期待されるともしており、今後は、今回の技術の実用化を目指し、より長波長域での赤外量子分光測定の実証や、装置の小型化などの研究を推進するとしている。