物質・材料研究機構(NIMS)は7月17日、チェコ・カレル大学との共同研究により、「核磁気共鳴分光法(NMR)」および独自開発の「対称構造型ポルフィリン試薬」を用いることで、キラリティーおよび「光学純度」を簡便に測定するための新技術の開発に成功し、今回開発された新規キラルセンサ分子を、従来型のキラルな分子からなる試薬(NMRキラルシフト試薬)と区別するために「プロキラル型NMRキラルシフト試薬」と命名したことを発表した。

成果は、NIMS 国際ナノアーキテクトニクス研究拠点 超分子ユニットのヤン・ラブタMANAリサーチアソシエート、同・ジョナサン・ヒルMANA研究員、同・若手国際研究センターの石原伸輔ICYS-MANA研究員、カレル大学の研究者らの国際共同研究チームによるもの。研究の詳細な内容は、日本時間7月17日付けで英オンライン科学誌「Nature Communications」に掲載された。

分子には、右手と左手のように、基本的な形状は同じだがお互いに重ね合わせることのできない鏡像対称のものが存在し、これをキラリティーと呼ぶ。両者は同じ化学式にも関わらず、有機分子や生体分子の特性や生理活性がまったく異なるのが特徴だ。例えば、「ブピバカイン」という分子の場合、左手型(L体)の分子は鎮痛剤として有効だが、右手型(D体)は真逆で心毒性を示す。従って、キラリティーを見分けたり、またはその光学純度を決定したりするキラルセンシング技術はとても重要である。

そして光学純度は、キラル分子の重要なパラメータの1つで、右手型と左手型の相対比を表すものだ。特に、製薬においては、医薬品の品質管理に加えて、合成各段階においても光学純度を決定し、製造工程を最適化することが重要であり、簡便かつ安価な手法の開発が求められているのである。

生命体にとって重要なアミノ酸や糖などの多くもキラル化合物であり、キラルセンシングが重要だ。現在のキラルセンシングの主流は、「円偏光二色性分光法」や「キラルカラム」を用いた光学分割である。しかし、これらの手法は微量な不純物によって影響されやすく、事前の精密単離が必要不可欠であるという欠点もあった。

一方で、「核磁気共鳴分光法(NMR)」は微量な不純物に影響されにくく、分子構造に直結したスペクトル構造を定量的に与えるため、有機分子の構造解析に威力を発揮する手法だ。しかし、NMR単独ではキラリティーを識別することはできないため、キラル化合物からなる試薬(NMRキラルシフト試薬)を添加し、「エナンチオマー(鏡像対称分子)」を「ジアステレオマー(立体異性体はいくつかあり、その中でエナンチオマーでないものこと)」へと誘導することが必須だった。

そのため、NMRでキラルセンシングを行うためには、ジアステレオマー化が必要不可欠であると考えられており、NMRキラルシフト試薬はすべてキラルな分子だったのである。この常識を打破することは、キラルセンシングの原理的ブレークスルーとなるという。

今回の開発されたプロキラル型NMRキラルシフト試薬の対称構造型ポルフィリン試薬はキラル構造を有しておらず、キラルな測定対象物(例えば、医薬品分子)と結合しても構造異性体(ジアステレオマー)を形成しない点が最大の特徴だ。ポルフィリンは、複素環式五員環芳香族化合物の「ピロール」が4つ組み合わさってできた環状構造を持つ有機化合物で、ヘモグロビンやクロロフィルなどにも含まれる機能性分子である。

この対称構造型ポルフィリン試薬にキラルな分子を添加すると、水素結合によって1:1の「錯体」を形成(画像1~3)。ただし、対称構造を有するポルフィリン誘導体とキラルな分子が1:1で結合してもジアステレオマーは形成されない仕組みだ(画像4)。ポルフィリン誘導体の「1H-NMRスペクトル」に注目すると、キラルな分子の光学純度(ee%)に応じて、分裂することが示された(画像5)。

また画像6に示されているように、キラルな分子の種類にかかわらず、分裂幅(Δδ)とキラル純度(ee%)には常に直線関係が見られることから、キャリブレーションを適度に行うことによって、キラル純度を簡便に定量することが可能であることが証明されたのである。

画像1(左):今回開発されたプロキラル型NMRキラルシフト剤である構造対称なポルフィリン試薬。画像2(中):プロキラル型NMRキラルシフト剤を用いて、光学純度を求めることができた多種多様なキラル分子の例。画像3(右):ポルフィリン誘導体とキラルな分子からなる1:1型錯体の模式図

プロキラル型NMRキラルシフト剤の作動原理。画像4(左):キラルなゲスト分子との結合とNMRスペクトルの模式図。画像5(中):医薬品として知られるイブプロフェンの光学純度とNMRスペクトルの関係。画像6(右):キラル分子の光学純度(ee%)とNMR分裂幅(Δδ)の直線関係

さらに画像1に示されているように、ポルフィリン誘導体の「β-ピロール位プロトン」(赤と緑の部位)は、「プロキラリティー」な立体規則性を有しており、本来は等価な関係だが、キラル化合物の付加によって対称構造が崩れて、NMRシグナルが2本に分裂する仕組みだ。なおプロキラリティーとは、その化合物はキラリティーを持たないが、付加反応や置換反応などによって1段階でキラリティーを持つ化合物に変わる化合物のことをいう。いわば、キラリティーの前段階というわけだ。

そしてNMRのタイムスケールよりも早い並行交換過程にて、R体またはS体のキラルな分子が結合・解離を繰り返すことで、NMRスペクトルが平均化され、分裂幅がee%と常に直線関係になることが「結合平衡モデル式」および量子力学計算、分子動態シミュレーションにて証明することに成功した。つまり、ポルフィリン試薬の構造対称性が、キラルな分子の結合によって崩れることに基づいているということである。さらに、今回開発したポルフィリン誘導体はカルボン酸、エステル、アミン、ケトン、アルコールなどの多種多様な分子の光学純度を定量でき、優れた万能性を有しているのが特徴だとした。

なお、R体およびS体という表記は、冒頭で紹介した右手型のD体と左手型のL体のDL法とはまた異なる立体異性体を区別するための表記法で、簡単にいうと右回りになるものがR体、左回りになるものがS体である。

今回開発された手法を用いることで、簡便かつ迅速な光学純度決定が可能なことから、製薬業界などでの使用が期待されるという。また今回の技術は、測定法および試薬にキラルな要素をまったく含まないことから、「不斉合成」(光学異性体の一方を化学合成すること)や「キラル増幅」(不斉触媒を用いて不斉反応を行った時、生成物の光学純度が用いた触媒の光学純度を上回ること)反応などのリアルタイム解析に適していることが期待されるとも述べている(従来法では不斉合成やキラル増幅反応に悪影響を与えることが懸念されていた)。