東京大学 国際高等研究所 カブリ数物連携宇宙研究機構(カブリIPMU)は、南部理論を拡張して、温度や密度のある初期宇宙や身の回りの現象にはそのままでは適用できないという、南部理論の「例外」をすべて統一的に扱える理論を提案し、50年来の懸案を解明したと発表した。

成果は、カブリIPMUの村山斉機構長と米カリフォルニア大学バークレー校の大学院生の渡辺悠樹氏らの国際共同研究研究グループによるもの。研究の詳細な内容は、日本時間6月13日付けで米学術誌「Physical Review Letters」電子速報版に掲載される予定だ。

超高熱のビッグバンで始まった宇宙は徐々に冷え、現在の状態となったとされる。ちょうど水を冷やすと氷になるように、宇宙も「相転移」を何度も経て来たという。

そして水が氷になると「対称性が自発的に破れる」のと同じように、ビッグバン以来、宇宙は対称性の破れを幾度も繰り返しながら現在の姿に至ったと考えられている。

対称性とは、「どちらでも同じで構わない」ことだ。対称性の自発的な破れとは、大まかにいうと、どちらか片方に偏ってしまっているということである。

身近なものに例えると、洗濯物をラックに掛ける時が比較的わかりやすい。最初のシャツを掛ける時は、右向きだろうと左向きだろうとどちらでも構いないわけだが、一度右向きに掛けてしまうと、見た目の整然とした感じとかで、それほど深い意味はないのだが、何となく次のシャツも右向きに掛けたくなり、最後にはすべてのシャツが右向きに並んでいる、ということが往々にしてある。

つまり、このような干し方の場合は右向きに偏っているので、右と左を入れ替える対称性が自発的に破られているというわけだ。全体を見ると(なぜか)自然とどちらか片方のみを選んでしまっているということを、対称性の自発的な破れというのである。

その例としては、ヒトに右利きが多いことや、ヒトは心臓が左側にあることが圧倒的に多いことなどがそうだ。本来は左利きであっても、心臓が右胸にあっても、どちらでもいいはず(50対50のはず)だが、生物の進化の中で自発的に対称性が破れてきた結果というわけだ。

中性子星の内部、実験室の超流動・超伝導物質、冷却した原子のガス、そして宇宙に満ちるヒッグス粒子も、自発的対称性の破れの例で、この考え方はさまざまな分野の研究に大きな影響を与えて来た。

そうした対称性の自発的な破れを素粒子物理学で提唱したのが、南部陽一郎博士だ。特にエネルギーのとても小さい波が現れることを指摘し、後のヒッグス粒子を示唆したことで、2008年のノーベル賞に輝いたのである。

それでは、液体の水と結晶の氷では、どのような違いがあるだろうか。液体の水の分子には定まった位置はなく、左右前後に動かしてもなにも変わりない。これを「空間の並進対称性」という。

しかし、氷は水分子がきれいに立方体に並んだ結晶で、1つ1つの分子には決まった位置がある。つまり水には存在していた並進対称性が、氷では自発的に破れたというわけだ。

左右の対称性と違い、並進は「少しずつ滑らかに」動かすことができる、「連続的」な対称性である。こうした連続的な対称性が自発的に破れた場合、極わずかのエネルギーでも遠くまで届く波がある、というのが南部理論だ。

結晶の端を少し押し込む(並進する)と、押されたところが次の原子を押し、これが波の様に伝わっていく。これが固体を進む「音」の「縦波」だ(画像1)。同じように結晶の端を手前にずらす(並進する)と、横ずれが波として伝わっていく。それが音の「横波」だ(画像2)。地震のP波、S波は、それぞれ縦波、横波の例だ。

画像1。結晶の左端を押し込む(左に並進)すると、押し合いへし合いの波が右へ伝わっていく。これが音の縦波

画像2。結晶の左端を手前にずらす(手前に並進)すると、横ずれが波として右へ伝わっていく。これが音の横波

このように、連続的な対称性が自発的に破れると、破れた対称性に応じて、波が作られる。ミクロな世界の量子力学では波と粒子は同じなので、これを「南部・ゴールドストーン粒子」という。南部理論で指摘していることの1つが、破れた対称性の数だけ南部・ゴールドストーン粒子がある、ということだ。

しかし、1961年に提唱された南部理論は絶対温度零度の真空中で素粒子が反応することを想定して作られたので、そのままでは温度を持ち、密度がある場合には当てはめられない。南部理論には、冒頭で述べたようにそのまま適用できない例外があるのだ。

先程の結晶を伝わる音の場合は問題がないように思えるが、実際南部理論を無理に当てはめると間違った答えが出ることも多くあり、南部理論をどう拡張すればよいのかは、50年来さまざまな研究がなされて来たが、実は謎のままだったのである。

磁石はなぜ磁石かというと、その電子1つ1つが持つ小さな磁石の「スピン」が揃っているからだ。この場合、1つ1つのスピンはどの向きを向いてもよいはずなのに(回転対称性)、ある特定の方向を向いてしまったわけだから、回転対称性が自発的に破れているということになる。

南部理論をそのまま適用すると、左右に傾けたり、前後に傾けたりすると、やはり波ができるはずだから、2つの波があるはずだ(画像3・4)。

しかし、理論的にも実験的にも、磁石を伝わる波は1種類しかないことが知られている。これが南部理論を温度や密度を持つ場合に無理に当てはめると、間違った答えが出る例の1つだ。

画像3。南部理論によると、スピンを左右に振らすと、波ができるはず

画像4。同じく南部理論によると、スピンを前後に振らすと、違う波ができるはず

研究グループは今回、どのような場合にも正しく答えが出るように南部理論を拡張することに挑戦した。先程のスピンを左右に振らすと、左右だけでなく前後にも触れてぐるぐる回り出し、左右の動きと前後の動きが分けられなくなり、結果として1種類の波しかないことがわかった。このように、2つの破れた対称性が一緒になって1つの波を作るため、思った数の半分しか波が生まれないことになる(画像5)。

画像5。実際にはスピンを振らす波は左右、前後両方の動きを伴う1種類しかない

また、2つの対称性が一緒になって生み出す波(=南部・ゴールドストーン粒子)は、元々の南部理論で予言されるものとまったく異なる性質を示すことがわかった。この違いは物質の比熱などの性質を大きく左右する。

さらにどのような場合に2つの破れた対称性が一緒になるのか、数学的に条件を与えた。その結果は現代数学で活発に研究されている「シンプレクティック幾何学」で記述されることがわかり、その分類は数学としても研究の対象になっている。

シンプレティック幾何学とは、幾何学ではさまざまな図形・空間を研究するが、空間の一点一点を、n個の「座標」で記述するところから始まる。シンプレクティックな空間とは、その座標が2つずつペアになって、ペアの集まりとして考えられる構造を持つ空間のことだ。

シンプレティック幾何学では、当然次元は偶数でないといけない。ここで磁石を伝わる波では、左右の回転と前後の回転がペアになって波を作っており、波の動き方がシンプレクティックな空間に対応する。自発的対称性の破れのこの研究では、さらに「部分的に」シンプレクティックな空間で、奇数次元のものも考える必要がわかった。

なおシンプレクティック幾何学は、近年ひも理論など物理学の統一理論の進展から重要であることがわかり、活発に研究されている。また、シンプレティック幾何学が進展すれば、宇宙の相転移で対称性が自発的に破れた場合、どのような波が生まれ、宇宙の構造に影響を与えるのかを分類できるようになるはずだという。

こうして、宇宙の研究から実験室の物質科学まで、今回の研究でわかった理論を用いると、対称性がどう破れるとどのような波が生まれるのかが正確に予言できるというわけだ。この研究成果は将来的に量子デバイス、スピントロニクスなどにも応用できる可能性も期待できると研究グループはコメントしている。