国立天文台は3月16日、歴史的価値のある天文学に関する資料(観測測定装置、写真乾板、貴重書・古文書)の保存・整理・活用・公開を目的として天文情報センターの中に発足させた部署である「アーカイブ室」が、約2万枚と想定される段ボールに収められた古い写真乾板群の中から、19世紀末から20世紀初めにかけて、国立天文台の前身の「東京帝国大学東京天文台」が麻布で観測していた時代に撮影されたと思われる星野写真乾板(かんぱん)を全部で437枚発見したと発表した。

国立天文台は、19世紀に東京帝国大学東京天文台として設立。当時は、麻布においてさまざまな観測を実施していた。しかし、当時の資料や観測装置、乾板類などは、現在の三鷹の地へ移転する前の関東大震災や、戦中にあった三鷹の東京天文台本館の火災などで喪失したと思われていた。

そんな中、今回、発見されたのは、麻布時代に「ブラッシャー天体写真儀」(画像1)によって撮影された、日本最古の星野写真乾板群である。ブラッシャー天体写真儀は、現在の東京大学天文教育センターの建物付近にかつてあった古い望遠鏡で、1896年8月に北海道で起きた皆既日食を観測する目的で、米国のブラッシャー社から購入されたものだ。

画像1。20cmトロートン・シムス望遠鏡に同架されたブラッシャー天体写真儀。同写真儀は筒とレンズで構成され、口径20cm、焦点距離120.3cm。日食観測の後に天体写真儀として活用とした際に、非点収差が大きいことがわかってブラッシャー社に再研磨を依頼したところ、同社が口径が小さくなってしまうのを避けるため、無償で代替えレンズが提供され、焦点距離は127cmになっている。(c) NAOJ

乾板の大きさは253mm×220mm、視野は12.0度×10.4度。これらの乾板は、保存状態が悪く、膜面がはがれているものもあるが、かなりの数の乾板は、まだ何が撮影されているか、よくわかる状態だったという。

なお写真乾板とは、フィルムに取って代わられる前に写真撮影で使われていた、光に感光する乳剤をガラス板に塗布して乾燥させた仕組みの感光材料である。天体・天文撮影に関しては、現在でも解像度的にはフィルムやCCD(デジタルカメラ)では叶わない部分があるため、現在でも工業や科学の世界では使われている。

確認できる中で最も古いものは、乾板番号No.13と記されている写真乾板で、1899年3月5日の撮影。この乾板はとも座を撮影したもので、露出時間は19時1分から20時8分までの1時間7分で、ほぼ14等級の恒星まで写しこまれていた(画像2)。

画像2。確認できる中で最も古い乾板(1899年3月5日)。(c) NAOJ

また、1900年2月28日から撮影された乾板は、その後、2夜にわたり、7時間以上の露出をかけたもので、「B等級」で17.3等まで暗い星が写しこまれていたのである(画像3)。当時の東京都心の麻布の夜空が真っ暗であったこともわかると同時に、感度の低い写真乾板を有効に活用しようとしていた当時の苦労が忍ばれるという。

なおB等級とは青色等級ともいい、三色測光に使われている等級体系の1つのことで、水素バルマー線の立て込んでいない波長域の、青色光を通すBバンドの用いて測定した際の等級のことをいう。

画像3。長時間露光をかけた乾板。(c) NAOJ

日本で初めて観測され、日本に由来する命名がなされた最初の小惑星「TOKIO」、「NIPPONIA」が撮影された乾板も発見された。これらは、後に東京天文台第2代台長となる、当時は東京帝国大学教授であった故・平山信(ひらやま・まこと)氏が、1900年3月6日と3月9日に撮影した乾板である(画像4・5)。

丸印がつけられ、ABCと符号が振られているのは、移動している天体だ。軌道計算による同定で、これらのAが「NIPPONIA」、Bが1885年にすでに発見されていた「CAROLIA」、そしてCが「TOKIO」であることと同定された。

ちなみに実際のTOKIOとNIPPONIAの発見者は、平山氏らはこの2点のみの撮影だったため、結果として円軌道しか求めることができず、3点目の観測をしたニース天文台となっている。ただし、ニース天文台は最初の検出者である平山氏に命名権を譲り、TOKIOとNIPPONIAと命名されたというわけだ。

画像4(左)は、1900年3月6日に撮影されたもの。画像5。は、同9日に撮影されたもの。アーカイブ室では、劣化などでかなり不鮮明なため、デジタルデータとして取り込んで画像処理して、各小惑星を甲板上に確認したとしている。(c) NAOJ

そして、今回の写真乾板の発見で重視されたのが、100年も前の星野写真であることから、大きな固有運動の恒星が写されていれば、その移動がわかるはずで、教育的にも貴重なこととして探索が行われた。

そこで、大きな固有運動を示す恒星のリストと、撮影された乾板の位置を照合していったところ、1910年9月5日に撮影された乾板No.581に、「はくちょう座61番星」が撮影されていることが判明したのである(画像6)。

同恒星は、現在知られている恒星の中では十指に入る固有運動の大きな星だ。その位置を測定し、1855年のボンの星図での位置、そして2005年9月30日の位置を、1951年7月に撮影されたパロマー写真星図での位置にプロットすると、見事に150年にわたる移動が見事に再現されたのである。

画像6。はくちょう座61番星の運動。(c) NAOJ

そのほか、オリオン座の3つ星の下にある、銀河系内でも恒星が活発に誕生している領域として知られる散光星雲「オリオン大星雲(M42)」の写真乾板も発見された。1916年2月14日に、3時間ほどの露出で撮影されたもので、周囲の淡い部分もしっかりと映し出されいる。

画像7。1916年2月14日に撮影されたオリオン大星雲。(c) NAOJ

これらの乾板は、今後、デジタル化するとともに、乾板アーカイブとしてリスト整備を行い、公開していく予定だ。

また、3月19日からスタートした日本天文学会2012年春季年会(京都・龍谷大学)において、2日目の3月20日11時6分からA会場で「国立天文台アーカイブ室の活動(3):日本最古の星野写真乾板の発見」として発表されるスケジュールとなっている。