東京工業大学(東工大)総合理工学研究科の舟窪浩准教授とキヤノン、上智大学理工学部の内田寛准教授らの研究グループは、毒性元素の鉛を使わずに、過去最高クラスとなる使用可能温度と鉛系圧電体に匹敵する特性を有する圧電体薄膜の開発に成功したことを発表した。同薄膜は、半導体に悪影響を及ぼすナトリウムやカリウムも含有しないため、シリコンを用いたMEMSにも使用可能だという。同成果の詳細は早稲田大学で開かれる「2012年春季 第59回 応用物理学関係連合講演会」にて3月18日に発表される予定。

圧電効果や逆圧電効果のような現象を示す物質(圧電体)は、電気エネルギーと機械エネルギーを相互に変換可能な、電気-機械エネルギー変換物質と表現することもでき、ライターの着火石(機械的エネルギー→電気エネルギー)やプリンタのインクジェットヘッド(電気エネルギー→機械エネルギー)などに使われている。また、圧電体を用いたMEMSは、その高い位置制御性からジャイロセンサやデジタルカメラの手ぶれ防止機構(機械エネルギー→電気エネルギー)など多くのセンサとしても幅広く実用化されているほか、最近では自動車のエンジンや高速道路の車の走行による振動、人間の歩行による振動でも発電できる物質としても注目を集めるようになってきた。

圧電体膜を動力源やセンサとして用いる圧電MEMSは、精密な位置決めが可能なことや、サイズの小型化が容易なことから、将来のMEMSの本命と考えられてきたが、現在、使用されている圧電体は重量比で60%以上の鉛を含有しているため、人体への安全性の観点から、用途が限定されるほか、新規応用開拓の妨げになっていた。

鉛を含まない圧電体の開発は長い間行われてきたが、現在、主に検討されている非鉛系材料はナトリウムやカリウムを主成分として含有しているが、これらの元素は、半導体の動作を不安定にする「プロセス汚染元素」として知られており、半導体プロセスでは使用できないため、半導体プロセスとの融合が不可欠な圧電MEMSでの使用は困難と考えられ、ナトリウムやカリウムを含有しない圧電体の開発が求められていた。

結晶構造の異なる2つの物質を混合させる時、特定の混合割合で結晶構造が変化し、同時に大きな圧電性が観察されることが以前から知られていた。また、その一方で、鉛を含有する特定の結晶構造の材料を用いると、大きな圧電性が観察されることも知られていたが、鉛を含有する材料と同じ結晶構造を有し、代替しうる非鉛材料はこれまで見つかっておらず、非鉛の圧電体は材料探索が非常に難しい状況だった。

今回、研究グループは鉛系の代替材料として近年発見されたBi(Zn1/2Ti1/2)O3を用いて実験を行った。従来、この物質は高圧下でのみ安定に存在し、常圧下では不安定であるため、圧電体としての応用は不可能と考えられていたが、今回、シリコン基板上に作製した白金電極層を構成するそれぞれの白金粒子の表面に、単結晶の圧電体を成長させる「ローカルエピタキシャル成長」技術を用いて、高圧でしか作製できなかった結晶相の安定化にはじめて成功したほか、圧電性が大きくなる結晶方位に配向制御した膜の作製にも成功。

図1 シリコン基板上に作製した圧電体膜のX線回折図形とX線極点図形(左図)とその結晶配向モデル図(右図)。圧電膜の111回折のみが観察され、基板垂直方向に圧電膜が(111)配向しているのが分かる。また、圧電膜の111回折で測定したX線極点図形では、試料煽り角が0°と55°の時に、試料回転角度によらず回折強度が極大となり、圧電膜が基板面に平行方向ではランダムに配向しているが、基板面に垂直方向では単一配向していることが分かる(右図)

作製した圧電膜の変位は、最も広く使用されている鉛系圧電体であるチタン酸ジルコン酸鉛[Pb(Zr,Ti)O3]を同一条件下で測定した場合の測定値とほぼ同じであったという。

図2 圧電膜に交流電界(単位長さあたりの電圧)を印加した際、電界と平行方向に観察された圧電膜の変位。正電界側では1V当たり約220pmの変位が得られており、この値は最も広く使用されている鉛系圧電体のPb(Zr,Ti)O3を同一条件で測定した値と遜色ない。また、この値はナトリウムやカリウムを含まない非鉛圧電体ではじめて到達した値となる

また、この組成の膜の圧電性が消失する温度(キュリー温度)は、800℃以上であり、過酷な高温下での動作も期待できることが分かった。

今回の成果により、圧電MEMS開発が加速されるほか、新規用途への展開も期待できるという。具体的には、半導体プロセスとの融合が可能な特性の良い圧電体の開発に成功したことから、プリンティングエレクトロニクス技術の重要な要素となるインクジェットヘッドの高密度化が可能となり、従来以上の微細な構造物の印刷が可能になることが予想されるという。

また、今回の開発で用いられた物質の主成分であるビスマス酸化物は、強誘電体メモリとして、すでにSUICAなどで製品化されており、微細加工技術も確立されているため、微細加工可能な圧電MEMSの開発も期待できるという。

さらに、鉛系の圧電MEMSでは、これまで半導体プロセスと融合して使用できる用途が限られていたため、要件によっては、制御性やコンパクト性を犠牲にして静電方式のMEMS を用いてきたが、今回の成果を活用することで、MEMS の高性能化および小型化を加速させることが期待できるようになるという。

一方の新規用途への展開としては、電圧を印加した際の変位を利用する用途に限らず、逆に高温で機械的応力を検知するセンサとしての応用も可能になったことから、高温、高圧で動作する発電所や自動車のエンジンの内部の圧力モニタなどの開発にも応用でき、発電所や自動車のエンジン等の高効率運転が可能になるという。

また、従来非鉛圧電体材料の主成分であったナトリウムやカリウムは、湿度の高い条件下などの過酷な条件では、特性の長期安定性に問題があることが指摘されていたが、今回開発した物質は、鉛を含まず、しかも過酷な条件下での安定動作が期待できるため、これまでの材料では使用が困難と考えられていた新規用途への展開が期待できるようになるという。