既報の通り、ソフトバンクグループはNVIDIAに、同社が保有するArmの全株式を最大400億ドルで売却することを決定した。

ただ、まだこれは両社(つまりソフトバンクとNVIDIA)の間で合意が取れた、というだけの話であって、この取引がそのまま行くかどうかはまた別の問題である。まずはこのあたりを少し解説してみたい。

まずNVIDIAのプレスリリースから紐解いていこう。

今回の取引では、NVIDIAはソフトバンクに対して120億ドルの現金と、215億ドル相当のNVIDIAの株を受け取る。このうち現金20億ドルは売買契約の締結時に支払われる。またパフォーマンス条項(NVIDIAの買収後、Armが特定の業績目標を達成した場合に支払われる)もついており、こちらはソフトバンクに対してさらに50億ドルが現金または普通株式の形で支払いとなっている。加えてNVIDIAはArmの従業員に対して、15億ドル分の株式を発行する。以上を合計すると、最大で丁度400億ドルになる計算だ。ちなみに基準となる株価は過去30日間の株価の平均終値を採用するとしている。

この215億ドル相当の株式というのは、NVIDIAの普通株4430万株ほどに相当する。現在のNVIDIAの発行済株式数はおおよそ6億1700万株であり、215億ドルでおよそ7%強。仮にパフォーマンス条項を満たした場合、トータルでおよそ5460万株相当、発行済株式の8.8%ほどのシェアとなる。要するにこれにより、ソフトバンクはNVIDIAの10%弱の株式を保有する大株主になるわけだ。ちなみに今後は英国、中国、EUおよび米国の規制当局の認可を受ける必要があり、最終的な買収完了までは、およそ18か月を要するとしている。

さて、買収後のArmのポジショニングについてだが、

  • NVIDIAはArmのライセンスモデルや顧客に対して中立の立場を取ると共に、今後はArmのIPポートフォリオにNVIDIAの技術によるものを加味してゆく
  • ArmのHQは引き続き英国ケンブリッジに置くほか、ケンブリッジのR&Dセンターを拡充する

と言った事をプレスリリースでは表明している。この発表に合わせて行われた、Financial Analyst向けのConference Callにおける質疑応答の中で、NVIDIAのJensen Huang CEOは

  • Armのエコシステムはそのまま維持される
  • 現在のArm IPに変更はない。今後もArmのMali GPUは提供されることになる。
  • NVIDIAはRISC-VとArm、両方のエコシステムに関係してゆく。NVIDIAにとってはどちらも重要である。

といった形で、今回の買収がArmのエコシステムパートナーに影響を与えるものでは無い事を強調した。また買収に関わる規制当局の審査に関しては、「大きな問題は無いと思う」と自信気に説明した。

概ね現時点で明確になっているのは以上の話である。ということで、もう少し詳細な解説をしていきたい。

まずソフトバンクの状況。そもそも今回の買収のきっかけになったのは、2019年第2四半期の記録的な赤字決算であり、もちろん、これがあったからと言ってすぐに倒産という訳ではないにしても、何かしら手当てをする必要があった。今回の買収で得られる現金120億ドルというのは、ちょうどこの赤字を埋めるのに手頃な金額であり、そして残りはArm株をNVIDIA株に転換して保有できるという、同社のファンドビジネス(というよりも、もうソフトバンクは投資が本業な気がするので、これがメインビジネスなのだろう)にとって嬉しい、優良株を入手する絶好の機会となった訳で、これは別におかしなところは何もない。おかしなところがあるとすれば、330億ドルで買ったArmを400億ドルで売却したところで、「NVIDIAは何を考えてこんな高値を払ったんだ?」という点だろうか。

そのNVIDIAはこの先、色々困難が待ち受けている。質疑応答では自信たっぷりに「特に問題は無いと考えている」と語ったHuang氏だが、そもそも上場会社のCEOが自信なさげに喋っていたら職務失格な訳なので、氏の態度はあまり参考にならない。

普通に考えると、今回の買収、「Armの顧客で、かつNVIDIAの競合メーカー」が一斉にクレームを出すのは目に見えている。実のところ、NVIDIAの競合でArmを使ってないメーカー、などというものは多分ほとんど存在しない(しいて言えばIntelだが、恐らくIntelもArmのプロセッサライセンスを何かしら受けているはず)。

NVIDIAの競合は、実は自動車向け(Qualcomm、Xilinx、etc……)であったり、スマートフォン向け(やはりQualcomm、MediaTek、etc……)、データセンター向け(Intel、AMD、Marvell、Ampere、etc……)、AI(Intel、AMD、Xilinxなどの他、数多のAIスタートアップ、さらにはCEVAなどのIPベンダーなど多数)と多岐に渡っており、そしてそのほとんどのメーカーがArmのIPを使うなりライセンスを受けるなりしている。こうしたメーカーにとって、ArmがNVIDIAに買収されるという事態は(Huang氏が何と言おうとも)Armの中立性を損なう事になり、自社のビジネスに対する重大な侵害と映るだろう。多分さまざまなメーカーが、現在司法省向けの上申書をしたためている最中であろう。

そして、こうした話が無くても、実は大規模買収が割とスムーズにいかない事は珍しくない。QualcommがNXPの買収を断念(中国が最後まで許可を出さなかった)とか、BroadcommのQualcomm買収(米国が許可しなかった)など、最近でもうまく行かなかった事例には事欠かさない。丁度、吉川先生がこの話を話題にしていたが、最新のBBCのニュースでもこの話題が出ている。恐らく英国の公正取引委員会に対して、この買収を認可しないような働きかけが現在スタートしていると思われる。

実はRISC-V陣営にとってもこの動きは無視できない。というのはNVIDIAはRISC-V InternationalのStrategic Memberの一員であるからだ。実際同社は2020年9月に行われたRISC-V Global Summitで、RISC-Vを用いたSecure Elementの実装を基調講演で説明している。もし今後NVIDIAがArmを買収し、このIPを自由に利用できるようになった場合、RISC-V陣営はNVIDIAによる汚染(NVIDIAの提供するIPがArmのIPを流用しているとか、NVIDIAの提案の中にArmの特許侵害になりえるものが含まれているとか)に注意しないといけなくなる。普通に考えて、RISC-V陣営からは、NVIDIA本体とArmを分離するような仕組みを設ける事を提案するだろう。

問題はこうしたNVIDIAとArmの分離は、どう考えてもNVIDIAの利益にならないことだ。400億ドルも支払って買収する以上、NVIDIAはArmとのコラボレーションを最大限に生かしたいと思うはずだ。元々、NVIDIAのビジネス(チップを販売する)とArmのビジネス(IPを販売する)は、相入れないというか1つの会社でやってもあまりうまく行かない。

最大限の売り上げを立てるためには「チップが直販できる相手にはチップを、それが出来ない相手にはIPを」販売すればいい訳だが、相手がそれに乗ってくれるとは限らないからだ。両方手掛けた例というのは、古い所ではチップ販売からボード販売に切り替えて失速した3Dfxとか、MIPSを買収したら自分がコケたSGIとか、要するに失敗した例しか思いつかない。プレスリリースによれば、NVIDIAの技術を搭載したIPをArmのIPポートフォリオに加えたいとしており、その一方でチップ販売のビジネスを止めるとは言って無い訳で、まさしくこの「チップが直販できる相手にはチップを、それが出来ない相手にはIPを」を狙ってるとしか思えないのだが、そんな簡単に行く訳もない。

もっともそんなことはHuang氏も100も承知で、その上での買収決断であろう。どの辺に商機というか勝機を見出しているのか、正直筆者には現時点では見当もつかない。もうしばらく状況の推移を見守りたい、と思っている。