パンチカードシステムやEnigmaは電気機械式のマシンであるが、それに続くのが1946年に完成した真空管を使用したENIAC(Electronic Numerical Integrator and Computer)である。このマシンはEckertとMaucklyによって設計され、18000本の真空管と1500個のリレーを使い、大きな部屋を占有し、一般家庭の50軒分の電気を消費した。そして、計算速度は、当時としては驚異的な毎秒5000回を達成した。そのENIACの40本のラックのうちの1ラックがComputer History Museumに展示されている。

真空管が並ぶENIACのラックの前面の一部(左)と配線の見える裏面(右)。

前面は真空管がずらりと並び、裏側は回路を構成する配線や抵抗、コンデンサがあり、電圧を調整するのであろうか、ボリュームのような回転式のつまみが多数付いたパネルが見える。

また、ほぼ同じ時代に商用マシンとしてIBMから発売されたのが、604 Electronic Calculating Punchである。

1948年に発売されたIBM 604 Electronic Calculating Punch。正面のパネルが開かれており、Control Panelが見える。

IBM 604は、1400本の真空管を使い、50KHzのクロックで動作した。中央に見えるワイヤーの盛り上がった部分は、Control Panelと呼ばれ、パッチボードの配線で40ステップ(その後、60ステップに増加)のプログラムを作ることができた。

現在、コンピュータのプログラムというと画面や紙に印刷された文字列を指すのが普通であるが、正確に言えば、それはプログラムのリストでありプログラム自体ではない。この604のControl Panelは物理的に存在するプログラムであり、プログラムの実物を目にするという珍しい機会を提供している。なお、このControl Panelはプラグイン式で取り替えることができ、計算処理ごとに差し替えて使用された。

それに続く時代のマシンとして、MITで開発され1951年に完成したWhirlwind 1、Wisconsin 大学で開発され1955年に完成したWISC、そして1954年に完成したJohnniacが展示されている。

MITのWhirlwind 1(左)とWisconsin大のWISC(右)

それ以前の計算機では、水銀遅延線を用いたメモリや、Williams Tubeというブラウン管のような静電記憶装置が用いられていたが、Whirlwindは、記憶装置として磁性体の小さなリングに情報を記憶するコアメモリを使用した最初の計算機である。写真では判別できないが、真空管を10本程度搭載する上側のバックパネルにはProgram RegisterとA Registerと書かれており、一番下のバックパネルにはB Registerと書かれている。

また、WICSは、当時、博士課程の学生であったGene Amdahl氏が設計したマシンであり、主記憶には磁気ドラムを使っていた。なお、Amdahl氏は、WISC開発の実績を引っさげてIBMに入社し、後に、IBM System 360のアーキテクチャの設計やAmdahlの法則で世に知られることになる。

John von Neumann博士のストアードプログラム方式を採用した初期のコンピュータであり、博士の功績にちなんで、JOHN von Neumann Integrator and Automatic Computer(JOHNNIAC)と名付けられた。

JOHNNIACはストアードプログラム方式のコンピュータで、同方式の発明者のJohn von Neumann博士にちなんで命名された。当初はSelectronという真空管の静電記憶を採用したが、その後、コアメモリを追加している。このマシンはバイナリの並列計算を行い、毎秒4万回の加算を実行することができたという。

そして、これらのマシンと前後して商用の電子計算機が登場する。その最初のものがENIACを設計したEckertとMauchlyの設計になるUNIVAC 1である。当初は、EckertとMauchlyが創立したEckert-Mauchly Computer社で開発を始めたが、完成したのは同社がRemington Rand社に吸収された後の1951年のことである。UNIVAC 1は5200本の真空管を使い、2.25MHzのクロックで動作し、毎秒1905演算を実行できたという。

商用マシンであるUNIVAC 1は、1号機がCensus Bureau(国勢調査局)に納入されたのを皮切りに、合計46台が製造されたという。

残念ながら、UNIVAC 1本体はComputer History Museumには無いが、UNIVAC 1のメモリとして使用された水銀遅延線記憶装置が展示されている。水銀遅延線メモリは、長さ1mの水銀を満たしたチューブの一端にパルスの音波発生器を付け、他端に音波の受信機を付ける。記憶すべき情報をパルス音波にして水銀を満たしたチューブに入れ、他端で受信したパルスを増幅して、また、音波発生器に入れるというやり方で情報を循環させて記憶する装置である。音波の速度が固体より遅く、かつ、減衰が小さい物質として水銀が用いられた。

UNIVAC 1の水銀遅延線メモリ。

このドラムのように見える円筒形のユニットに、18本の水銀遅延線が収納されており、それぞれの遅延線が12文字のデータを10語記憶することができた。そして、UNIVAC 1には、この水銀遅延線メモリが7台使用された。

そして、MITのWhirlwind 1をベースとしてIBMが開発したのが、空軍向けのSemi Automatic Ground Environment(SAGE:半自動警戒管制システム)である。SAGEは単なるコンピュータではなく、各地のレーダーステーションや艦艇のレーダー、偵察機の情報などをモデムを介してオンラインで受け取り、当時のソビエト連邦の戦略爆撃機の攻撃を警戒し、必要に応じて迎撃戦闘機を発進させ管制するシステムであった。

Semi Automatic Ground Environment。

1954年に完成したSAGEは、写真にみられるようにCRTのグラフィックディスプレイを持ち、ライトガンでスクリーン上のオブジェクトを選択するという、当時としては先端の技術を取り入れた超大型コンピュータであった。

博物館の説明によると、SAGEシステムは1983年まで使用されたが、その末期には保守用の真空管を製造するメーカーが米国には無くなってしまい、皮肉なことには、警戒する相手のソビエトブロックの国のメーカーから輸入していたと言う。