ロジカル思考のすすめ

米国の高校以上の授業ではディベート(リベートではない)の授業というものがある。いわゆる議論の仕方をトレーニングする授業である。典型的には、二手に分かれたチームにある共通のテーマを与え、共通のルールに従って「賛成派」と「反対派」に分かれて議論を展開する。あくまで議論の仕方をトレーニングするためのもので、その内容自体に個人の考え・意見は反映されない。ここではいかに論理的に議論を展開できるかということが問題になる。議論のテーマは新聞で扱われるような政治的なものから、価値観に関するものまで多分に身近なものである場合が多いので、つい熱が入ってしまう場合があるが、あくまでも議論の技術トレーニングなのである。

ここで鍛錬されるのは以下の要件である。

  • 主張・議論をいかに論理的に展開できるか。いかに議論をかみ合わせられるか
  • 相手側に自分の主張をいかに理解させるか、相手の主張をいかに理解できるか
  • 感情的にならずに効率的に議論を展開できるか。いかに相手を議論で打ち負かせられるか

これらの観点から、チーム同士の勝負が行われる。両チームが賛成・反対の立場を逆転させた状況で第2回戦をやることもある。この場合は、さっきまで侃侃諤諤の議論で賛成派が反対派になるのだから、相当の頭の切り替えが必要になる。唯一の拠り所は、自分の主張に至った論理である。米国のすべての高校教育でディベートの授業が行われているわけではないが、ビジネスでの英語での議論の場合、相手はこういう訓練をあらかじめ受けているのだということを想定していたほうがよい。

ビジネスでは単なる議論のための議論ではないから、事実関係、データ、会社の方向性、状況に関する綿密な分析などは重要なものとなるが、議論をする時の進め方はあくまでも論理的である必要がある。特に多様性を重要視する米国では皆がそれぞれ違う文化、価値観を持っていると考えられるので、共有できる数少ない手段としては英語という言語そのものと、論理性ということになる。

英語という言語そのものがすでに多様化しているので、正統派英語などというものはないと考えれば気が楽になる。しかし、論理は多様な価値観を持った人間の集団でも通用する共有財産のようなものだ。こういった場所で、自分の国の価値観をベースにした、論理に欠けた議論は不毛な結果を生む。ビジネスの世界では究極の論理は数字である。どの国の誰にでもわかる共通価値であり、それが良ければだれも議論をする必要はなく、それ自体が無敵の論理を形成する。しかし、とかくビジネスはうまくいかないものだ。それで皆が喧喧囂囂の議論となる。

徹底的に論理的であると同時に、最低限のエチケットもわきまえていないと恥をかくことになるか、相手にされなくなる。最低限のエチケットとしては、以下のようなものがある。

  • 目を合わせない、目をそらす行為は相手に最初から不信感を抱かせる。かといって、常ににらみつけている必要はない。私の場合近眼なので目を合わせていることに疲れると、わざとめがねを取って相手がぼやーっとしか見えない状態でよく休憩を取る
  • 日本人同士では、しばらく会っていなかった相手に、何気なく「ちょっと太った?」、などと聞くのはよくあることだが、米国では身体的なコメントは一切してはいけない。深刻な事態を招くこともある
  • 相手の服装(ネクタイなどの会話はお勧め)、髪型などで相手を持ち上げておくと議論に入る前の緊張を解くことができる。「You are looking good !!」と言っておけば間違いない。ただし,「You are good looking!!」とは言わないこと(これでは「君かわいいね!!」になってしまう)
  • アメリカ人はよく「sense of humor(ユーモアの精神を忘れずに)」などと言うが、深刻な議論になってきているときに、ちょっとしたユーモアを交えて話すのは(こちらから仕掛けるのは日本人にはかなりハードルは高いが…)よくあることだ。こんな時に「真面目な話をしているのに不謹慎な奴だ」などと思うのは間違いである。これは相手もかなり深刻にとらえているというサインなのである
  • 言わずもがなであるが、政治と宗教の話題はよほど打ち解けた相手とだけにしておく

時事問題を英字新聞で読むのは語彙力の増大にはもってこいである (著者所蔵イメージ)

英語で考えることのすすめ

偉そうな言い方かもしれないが、私は日本語と英語の両刀使いに明け暮れているうちに、かなり早い段階から英語で話す時には英語でものを考えていることを意識し始めた。たぶん下記のようなものが理由だと思う。

  • ネイティブの人間の言い方を真似しているうちに、日本語では言い表せない表現に慣れてしまったのでそのまま使うようになってしまった
  • 逆に日本語で表現されている慣用句などには英語に訳すのがほとんど不可能な日本人特有の概念が含まれているのに気が付き、そういう言い方をするのをやめてしまった
  • 論理を組み立てるのには英語のほうが日本語よりもやりやすい。英語の表現では、「XXである、なぜならXXだから」、などといった表現が非常に多い
  • 英語で話すとストレートな物言いができる。論点を遠慮なく明確に伝えることができる

敬語を使いながら日本語で話している自分と、英語を使って言いたい事をズバズバ言っている自分とでは明らかな性格の違いが感じられる。ちょっと考えると変な事だとは思うが事実である。

英語で議論する場合の思考言語は英語であるほうが断然有利なのであって、それは帰国子女のように幼児期を海外で過ごしたような経験がない私にも訓練次第で可能なことである。かといって、私の場合のように無理やり英語環境におかれるのも容易なことではないのは事実である。

そこで提案だが、日本語から英語に翻訳するという煩雑で効率の悪いプロセスを踏まないように自分を鍛錬したいと考えるならば、議論に臨む前に要点を書いたものを用意する場合にはとりあえず英語でのみ用意してみてはどうだろうか?(これを英語ではよくbullet pointsという)。これだけでも、英語を使って考えるほうが論点を日本語で整理するよりも簡単であることが実感できると思う。

トランプ大統領の英語がわかりやすいわけ

英会話で苦労する決定的な障害物はやはり語彙力である。言葉を知らなければ論理を立てるどころではないかもしれない。残念ではあるが、語彙力を増すことについては1つひとつ積み上げていくしかないのであって、近道はない。しかし、ビジネス英語では文学的素養を試されるわけではないので、語彙力といっても最低限のもので十分であると考える。

語彙力を増すやり方は、古典的な単語帳の丸覚えという方法もあるが、単語帳だけではつまらないし、実際の単語の使われ方がわからないので、やはり自分に興味のある内容の文章をひたすら読むしかない。その意味では、時事問題などははじめは難しい言葉が並んでいるように見えるが、慣れてしまうと使われている言葉はある程度限られていることに気づく。しかも身近な問題なので抵抗なく読み進めることができるのではないだろうか?。

最近のテレビのニュースでは米国大統領であるトランプ氏の演説、ツイートに関するものを毎日のように見かける。現在テレビに出ていて英語で話す人の中では、トランプ氏の英語が群を抜いてわかりやすいのではないだろうか? その理由は、トランプ氏は非常に限られた、明確な言葉で持って話しているからだ(米国のメディアの中には、トランプ氏自身の語彙力が低いなどと揶揄する向きもあるくらいだ)。

よく使われる言葉は、「beautiful」、「great」、「terrible」、「incredible」などの非常にわかりやすい言葉である。こういった言葉が、デリケートな政治状況で多用されるのが良いのかどうかは別として、トランプ氏が使用する語彙は限られているし、氏は非常に明確な立場で発言するので英語のリスニングの訓練にはとても向いていると思う。英語耳を鍛錬したい方々にはトランプ氏の演説をCNNなどでそのまま聞いてみることをお勧めする。ただしこれはあくまでも"リスニングの訓練"のためだけと、割り切ってされる事でお勧めしていることをお断りしておく。

著者プロフィール

吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
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