前回は「空の巻」だったが、今回は「陸の巻」である。フライト・シミュレータみたいに分かりやすいアイテムがない分だけ注目されにくいが、こちらもやはり、各種のシミュレーションを多用する傾向が強まっている。

指揮所演習とシミュレーション

陸軍の演習には、実際に部隊を演習場に出して行う野戦演習(FTX : Field Training eXercise)と、部隊を出さずに指揮所で行う指揮所演習(CPX : Command Post eXercise)がある。

現場の兵士が実戦に即した環境の下で戦闘訓練を行うにはFTXを行わなければならないが、場所も費用も必要になる。FTXでは当然ながら、さまざまな「状況」を設定して、それに対して指揮官が実戦と同様に、情報を集めて決心した上で指令を出すのだが、その指揮官の仕事を訓練するだけなら、必ずしも演習場に部隊を出す必要はないので、CPXが別に存在する。

ウォー・シミュレーションというボードゲームのジャンルがあるが、それを本職がやるのがCPXだ、と考えてもらえば、さほど外れはないと思う。実際に演習場で人や車両が走り回る代わりに、ボードの上で駒を動かして、交戦の結果についてはサイコロなどを利用してランダムに出す。将棋みたいに彼我の状況が丸見えになったのでは演習にならないから、互いに「敵軍」の動向は分からないようにする。

これをコンピュータに置き換えると、シミュレーション演習になる。ボードの上で行う指揮所演習では両方とも生身の人間が行わなければならないので、内輪の人間同士で「赤軍」(あかぐん。せきぐんではない)と「青軍」に分かれて対抗するが、コンピュータ・シミュレーションなら「赤軍」はコンピュータに代用させることができる。

もちろん、人間同士が対戦して、その際に使用する道具立てを「ボードとサイコロ」から「コンピュータ」に置き換える方法もあるだろう。その方が、ランダムな結果を出したり、厳正な判定を行ったりするには有用かも知れない。

ただし、コンピュータ・シミュレーションで実戦的な演習を行うには、想定戦場の地理・地勢・インフラなどといった関連諸要素を、数学的モデルの形にしてコンピュータに取り込む必要がある。また、敵軍をコンピュータが受け持つ場合には、その敵軍を構成する部隊・装備・戦い方などについても、本物の振る舞いをコンピュータでシミュレートできるようにモデル化する必要がある。

なにもコンピュータ・シミュレーションを利用するCPXに限ったことではないが、コンピュータで何かをシミュレートする際の成否は、モデリングにかかっているといっても過言ではない。そして、人の判断や意志決定、戦い方に関する考え方といった要素は、どちらかというとモデリングが難しい部類に入るのではないか。

昔、パソコンで動作するシミュレーション・ウォーゲームをいろいろやってみた経験があるが、コンピュータが受け持つ「敵軍」の挙動の中には、「どうして、そこでそういう動きをするんだよ?」と首をひねらされるモノがあった。また、一般向けのゲームではルールを簡略化したり、実情に即していないルールを設定したりする場面もあるが、それでは本職の訓練には使えない。コンピュータに何かの機能を代替させる際には、どこまで実情に即したモデリングをできるかどうかが問題だ。

操縦訓練・操作訓練もシミュレータで

実は、指揮官の訓練だけでなく現場の訓練でも、シミュレータの利用が広まっている。

たとえば、飛行機と同様に操縦訓練用シミュレータというものがあるし、戦車や装甲車の砲手を訓練するためのシミュレータもある。いずれも、本物の操縦席や砲塔と同じものを用意して、実際に操作できるようにしている。飛行機のシミュレータと同様にビジュアル装置を用意して、外部視界まで再現することもある。

車両の操縦手や銃手を訓練するためのシミュレーション機材。飛行機のシミュレータと違ってモーション機能はない。周囲の映像は、操縦操作や「敵」の出現、銃手による銃撃に応じて変化する(出典 : US Army)

ことに戦車を初めとする装甲戦闘車両の操縦では、視界が限られる中で状況を把握して適切な操縦を行わなければならないから、シミュレータ訓練で場数を踏むことの意味は大きい。しかも実車で操縦訓練するよりは安上がりだ。

歩兵が携行する地対空ミサイル(FIM-92スティンガーみたいな肩撃ち式ミサイルのこと)でも、ミサイル発射機を持った兵士がビジュアル装置を仕掛けたドームの中に入って、ドームの画面に投影される「敵機」を発見して発射訓練を行う、なんていう事例がある。値の張るミサイルをバンバン撃って訓練するわけにはいかないから、こういうシミュレーション訓練機材が存在することの意味は大きい。

生身の人間でシミュレーション

最後に、コンピュータともITとも関係のないシミュレーションの話をひとつ。

イラク戦争の途中から米陸軍では、演習場に「イラクの街」を設営、在米イラク人を雇い入れてロールプレイ訓練を行う手法を取り入れた。イラクに派遣される部隊が派遣前に、生身のイラク人に対してどのように接すればよいのかを訓練するのが目的だ。

一般市民に対する対応の良し悪しはいろいろな意味で影響するので、こういう訓練を行うことには大きな意味がある。もちろん、「イラク市民」がわざと米軍の兵士に反発してみたり、協力的でない素振りを見せたりするのも訓練のうち。

特殊作戦部隊では以前から、ベテラン隊員が扮する「ゲリラの頭目」を用意して、実戦的なゲリラ戦・不正規戦を仕掛ける訓練を実施しているが、一般市民への対応についても同様に、生身の人間を使った訓練を取り入れた次第。こういうのはさすがに、コンピュータでは代用もシミュレートもできない。

執筆者紹介

井上孝司

IT分野から鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野に進出して著述活動を展開中のテクニカルライター。マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。「戦うコンピュータ2011」(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて「軍事研究」「丸」「Jwings」「エアワールド」「新幹線EX」などに寄稿しているほか、最新刊「現代ミリタリー・ロジスティクス入門」(潮書房光人社)がある。