【メガバンク頭取から事業会社の社長へ】東京センチュリー社長・藤原弘治「金利のある世界で求められるのはモノの価値を見極める力。パートナーと共に、社会課題を解決に導く結節点になりたい」

リスクやピンチには、逆にチャンスも訪れる

 ─ 国際情勢の動向に加えて、国内の政治情勢も混沌としています。藤原さんの現状認識から聞かせてください。

 藤原 私たちは時代の大きな節目に向き合っています。国家間の緊張や経済のブロック化が顕わになる中、構造問題に直面する日本の立ち位置を危惧する声が聞かれます。一方で、こうした転換期には、逆にチャンスも訪れるという感覚を持つことが大事です。

 東京センチュリーの経営者としては、不確実性が高いときや苦境に接しているときにこそ、市場の変化を正確に把握し、次のビジネスチャンスにつなげられるかが問われていると、常に意識しています。

 ─ 逆境をチャンスに変えていくということですね。

 藤原 足元ではトランプ関税を契機とした米中貿易摩擦に加え、経済・社会の格差や分断など、資本主義の副作用とも言える構造的な変化が世界中で起きています。さらには、ウクライナ侵攻や中東情勢の不安定など地政学リスクも加わり、予見可能性が低い経営環境が常態化しています。こうした世の中において、企業経営者として、どう舵取りするべきなのかを日々、自らに問い直していく必要があると考えています。

 私は、こういった不安定な時期に最も重要なことは、「想定外をつくらない」ということだと考えます。つまり、シナリオプランニングの重要性が増しているということです。将来を正確に予測することは不可能ですが、仮にそういった事態が起きたときに素早く対応するためには、様々なシナリオを想定しておくことが不可欠です。メインシナリオからの「予想外」は許容できますが、「想定外」という事態はあってはなりません。

 ─ つまり、「起こりうる最悪の事態」も、あらかじめシナリオとして準備しておくということですね。

 藤原 シナリオプランニングで重要なのは、情報のアンテナを張り、インテリジェンスを磨くことです。「想定内」で起こる限り、たとえそれが「最悪の事態(ワーストケース)」であっても、対応できます。ただし、経営者は、現実には「想定外」であっても対処の先頭に立ちます。

 初動の的確さと楽観バイアス(根拠がないにもかかわらず、自分にとって都合の良い未来を期待し、自分だけは不幸な出来事〈リスク〉に遭わないだろうと考える心理傾向)の排除が重要になります。

 ─ そういった感覚は銀行時代から持っていたのですか。

 藤原 銀行員の仕事とは、まさにあらゆるリスクを想定し、見極め、リスクを取り、制御し、管理することにあります。ですから、銀行員は、リスクに対する目線が自ずと高くなると思います。その意味では、事業会社である東京センチュリーの社長になった今も、その銀行員時代の経験が確かに生きていると感じます。

東京センチュリーが目指す 「永遠のベンチャー企業」

 ─ 藤原さんは自社を「永遠のベンチャー企業」とも標榜していますね。

 藤原 実は私が社長就任直後、社員に対して「地球規模の社会課題を解決に導く永遠のベンチャー企業でありたい」というメッセージを発信しました。

 今、世界は複雑で多様な課題に直面しています。例えば、日本は、少子高齢化、人口減少、エネルギー問題、地方創生といった「課題先進国」ならではの独自の問題を抱えています。

 またグローバルで見ても、国家間の緊張といった従来の地政学的なリスクに加え、気候変動や自然災害など、地球環境の物理的なリスクも顕在化しています。さらに、AIの急速な進化や脱炭素社会への移行など、社会は多様な変容の真っ只中にあります。

 これらの構造的な課題や、それに伴う人々の価値観の変容は、我々のビジネスにも影響を与えます。しかし同時に、金融を起点としながらも、その枠を超えた事業やサービスを手掛ける我々だからこそ、これらの社会課題解決に向けた「結節点」になり、ベンチャースピリットを持って挑戦していきたいと思っています。

 ─ 結節点とは、具体的にどのような役割を指すのですか。

 藤原 先ほど「地球規模の社会課題を解決に導く」と申し上げましたが、我々1社で解決できるわけではありません。そこで、パートナーの皆さまと連携し課題解決に共に取り組む、そのための「結節点」としての役割を担いたいのです。例えばNTTグループや伊藤忠商事、富士通、あるいは銀行もそうです。

 ─ 幅広い業種と連携ができる背景には、リース事業そのものの進化もあるのでしょうか。

 藤原 私がよく言うのは「リースをやる会社から、リースもやる会社に変わってきた」ということです。(企業などが選定した機械設備などをリース会社が購入し、その企業に対してその物件を比較的長期にわたって賃貸する)国内の伝統的なリース事業は、2009年の当社合併スタート時では当社の資産残高の約8割を占めていました。

 ところが今はそれが逆転し、それ以外の事業が8割となり、リースは約2割となっています。つまり、我々はリース以外の金融サービスや事業投資も手掛ける「コングロマリットカンパニー」に進化してきたわけです。

 だからこそ、(複数の事業を多角的に展開する複合企業の企業価値が個々の事業を単体で評価した価値の合計よりも低く評価されてしまう)いわゆる「コングロマリットディスカウント」を、いかに「コングロマリットプレミアム」に変えていけるか。それが今後の当社のビジネスモデルにおける大きな挑戦となります。

2013年に東京センチュリーの連結⼦会社になったニッポンレンタカーサービス(写真はニッポンレンタカー横浜駅西口営業所)

 ─ 経営の仕組みを変えようとしている中での具体的な取り組みはありますか。

 藤原 社長就任後、私は「YMOプロジェクト」という社長直轄のプロジェクトを立ち上げました。具体的には当社の将来像を自ら考え、事業戦略をゼロベースで見直し、それを支える経営インフラや人材戦略の全面的な刷新を図っていくプロジェクトを、次長クラスの若手をリーダーに据えて進めているところです。

 ─ 「YMO」と名付けた由来は何でしょうか?

 藤原 我々の世代では、かつて新しい音楽で世の中に衝撃を与えたテクノバンドを思い浮かべるかもしれませんが、このプロジェクトでは「ヤング(若者)」「マーベリック(変わり者)」「アウトサイダー(よそ者)」の頭文字をとったものです。

 これまで組織の意思決定の中心にはいなかったメンバーを集め、新しい視点による、斬新で大胆な発想やアイデアを募りました。この後は、彼らによる提言をマネジメントレベルでの議論に引き上げ、具体的な戦略・施策の具体化に向けて取り組んでいきます。

銀行に入行するきっかけ

 ─ では、今後のリース会社の立ち位置はどのようになっていくのでしょうか。

 藤原 リース事業とは、一般的にはリース会社が所有する物件を企業に貸し出すビジネスモデルですが、その特性上、使用後の物件はリース会社に戻ってきます。重要なのは、戻ってきた物件を次にどう活用していくかです。

 例えば、リースアップ(契約終了)で戻ってきた資産を、リファービッシュ(再生)した上で中古市場にて売却するのか、あるいは部品や素材としての「リサイクル」や「廃棄」処分とするのか。こうした最適な対処方法の判断が求められます。

 昨今では「3R」というキーワードも出てきています。「Reduce(リデュース)」「Reuse(リユース)」「Recycle(リサイクル)」に代表されるように、環境への配慮が重視される社会においては「モノの循環」が求められています。こうした循環型社会の実現において、我々リース会社の機能は不可欠なものになっていくと考えています。

 ─ リース会社の今日的役割がますます高まるということですね。さて、藤原さんが第一勧業銀行(当時、現みずほ銀行)に入行した1985年というと、日本はまさにバブル経済の黎明期でした。

 藤原 バブル経済の絶頂を迎えようとするタイミングでした。その後にバブル崩壊や金融危機、さらには3行が統合してみずほフィナンシャルグループ(FG)が誕生するといった、激動の時代を経験できました。

 ─ 銀行員になることについて、ご家族の反応はどうでしたか。

 藤原 父からは「どこに就職してもいいが、銀行だけはやめてくれ」と言われていました。父は土木技術者としてダムや発電所の建設に携わり、家に帰ってくるのは月に2回ほど。まさに昭和の父親像といった人で、帰宅すると着物を着て書斎で本を読む、口数の多い人ではありませんでした。口を開くのは、怒られるときだけ。厳しい父と優しい母に育てられました。

 そんな父に就職前に呼び出され、例のことを言われたのです。父にとって、銀行は、慇懃無礼でカネを右から左に流す、目に見えるものを何も作らないところ、と映っていたのでしょう。

 ─ それでもあえて銀行を就職先に選びましたが。

 藤原 むしろ「どんな人がいるんだろう」と逆に興味が沸いたのです。就職活動時に実際に銀行員に会ってみると、素敵な方がたくさんいましたし、父とは別のロマンを持った人がいると感じました。今は亡き父ですが、私は銀行に対する印象や固定観念を変えたい、という思いもあって入行を決めたのです。両親には心から感謝しています。

銀行業界の不文律を破って

 ─ そこからみずほ銀行の頭取としてシステム障害などを乗り越え、今度は東京センチュリーの社長に就任。注目を集めましたね。

 藤原 これまでの歴史を振り返っても、メガバンクの頭取経験者が事業会社の社長を務めることはなかったと記憶しています。背景には、頭取経験者は財界活動に勤しむべしといった不文律のようなものがあると思っていました。

 ─ その「不文律」については気になりませんでしたか。

 藤原 実は、東京センチュリー社長への就任打診は一度お断りしているんです。しかし、それでも同社の指名委員会から強い要請をいただきました。そして、みずほFGの後輩経営陣に相談したところ「そういった慣例にはこだわらずにお受けになってはいかがですか」と言って背中を押してくれたのです。

 私に白羽の矢を立ててくれた東京センチュリーにも感謝していますし、私の新たな挑戦を後押ししてくれたみずほFGの後輩たちにも心から感謝しています。みずほ銀行の頭取は5年間務めましたが、私の今後の活躍を願ってくれた後輩たちの気持ちは本当にありがたいですね。

 私の座右の銘は「No Challenge, No Life」。「挑戦無き人生は歩まない」という言葉です。先日、母校である福岡県立筑紫丘高校に招かれた際、高校生にこの言葉を贈りました。成功の反対は失敗ではなく、挑戦しないことです。若い世代から、一人でも多くの日本を引っ張るリーダーが生まれて欲しいと願っています。

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