量子コンピュータを実現する上で重要となる、量子の重ね合わせや量子もつれといった量子効果は、生物とは直接は関係のない物理現象と思われがちだ。しかし近年、生物の生命現象にも量子効果が関わっていることが明らかにされつつある。
たとえば、渡り鳥が地球の磁場を感知する能力は、量子もつれによって実現されているとする仮説が半世紀近く前から唱えられている。しかし、それを確かめる術がなく、これまではこの仮説を実証するのが困難だった。
沖縄科学技術大学院大学(OIST)は、渡り鳥の磁気感知メカニズムを実験的に検証する研究を前進させる成果として、量子系を最適に制御するための新たな数学的原理を証明したことを9月3日に発表した。
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今回の研究により、量子系を最適に制御するための新たな数学的原理が証明され、渡り鳥の磁気感知メカニズムを実験的に検証する研究を前進させる成果が得られた (C)ジャック・フェザストーン (出所:OIST Webサイト)
同成果は、OIST 解析と偏微分方程式ユニットのウグル・アブドゥラ教授らの国際共同研究チームによるもの。詳細は、量子科学とその関連分野を扱うオープンアクセスジャーナル「Quantum」に掲載された。
「鳥が地磁気を感知できるのは量子効果によるもの」という仮説
「量子生物学」は、生物の能力を理解するために量子効果がどのような役割を果たしているのかを研究する学問だ。この分野を代表する題材の1つが、鳥が地磁気を感知できるのは量子効果によるものとする仮説である。この仮説は提唱されてから半世紀近くが経過しているが、今もって決着がついていない。
この仮説の中心にあるのは、生化学反応の速度が外部の磁場によって変化する可能性があるという考え方である。生化学反応では、電子が移動したり組み替わったりすることで化学結合が形成される。その過程で、一時的に結合していない電子の「ラジカル対」が生じることがある。このラジカル対の電子は量子もつれ状態となり、スピンを通じて互いに影響し合うことから、互いのスピン状態によって異なる量子状態を取り、その違いが化学反応の進行速度に影響する。
この量子状態は外部の磁場によって変化するため、反応によって生じる物質の量も変わる可能性があると考えられている。つまり理論上、鳥は体内で起こる化学反応の変化を利用して、地球磁場を感知している可能性があるということになる。
鳥の磁気コンパスから量子コンピューティングのアルゴリズムまで、磁場を利用して量子系を制御する方法を理解する研究分野は「量子最適制御理論」と呼ばれる。外部からの制御によって量子系をある状態から別の状態へと移す方法は、量子技術の開発における中核であり、同時に量子生物学を理解するためにも不可欠である。
研究チームは以前、磁場中のスピン系に対する「ポントリャーギンの最大原理」を証明することに成功した。同原理では、量子状態のコヒーレンスを最大化するには、磁場の強さを徐々に変化させるのではなく、極端に強い状態と弱い状態の間で急激に切り替える「バンバン制御」と呼ばれる手法が最適であることが示されている。しかし、量子スケールで急激に切り替わる電磁場を生成することには大きな技術的課題があった。
そこで研究チームは今回、完全に最適でなくても、実験や生体内で実現可能な制御手法が存在するのかどうかを調べることにした。
今回の研究成果
今回の数学的証明では、「現実的な連続磁場」という制約を課した量子系についても、ポントリャーギンの最大原理が成り立つことが示された。さらに、そのような現実的な磁場制御によって、理論上の最適値の99%以上に相当する高いコヒーレンスを達成できることも突き止められた。
この数学的枠組みは、鳥の渡りの仕組みを解明する研究だけでなく、将来の量子コンピュータにも応用可能な、実験室で量子系をほぼ最適に制御する実験研究の基盤となる可能性があるという。今回の研究により、実験研究の指針となる数学的原理が解明され、一般的な数学原理が量子系へと拡張された。その結果、この制御手法を検証するために必要な磁場の与え方を、実験研究者に具体的に示せるようになったとした。
論文筆頭著者のアブドゥラ教授は、今回の研究成果に対し、「量子効果が生物に果たす役割について、これまでも多くの研究が行われてきましたが、アイデアや仮説を実験に落とし込むことは必ずしも容易ではありません。量子効果を制御するための数学的基盤を築くことで、量子生物学の仮説を、理論の領域から実験的に検証できる段階へと前進させる手助けができればと考えています」とコメントしている。