龍角散・藤井隆太の『私の社長30年史』(第5回)リュックで営業

1年のフランス留学から帰国し、音楽の仕事に復帰しました。教員免許も取得していたので学生時代から教えていた中高生オケにもトレーナーとして復帰しました。この学校の卒業生とは今も交流があり、卒業生の1人は当社の社員です。

 ある日、父と音楽ビジネスについて話をしているとき、日本人から見ると異文化のクラシック音楽を更に拡大するためには工夫が必要ではないか、という話になりました。それには音楽以外の仕事を経験する方が早いだろうということになり、思い切ってやってみることにしました。

 とは言っても、片手間で仕事をする訳にはいきません。やるからには一切音楽とは縁を切る覚悟でした。両親は何もそこまで、と慌てていましたが、私自身が何らかの革新を求めていたのかも知れません。

 お世話になった小林製薬は取引先でもあり、遠縁にも当たります。もともと小林製薬には問屋部門があり、龍角散を全国に販売することで問屋業の基礎を築いた歴史があったのです。

 小林製薬の入社前に社長面接がありました。「最近は自分に合わないなどと言って、すぐ辞める若者がいるが、君は大丈夫やろな!」。音大卒とはいかにも頼りなく見えたに違いありません。後に小林一雅社長(当時)には私の結婚式にもご参列いただきましたが、「驚いた。彼は本当に営業成績トップなんです」とご挨拶いただいたのには理由があります。

 厳しいトレーニングを受けた後、いよいよ単独での営業活動です。担当地区の薬局を回り、問屋さんより先にメーカーとして注文をいただくのですが、結構高いノルマで同期は皆、苦戦していました。しかし私は逆に楽しささえ感じていました。

 音楽の現場で培った能力をビジネスの現場で活かせるか試してみたかったのです。演奏家はステージに出て演奏を始めたら、もう誰も助けてはくれません。何とかして、そのときできる最善の演奏に仕上げないと、次の仕事に繋がりません。ビジネスの現場でも全く同じだったのです。

 営業経験もそろそろ1年になろうかというときです。張り切り過ぎてスピード違反で免停になってしまいました。すると朝礼で事業部長が「これで藤井君もトップの座を明け渡すな。内勤をやれ」と言われたのです。しかし私は「やります」と答えたのです。

 私には勝算がありました。営業車ではビル内の薬局など、ほとんど行けなかったのですが、リュックに試供品を詰め込み、地下鉄で営業に行ったところ、大変歓迎され、思わぬ営業成績となったのです。これも音楽の経験から来るフットワークの勝利でした。

 今、産業界は空前の人手不足と言われていますが、是非芸術系の学生も雇用していただきたいと思います。

ふじい・りゅうた

1959年東京都生まれ。桐朋学園大学音楽学部を卒業後、同校研究科へ進学。研究科在学中にフランス・パリのエコール・ノルマル音楽院に留学、同校高等師範課程修了後、桐朋学園大学音楽学部研究科を修了。フルートを林りり子、小出信也、クリスチャン・ラルデに師事。小林製薬、三菱化成工業(現三菱ケミカル)を経て、94年龍角散入社。95年社長に就任。2013年から日本商工会議所社会保障専門委員として、厚生労働省社会保障審議会医療保険部会臨時委員を務める。

龍角散・藤井隆太の『私の社長30年史』(第4回)「異文化とは」