国立精神・神経医療研究センター(NCNP)ならびに金沢大学は、子ども時代の情緒的虐待(暴言などの心理的虐待)が成人後の「注意バイアス変動性」に関連することを明らかにし、さらにそのメカニズムに炎症や「BDNF遺伝子」が関与する可能性を見出したと共同で発表した。

同成果は、NCNP 精神保健研究所の金吉晴所長、同・行動医学研究部の堀弘明室長、同・伊藤真利子研究員(現・北海道大学 環境健康科学研究教育センター 特任助教)、同・林明明研究員、NCNP 神経研究所 疾病研究第三部の功刀浩前部長(現・帝京大学医学部 精神神経科学講座 教授)、金沢大 国際基幹教育院(臨床認知科学研究室)の松井三枝教授らの共同研究チームによるもの。詳細は、国際精神医学誌「Translational Psychiatry」にオンライン掲載された。

幼少期に虐待やトラウマ体験を経験すると、ネガティブな情報に対して過度に注意を向けるという注意バイアスが強くなりやすいと考えられてきた。しかしその一方で、ネガティブな情報に対して逆に注意を過度に逸らしやすくなるという報告もなされることもあり、見解が分かれていたという。

そこで共同研究チームは、幼少期に虐待体験を受けると、ネガティブな情報に対し、ある時には注意を過度に向け、またある時には注意を過度に逸らすといったような、ネガティブな情報に対する注意の向け方が不安定で一貫性がなくなる「注意バイアス変動性」を呈するのではないかと考察。

その理由は、生命を脅かすような恐怖体験を経たのちに発症することのある「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」患者では、そうした注意バイアス変動性が大きいことが知られているからだ。そのような注意の不安定な向け方によって、トラウマに関連した症状が強まることが想定されているからだという。

そこで今回、「ドット・プローブ課題」という注意バイアスを捉える実験課題を用いて、健常成人における幼少期被虐待体験と注意バイアスおよびその変動性の関連について、共同研究チームの立てた仮説の検証が行われた。

  • 注意バイアス変動性

    Dot-probe課題と注意バイアス/注意バイアス変動性指標 (出所:NCNP Webサイト)

そして、NCNPが主幹研究機関として共同研究機関とともに実施しているゲノム・バイオマーカー・心理臨床指標を包含したトラウマ/PTSD研究プロジェクトにおいて収集中のデータおよびサンプルの一部を用いて実施された。

また被験者は、128名の健常成人女性ボランティアを対象とした。平均年齢は36.4歳(範囲:20~64歳)で、全員が日本語を母国語とする。各被験者に対して簡易的な構造化面接が行われ、精神疾患に罹患していないことが確認されたうえで実施された。

さらに、被験者の幼少期被虐待体験は、自記式質問紙である幼少期トラウマ質問票(Childhood Trauma Questionnaire)によって評価が実施された。注意バイアスとその変動性がドット・プローブ課題による測定である。さらに採血も行われ、血液中の炎症性物質である「腫瘍壊死因子-α(TNF-α)」、「インターロイキン-6(IL-6)」、「高感度C-reactive protein(CRP)濃度」を測定するとともに、血液からDNAを抽出してPCR法によりBDNF遺伝子Val66Met多型の解析が行われた。

ちなみにドット・プローブ課題は、まずモニター上に視覚刺激のペア(今回は「中立語」と「ネガティブ語」)が提示され、その直後、ペアのいずれかと同じ位置に、反応すべき刺激(=プローブ。今回は「→」または「←」)が提示される。被験者は、そのプローブに速く正確に反応するという内容だ(今回は「→」または「←」のキーを押してもらう)。

仮に注意バイアスがあるとすれば、ネガティブ語と同じ位置に直後に現れたプローブに対しては素早く反応しやすい(反応時間が短い)が、中立語と同じ位置に直後に現れたプローブに対しては反応に時間がかかる(反応時間が長い)と予想された。そのため、2つの反応時間の差を注意バイアスの程度と考えることが可能だという。注意バイアス変動性は、一人ひとりの研究参加者について実験全体を8つの区間に分けて各区間の注意バイアスが求められ、そのうえで区間の間におけるバイアス変動の大きさ(=標準偏差)として求められた。

さらに、これに関連した生物学的メカニズムを調べるため、炎症と、記憶・学習に重要な働きをする「脳由来神経栄養因子(BDNF:brain-derived neurotrophic factor)遺伝子」にも着目。BDNF遺伝子は、神経細胞の成長や生存、シナプスの機能、神経伝達などを調節するタンパク質をコードする遺伝子だという。

これは、幼少期トラウマによって身体の軽度慢性炎症が惹起されることや、炎症とBDNF遺伝子はいずれも認知機能に関連することが示されているためだという。例えば共同研究チームの先行研究においても、PTSD患者においてBDNF遺伝子の「一塩基多型(SNP)」の「Val66Met多型」が記憶バイアスに関連することが示されているという。Val66Met多型は、66番アミノ酸がバリン(Val)からメチオニン(Met)に置き換わる多型のことで、細胞からのBDNF分泌低下につながる機能多型であり、種々の精神疾患や記憶・学習・注意機能との関連が報告されている。

結果として、幼少期情緒的虐待と注意バイアス変動性の間に有意な正の相関が認められたとする(p=0.002)。これが共同研究チームの当初の仮説を支持するものとなったという。

  • 注意バイアス変動性

    幼少期情緒的虐待は、注意バイアス変動性と有意な正の相関を示すことが確認された (出所:NCNP Webサイト)

血中TNF-α濃度も、注意バイアス変動性と有意な正の相関を示すことが確認された(Spearman's ρ = 0.302, p < 0.001)。それに対し、血中IL-6濃度と高感度CRP濃度については、注意バイアスや注意バイアス変動性とは有意な相関を示しなかったという。

さらに、BDNF遺伝子Val66Met多型のMet対立遺伝子を多く有するほど、注意バイアス変動性が有意に大きくなること、またMet多型を有する人が幼少期情緒的虐待を経験することで、注意バイアス変動性がさらに大きくなることが示されたともしている。

  • 注意バイアス変動性

    (a)Val/Val群(n=40)、Val/Met群(n=52)、Met/Met群(n=15)の間で注意バイアス変動性を比較する、ドットプロットに重ねた箱ひげ図。アスタリスクは、Met対立遺伝子の数が増えるにつれ注意バイアス変動性が有意に大きくなることが示されている(p=0.021:Jonckheere-Terpstra trend testによる)。(b)注意バイアス変動性についての、Val66Met多型と幼少期情緒的虐待の交互作用。被験者は、Childhood Trauma Questionnaireの情緒的虐待項目のカットオフ得点(8/9)に基づき、「情緒的虐待あり」もしくは「情緒的虐待なし」群に分類された。エラーバーは標準誤差を示したもの。アスタリスクは、Val66Met多型と幼少期情緒的虐待の交互作用が有意であることが示されている(p=0.022:2元配置分散分析による) (出所:NCNP Webサイト)

なお、今回の研究の意義について共同研究チームは、健常成人女性において幼少期の情緒的虐待体験が注意バイアス変動性に関連することを初めて見出した点にあるとしている。また、そのメカニズムに炎症やBDNF遺伝子多型が関与する可能性についても示される結果について、BDNF遺伝子多型のMet対立遺伝子は、Val対立遺伝子に比べて注意バイアス変動性が大きいという結果が得られたが、これはValに比べMetは細胞からのBDNF分泌低下を呈するためと考えられるとしており、これらの成果をもとに、今後、男性例での検討のほか、注意バイアス変動性の治療法についての研究が進むことが期待されるとしている。