東北大学は、弱い圧力を加えたシリコン中のホウ素原子に束縛された正孔において、非常に長いコヒーレンス時間を観測したと発表した。この発見により、従来の知見を覆し、強いスピン軌道相互作用と長いコヒーレンス時間が両立可能であるということを示すと同時に、シリコン中のホウ素原子によって量子ビットを形成することで、スピン軌道相互作用を利用した高い機能性と拡張性を実現できることも示されたという。

同成果は、同大学大学院理学研究科の小林嵩 助教(研究当時、現在は理化学研究所 創発物性科学研究センター研究員)らの国際共同研究グループによるもの。詳細は、英国科学誌「Nature Materials」(オンライン)に掲載された。

現在、大規模な量子コンピュータを開発する上で、長いコヒーレンス時間と既存の半導体製造設備との親和性から、半導体中のスピンを用いた量子ビットが特に注目されている。コヒーレンス時間とは、量子情報技術においては、量子情報を保持する時間の長さに等しい。

電場を介して行う量子ビットの制御については、これまで強いスピン軌道相互作用を持つ材料で、量子ビットを形成する試みがなされてきた。スピン軌道相互作用とは、スピンと軌道角運動量の間の結合係数のことで、スピンに対して電場との結合を与えるために利用されている。

しかし、このような材料で形成された量子ビットでは、コヒーレンス時間が100nsから1μs程度と短く、量子コンピュータに利用するのが困難だった。強いスピン軌道相互作用と長いコヒーレンス時間の両立は大きな課題だったのである。

そこで小林助教らは、同位体濃縮で得られたシリコン28(28Si)結晶中のホウ素不純物原子に束縛された正孔を着目した。正孔とは、半導体の電子の穴を電子とは反対の正の電荷とスピンの自由度を持った仮想の粒子のことである。

ホウ素原子に束縛された正孔では、ホウ素原子の空間的に対称性の高い閉じ込めポテンシャルを反映して、特異なエネルギー準位配置が実現するという。また、このエネルギー準位配置では、外場によってスピン軌道相互作用を制御することが容易であるというメリットがある。今回の実験では、薄い28Si結晶にわずかな歪みを加え、スピン軌道相互作用の調整が行われた。

実験では、ホウ素不純物を含んだ厚さ50μmの28Si結晶と、厚さ1mmの溶融石英板がエポキシ接着剤によって張り合わされた試料が使用された。室温では28Si結晶に歪みはないが、低温では28Si結晶と溶融石英の熱膨張係数の違いのため、28Si結晶側が貼り合わせ面に対して並行に引き延ばされる形で歪みが加わる仕組みである。

そしてコヒーレンス時間の測定が行われたところ、一般的なスピン量子ビット測定と同等の極低温において、ホウ素原子に束縛された正孔が0.9msというコヒーレンス時間を持つことが確認された。歪みを加えていない28Si結晶では23μsしか持たないことから、歪みを加えてスピン軌道相互作用を制御したことで、コヒーレンス時間が改善されたのである。さらに、電磁場の揺らぎの影響を抑えた場合、コヒーレンス時間は10倍の9msまで延長されたことも確かめられた。

今回観測されたコヒーレンス時間は、従来のスピン軌道相互作用を持つ量子ビットと比較して1万~10万倍という長い値であることなどから、量子技術への応用において有望だという。つまり、強いスピン軌道相互作用を持つ正孔系で、長いコヒーレンス時間を両立する量子ビットの実現の筋道を立てたというわけである。

また、スピン軌道相互作用を持つ量子ビットは、単純なデバイス構造で実装できることから、今回の成果は多数の量子ビットの集積を容易にするという。そして、大規模な量子計算をする上で重要となるのが、量子ビット間の長距離結合だ。今回の成果は、それを実装する上でもメリットがあるとしている。

小林助教らは、これらのスピン軌道相互作用の利点を、コヒーレンス時間を長く保ったまま利用できる可能性を示せたという点で、今回の研究成果により将来の半導体量子コンピュータの開発に新たな道筋を示すことができたとしている。

  • 東北大

    今回の研究の試料の概略図。28Si結晶とエポキシ接着剤で張り合わされた溶融石英 (出所:東北大Webサイト)