放射線医学総合研究所(NIRS)は8月1日、同研究所で開発されたPET薬剤「[11C]ITMM(N-[4-[6-(isopropylamino)pyrimidin-4-yl]-1,3-thiazol-2-yl]-4-[11C]methoxy-N-methylbenzamide)」を用いて、脳梗塞の前段階といえる、一時的に血流が止まった状態を引き起こしたモデルラットにおいて、血流が一時的に止まった部位での神経細胞のダメージの画像化と治療薬の治療効果確認に成功したと発表した。

成果は、NIRS 分子イメージング研究センターの由井譲二技術員らの研究チームによるもの。研究の詳細な内容は、日本時間8月6日付けでAmerican Stroke Associationの学会誌「Stroke」に掲載された。

[11C]ITMMが特異的に結合する物質は「代謝調節型1型受容体(mGlu1)」と呼ばれるタンパク質だ。このタンパク質は神経細胞膜上にのみ存在し、通常状態では神経伝達物質の調節といった重要な役割を果たすが、脳梗塞などの脳神経疾患で脳に障害が発生した場合、神経細胞死が起きる事象の発端を司ることが知られている。

このタンパク質が、特定の部位で減少することはその部位の神経細胞が何らかのダメージを起こしているといえるため、このタンパク質の存在量を画像化することは、脳梗塞、パーキンソン病、ハンチントン病、アルツハイマー病、統合失調症なども含めた脳神経疾患の病態解明、および神経細胞の保護を目的とした治療薬研究にとっては重要な研究課題だ。

そのため、これまでにmGlu1を画像化するためのPET薬剤が数多く開発されてきた。NIRSでもmGlu1の脳内分布を画像化するため、多くの新規PET薬剤の開発が進められ、これまでの薬剤よりも目的のタンパク質に対する高い結合能と選択性を持ち、体内での適度な安定性を兼ね備え、ヒトへの使用に堪えうるものとして合成に成功したのが、[11C]ITMMというわけだ。

[11C]ITMMはヒト脳に対する世界初の臨床研究が行われており、今回の研究では、同PET薬剤が脳梗塞の前段階状態のモデルラット脳におけるmGlu1の画像化に有効かどうか、また脳保護治療薬「ミノサイクリン」の投与による治療効果を画像化できるかどうかが検証された。

今回の研究では、画像1に示すタイムスケジュールでPET撮像を実施。まず、正常ラットにPET薬剤を投与し脳のPET撮像が行われ(画像1のA)、次に別のラットに対して脳の片側の血管に30分間ほど血流が一時的に止まった状態を模擬する外科手術を行い、1、2、4、7日を経過した時点で、PET撮像が行われた(画像1のB)。

一方、ミノサイクリンの効果を確かめるために別のラットに対し同様に外科手術を行い、治療薬を連日投与しつつ、手術後1、2、4、7日を経過した時点で、PET撮像が行われた(画像1のC)。なお対照とするラット(画像1のB)には注射の影響を揃えるためにミノサイクリンを投与する際に用いたものと同じ生理食塩水が投与されている。

画像1。実験のタイムスケジュール

その結果、正常ラット脳においては、「線条体」(大脳の皮質下構造で、「大脳基底核」の主要な構成要素の1つで、運動機能への関与が知られる)と大脳皮質において、PET薬剤の集積が認められた(画像2のA)。また、脳疾患モデルラット脳のPET画像では、正常側に比べて手術が行われた側(矢印)にある線条体および大脳皮質において、時間の経過と共にPET薬剤の集積の低下が見られたのである(画像2のB)。これは、疾患部位で神経細胞のダメージが進行していることを示唆するという。

さらに、PET画像がmGlu1に起因するものかどうかを確認するため、手術後7日経過した後、mGlu1とPET薬剤の結合を妨げる薬剤をPET薬剤と同時に投与することが行われた。その結果、脳内におけるPET薬剤の集積がほぼ消失したことから、PET画像で見られたシグナルは主にmGlu1の存在量を反映していることが証明されたのである。

一方、治療薬のミノサイクリンを連日投与すると、治療薬を投与しなかったラット(画像2のB)に比べPET薬剤の集積の低下が緩やかになることが確認された(画像2のC)。これは、治療薬投与により疾患部位で神経細胞のダメージが抑えられたことを示唆するとしている。

画像2。PET撮像の結果図

処置した部位でのmGlu1の局在を確認するために、PET撮像実験とは別に作成した脳疾患モデルラットに対し、脳の「オートラジオグラフィー実験」が行われた。オートラジオグラフィーとは、組織切片などのサンプル上に結合した放射性物質から放出される放射線を画像化する技術のことをいう。今回の研究では、生きているラットのさまざまな影響(血流や体温)を排除して、脳の切片にPET薬剤がどのように結合するかが画像化された。

手術後、1日、2日、7日後に脳切片を作成し、オートラジオグラフィーが行われた結果、時間と共に手術した側(矢印)におけるPET薬剤の集積の低下が見られ(画像3・中)、その傾向はPET画像と一致した。また、治療薬を連日投与して7日目にオートラジオグラフィーが実施されたところ、PET薬剤集積低下が起こらず、顕著な抑制効果が見られたのである(画像3・右)。さらに、免疫染色などを用い疾患部位におけるmGlu1の存在量も確認され、手術後にmGlu1は減少するが、その減少はミノサイクリン投薬により穏やかになったことが確認され、それらはPET画像の集積変化と完全に一致した。

画像3。オートラジオグラフィーの結果

今回のPET薬剤を用いた撮像でmGlu1を画像化することにより、神経損傷の度合いを早期段階においていち早くとらえることができ、また治療薬の効果をモ二タリングできることが証明された形だ。さらにミノサイクリンが持つ脳保護作用のメカニズムは、疾患部位におけるmGlu1の減少を抑制することであることも証明された。このことはmGlu1をPETで画像化することで神経細胞の活性度を評価することが可能であることを意味するという。

また、今回の撮像は、MRIなどによる通常の脳代謝の画像化に比べ、神経損傷に対し、より本質にせまる診断ツールになりえ、血流が一時的に止まった脳における早期および微小な変化をとらえるれことが示された。さらに、今回の手法は、脳梗塞の治療薬を開発する際の、抗神経炎症薬および血栓溶解薬などによる治療効果の評価にも応用できる可能性が考えられるという。そして今回の研究成果は、脳梗塞を初めとする各種の脳神経疾患の発症、進行の機序解明および脳保護治療薬の開発と治療効果判定に関して有効な手段となると期待されるとしている。