クラウド利用が事業のあらゆる場面に浸透するなか、運用コストの管理が経営課題として大きな比重を占めるようになっている。その背景にあるのは、為替変動やベンダー各社の料金改定、AI活用の拡大など、コストが変動する要因の多様化だ。
5月27日に開催された「TECH+セミナー クラウドインフラ 2026 May. クラウド運用の落とし穴~コスト・セキュリティ・人材不足を克服する~」では、ソニー 技術センター 設計DX部門 AI & Cloud Center of Excellence 共通サービス設計課/SREの松野晴貴氏が登壇。「FinOpsを通じて考えるクラウドコストとの付き合い方」と題して、同社が実践するFinOpsとAI時代への応用について語った。
クラウドコストは何もしなければ増え続ける
松野氏は冒頭、クラウドコストが日々変動する要因を、内部要因と外部要因に分けて説明した。内部要因には、事業成長に伴う売上の増加や顧客増、新サービスの追加、それに連動するクラウドリソースの増加などがある。
外部要因として挙げられたのは、為替レートの変動、クラウドベンダーの料金改定、セキュリティ要件への対応強化などだ。これらの影響は大きく、何も対策をしなければ、想定ラインを超えてコストが膨らみ続けるリスクがあるという。
外部要因の多くは自社で制御することが難しい。だからこそ、「自分たちでコントロールできるところを見極め、コストを最小限に抑えることが重要だ」と同氏は強調した。
ビジネスを継続するためには、収入を増やすか、支出を減らすかの2つしかない。クラウドコストの適正化は後者における重要な取り組みであり、新しいサービスの開発や顧客獲得と同じく、事業の収益性を高めるための経営上のアプローチとして位置付けるべきだ。
クラウドコスト管理の鍵となるFinOpsとは
ここで松野氏が挙げたキーワードが「FinOps」だ。これは「コストを見える化し、価値ある使い方に変えていく取り組み」のことである。
「特定の部署だけではなく組織全体でコストに向き合い、感覚ではなくデータに基づいて判断をしていくことが重要です」(松野氏)
FinOpsの要点を3つに集約すると、「全員で取り組む」「ビジネス価値で優先度を決める」「データで意思決定する」となる。
同氏によると、この3つの考え方こそが、クラウドコストを戦略的にコントロールする土台だという。
加えて重要になるのが、FinOpsは一度きりの施策ではない点だ。データを収集して現状を把握する「可視化」、データに基づいて効率と価値を最大化する「最適化」、最適化された状態を継続的に改善していく「運用」。FinOpsで効果を得るには、この3つのフェーズで構成されたサイクルを継続的に回し続けることが必要だ。
可視化は「誰の何のコストか」の把握から始まる
可視化フェーズの第一歩は「コストの分離」である。同じアカウント内で全てのサービスを動かしていると、何にどれくらいコストがかかっているかの把握が難しい。
ソニーではサービスと環境を掛け合わせてアカウントを分割する方針をガイドライン化しており、サービス別・環境別に分けて運用している。アカウント分割が難しい場合は、タグでコストを分離する方法も推奨されているそうだ。
分離できたら、次は「見えている状態をつくる」段階に進む。まずはクラウドベンダーが無料で提供しているコストダッシュボードから始めるのがよいと松野氏は説明した。より細かい粒度で分析する場合は、BIツールや自前のレポート機能を使う選択肢もあるが、いずれも費用や保守コストが発生するため、目的に応じた使い分けが必要になる。
可視化に加えて欠かせないのが、異常を早く検知する仕組みだ。コスト異常は、設定ミスによるリソースの大量起動、アプリケーションの無限ループ、セキュリティインシデントなど、さまざまな要因で発生する。
同社もこうした要因によるさまざまな問題に直面してきたという。だからこそ、異常検知、原因の特定、対策の実施というサイクルを回すことが重要なのだ。
それと同時に、検知した情報を必要な人に必要なかたちで届ける仕組みも重要となる。予算超過のアラートであれば予算に責任を持つマネージャー向けに、緊急度の高い異常検知であれば開発者向けに、といった具合だ。
「受け手の業務の動線に合わせて情報を届けることが、アラート疲れを防ぐ鍵になります」(松野氏)
加えて同氏が指摘したのが、「コストをかける価値があるかどうか」も可視化するという観点である。
ソニーでは横軸に顧客価値、縦軸に運用コストをとったグラフに各サービスをマッピングし、運用方針を検討している。顧客価値が高く運用コストも安いサービスは継続、顧客価値は高いが運用コストもかかっているサービスはコストを改善、顧客価値が低く運用コストばかりかかっているサービスは終了の検討に進む、といった考え方で分類しているという。
「クラウドサービスは始めるのは簡単でも、やめるのはなかなか難しい場合があります。だからこそ、やめるための指標をサービス開始前に検討しておくことが重要だと考えています」(松野氏)
最適化は「集中」、運用は「習慣」で取り組む
最適化フェーズで松野氏が重視するのは、「全てに対応しない」ことだ。コストの大部分は一部のリソースやサービスに集中しているケースが多いため、80:20のパレートの法則に従って、費用対効果が高いところから集中的に取り組む。実際、ソニーのS3バケットやEBSスナップショットのコスト分布を見ても、上位数件がコストの大部分を占めていたそうだ。
改善対象を絞ったあとは、手法の検討に進む。同社では改善効果、難易度、対応工数を評価指標として優先度を決めている。例えば割引プランの適用は、改善効果が大きく難易度も対応工数も小さいため、優先度を最も高く設定する。一方、アーキテクチャ全体の見直しは、効果は大きいものの工数も難易度も大きく、優先度は低くなる。
ただし、最終判断は技術的負債の解消や開発者体験の向上など、表に現れない効果も加味して考える。
「合理的に意思決定できる状態をつくっていくことが大事になります」(松野氏)
では、同氏が挙げた最適化の具体的な手法とは何か。
一つは、前述の割引プランの適用である。加えて不要リソースの削除と、アーキテクチャの見直しがある。
不要リソースの削除については、「本番環境で不要と判断したデータを削除したら一部のクライアントに使われていた」という過去の事故経験を踏まえ、削除よりも「不要リソースを発生させない仕組み」の整備が重要だと松野氏は説明した。そのために、リソース作成時のタグ付与、未使用リソースの定期検出、ベンダー機能を使った自動削除といった予防的なアプローチを取り入れているという。
最後に運用フェーズだ。可視化や最適化を行っても、それを継続的に回せなければ一時的な効果で終わってしまう。
そこで同社が取り組むのが、月次のコストレポートの活用である。これは、各アカウント管理者がコスト増減の理由を明確にする仕組みで、まずAIにコスト増減のサマリを出してもらい、各管理者がそれを参考に状況を記入する。記載内容は定例会で確認し、必要に応じて対策を議論する。あわせて、コスト意識を共有するために、モニターにコストダッシュボードを表示し、メンバー間で改善案を議論する場も設けている。
「担当者自身がコスト増減の理由を考える習慣が、コスト意識を根付かせる鍵になります」(松野氏)
AI時代のコスト管理にもFinOpsは有効
AI時代に入り、コスト変動の要因も変わってきている。その一つが、AIエージェントの台頭だ。自律的にタスクを進める際、APIコールやモデル推論、トークン消費といったコストをAIエージェント自身が積み上げてしまうためである。また、プロンプトの書き方やモデルの選択によって、同じタスクでも消費トークンが大きく変わることもある。
「利用者のリテラシーがコストに直結する点が、従来とは異なる新しい課題になります」(松野氏)
具体例として紹介されたのが、ソニーの組織内にClaude Codeを導入した事例である。Claude Code活用の拡大に伴って、バックエンドで利用しているAmazon Bedrockの料金は右肩上がりに増えていった。
ここで「コストが増えているからダメ」と判断するのは短絡的であり、コストの増加に見合った価値が得られているかを評価する必要があると松野氏は強調した。
評価のために実施されたのが利用者へのアンケートだ。コーディング時のイライラ軽減や繰り返し作業の迅速化など、ほぼ全ての設問で肯定的な回答が多数を占めたという。
また、1日あたりの作業短縮時間も、1人につき1時間以上に上ることが分かった。空いた時間はより上流の工程に使えるため、業務効率は大きく向上する。これらを考慮すると、Claude Codeを使い続けるほうがコスト的に有利と判断できるわけだ。
ただし、現状のコストが適切かどうかは別問題だ。そこで同社では、いくら使ったかだけでなく、どう使っているかを可視化する取り組みも進めている。例えば、セッションが長すぎてコンテキストがたまっていないか、同じファイルを何度も読んでいないか、どんなタスクにも高性能なモデルばかり使っていないか。こうした観点で分析して初めて、最適化の議論ができるのだ。
可視化の結果、使い方の課題が見えた場合はFinOpsのサイクルに倣って運用改善を進めていく。このとき同氏のチームが軸にするのが、「ガイドライン」と「ハーネス」の組み合わせだ。
ガイドラインは、人が守るべきルールである。具体的には「1セッションを1タスクで完結させる」「上流工程には高性能なOpus、下流工程には安価なSonnetを使う」といったものだ。
ただ、人が確実にルールを守れるとは限らない。そこで、守れなかった場合にシステム側で補うのがハーネスである。タスクが変わったら別セッションに誘導したり、ルータを挟んで適切なモデルを自動選択したり、トークンが増えたら自動で圧縮したりする。
松野氏によれば、こうしたシステム制御の発想は、AIの出力品質や安全性を担保する「ハーネスエンジニアリング」と呼ばれる考え方をコスト最適化に応用したものだという。
「人が守るべきことをガイドラインで定義し、人が守れなくても仕組みで制御していくことが、AI時代のコスト管理において重要なアプローチではないかと考えています」(松野氏)
講演の最後に、同氏は「クラウドコストはさまざまな要因で変動し続ける。だからこそ、コストを見える化して、ビジネス価値で判断し、全員で改善に取り組むことが重要」と述べ、「仕組みと文化の両面で支えていくことが、クラウドコストと上手に付き合う秘訣だ」とまとめた。
FinOpsの考え方は、コスト変動の複雑性が増すAI時代においてますます重要性を増していくだろう。まずはコストを可視化し、最適化を行い、運用のサイクルを回していくことが大切だ。また、仕組みだけでは形骸化し、文化だけでは属人化するため、両方が必要になることも、押さえておくべきポイントと言えるだろう。

