30年以上病理診断に携わってきた東京大学 大学院医学系研究科 佐々木 毅特任教授。乳がんの治療方針を決定するためのコンパニオン診断に関する研究を行うなど、1人ひとりの患者にあった最適な治療方法を選ぶ「プレシジョン・メディシン」の推進に貢献してきました。

近年では、日本における病理医不足の問題を解決するため、遠隔病理診断やAI(人工知能)病理画像診断の導入に向けた活動にも積極的です。今回は、こうした病理診断の現場におけるIT活用に向けた取り組みや、医療経済的な視点から見たプレシジョン・メディシンの重要性などについて佐々木特任教授にお話を聞きました。

  • 東京大学 大学院医学系研究科 佐々木 毅特任教授

テクノロジーだけでは解決しない病理医不足、仕組みづくりに奔走

患者から採取した細胞や組織の一部などを顕微鏡で観察し、がんなどの病気の有無やその進行度合いを診断する病理医の人手不足が深刻化しています。日本全国の病理専門医の数は約2,500名です。400床を超える基幹病院ですら病理医が1人もいない病院が多数存在するという状況が発生しています。

特にがんに対する外科手術や投薬といった治療は、病理医の診断に基づいて決定されることが多く、病理医による診断がなければがん治療に進むことができません。早期発見が求められるがん治療において、病理医の不足によってその判断が遅れる可能性があるということは、患者にとっても深刻な問題です。

近年、こうした状況の解決に向けて、遠隔病理診断やAI病理画像診断などを行うための技術が注目を浴びています。遠隔病理診断は、病理組織標本(プレパラート)を撮影しデジタル化した画像を送信することで、画像転送先からの遠隔での病理診断を可能とするものです。

佐々木氏は、そのメリットについて「従来、遠隔での病理診断を行うには、プレパラートを病理医のいる施設へ航空便等で送る必要がありました。しかしそれでは、診断結果を確定して患者に報告するまでに数日の時間がかかってしまいます。デジタルであれば瞬時に診断結果を伝え、治療に移ることができます」と説明します。

また、AI病理画像診断システムは、病理の診断結果をAIがダブルチェックすることで病理医の負担を軽減し病気の見逃がしを防ぐことに繋がるなど、より精度の高い診断に役立てることができます。このように、近年では病理医不足の状況を最先端のテクノロジーがサポートできるような時代になってきていますが、佐々木氏はその普及には文化や制度の壁があるとします。

「現場の医師たちの要望は強くありますが、ITの導入に対してはインフラの整備に多額の資金が必要となるので経営サイドからストップがかかるケースが多いです。ITを活用した医療行為に対して診療報酬上の評価を行うなど制度を整えていかなければ、導入は進んでいかないと考えています」(佐々木氏)

佐々木氏は、IT導入における壁を医療政策の観点から取り払うべく、日本病理学会で診療報酬を扱う社会保険委員会の委員長としてそのあり方について検討し、制度改正に向けて厚生労働省など国の機関に対して働きかけています。2018年度の診療報酬改定では、遠隔病理診断も評価の対象となりました。

「IT導入が進んでいかない状況を、国の政策という観点から変えていくという方法はあっても良いと考えています。そのわかりやすい例のひとつが、診療報酬の改定です。診療報酬上のメリットがあれば、医療機関はIT導入を検討しやすくなるでしょう。遠隔病理診断を活用した医療が普及すれば、患者の治療を早く開始することができ、その結果早期の社会復帰が達成され、医療費の削減に繋がる可能性もあります。このように、医療現場におけるITの活用は、医療経済全体の問題として考えていく必要があります」(佐々木氏)

適切な病理診断を行うことは、患者にとってはもちろん医療経済的にも大切

病理診断の重要性を実感し、医療現場や政策などの視点からその状況の改善に向けて取り組んできた佐々木氏。そして、乳がん診断を専門に、1人ひとりの患者にあった最適な治療方法を選ぶプレシジョン・メディシンの推進に貢献してきた病理医でもあります。

プレシジョン・メディシンの推進に取り組んでいるのは、現場の医師だけではありません。アジレント・テクノロジーは、20年ほど前から乳がんにおける代表的な分子標的治療薬ハーセプチン投与の可否を判断する診断薬を提供してきました。HER2遺伝子増幅またはHER2タンパク過剰発現が認められる乳がんの場合、HER2タンパクの働きをブロックする分子標的薬の使用が有効である可能性が高いです。乳がんの分子標的薬のひとつであるハーセプチンを投与するにあたっては、アジレントが提供する診断薬(ダコ HercepTestⅡ:販売名)などによって、その効果を予測します。

「コンパニオン診断は、検査結果をそのまま治療に反映できるものとして医療現場に普及しています。たとえば乳がんのHER2検査で陽性となった場合は、標準治療が用意されていますので、患者は乳がんのタイプに合った適切な治療を受けることができます」(佐々木氏)

乳がんのHER2遺伝子検査は、1回の検査で1つの遺伝子変異を調べるものですが、近年では遺伝子の塩基配列を高速に読み出せる次世代シーケンサーが普及してきたことで、多数の遺伝子変異を網羅的に短時間で検出できるようになってきました。日本では、国立がん研究センターが、がんに関連する114個の遺伝子変異と12個の融合遺伝子変異を1回の検査で調べることができる遺伝子パネル検査を開発し、保険収載されています。

がんの種類が異なっても同じ遺伝子に変異がある場合や同じ分子標的薬が有効な場合もあるため、標準治療のない患者や、標準治療の効果がなくなった患者については、遺伝子パネル検査によって個々の患者のがん組織の遺伝子変異に対応した薬を選択し、治療を行うことができます。遺伝子パネル検査により、標準治療の効果がなくなった患者のうち約10~15%は、別の医療が適用できるということがわかってきています。

しかし佐々木氏は、「今回遺伝子パネル検査に適用された2回に分けての保険請求の仕方では、遺伝子パネル検査を受けられる患者が限られてしまい、医療の不平等が発生する可能性があります。医療制度が”足かせ”となって、検査の結果をもとに適切な治療を受けることができたはずの患者のチャンスが奪われるということになりかねません」と、ここにも保険診療制度上の課題があると指摘します。

こうした問題の根本には、検査や診断に対してお金を掛けないことを美徳とする文化があるとする佐々木氏。効果があるかどうかわからないまま薬が処方されてしまっているケースも多くあるといいます。

「効かない患者に薬を投与しつづけることは、副作用のリスクがあるだけでなく社会復帰が遅れてしまうなど、社会経済的な損失にも繋がります。医療や技術が発展しても、それを必要とする人のもとに届けられないのであれば意味がありません。診断が適切に行われ、そして適切な診療報酬で適切な患者が適切な治療を受けられるよう、日本全体として考えていく必要があります」(佐々木氏)

これからも、佐々木氏はプレシジョン・メディシンの推進に向けて、より良い医療の仕組みづくりに奔走していきます。

[PR]提供:アジレント・テクノロジー