大手化学メーカーのクラレと、ITを使った試作と小ロット生産を行うプロトラブズ。一見結びつかないように見える両社だが、実は、その関係が今後の樹脂業界の開発の鍵を握るという。クラレが開発した新素材「クラリティ」を軸に、その「クラリティ」のマーケティングチームのリーダーである松本章氏と、プロトラブズ社長トーマス・パン氏との対談が行われた。本稿では前後編の2回にわたって、その内容をお伝えしよう。

(右)プロトラブズ合同会社社長&米Proto Labs, Inc.役員 トーマス・パン氏
(左)株式会社クラレ イソプレンカンパニー エラストマー事業部 クラリティ事業推進部 マーケティングチームリーダー 松本章氏

新素材「クラリティ」が魅せる新たなカタチ

トーマス・パン氏(以下 パン氏):松本さんとは既に何度かお会いしているんですが、改めてこの新素材「クラリティ」の特徴についてご説明いただけますか?

松本章氏(以下松本氏):はい。「クラリティ」は、一言で表現すると「曲がるアクリル」です。アクリルは、たとえば水族館の水槽に使われている素材です。堅くて透明で、キラッとした光沢感を持っています。「クラリティ」も一見、堅そうな姿をしていますが、ねじったり、ぐいっと曲げたりすることができます。

パン氏:アクリルは確か「プラスチックの女王」でしたか。

松本氏:ええ、素材としての美しさから、そう呼ばれています。「クラリティ」はその "女王様" の堅いイメージを覆す素材なんです。サンプルに初めて触れるほとんどの人が驚くのですが、実はねじ曲げても大丈夫。そのギャップと、見た目の美しさが、提供したいバリューです。

パン氏:私も、初めて見た時、とても画期的な素材だと感じました。綺麗に輝いているのに、曲げることができる。極めて特徴のある材料ですよね。

松本氏:逆に、物性面での凄さはありません。"見た目" 勝負とも言えます。透明度が非常に高いので、「クラリティ」を使ったスマートフォンケースを量販店様に納入したところ、そのお店から「中身が入ってないじゃないか」とクレームが入ったこともあったそうです(笑)。

パン氏:透明パッケージの中身が、透明すぎたわけですね(笑)

新素材を生むDNA

パン氏:「クラリティ」は、どういう開発の経緯だったのでしょうか。

松本氏:もともとのきっかけは、粘着剤つまり「糊」の原料の開発なんです。各種テープやラベルのうち、貼って剥がせるようなタイプの糊は水系アクリル粘着剤を用いた「糊引き」というプロセスで製造するのが主流なのですが、乾燥等の製造プロセスに時間がかかっています。粘着剤の性能を落とさず、より生産効率の高いホットメルト型の粘着剤ができないか、という挑戦が出発点です。この挑戦の中で誕生したのが「クラリティ」でして、モノのかたちを作る成形加工とは無縁の所からのスタートでした。

しかし、開発の途中で「この技術を使えば曲がるようなアクリル樹脂が作れるんじゃないか。そういうアクリル樹脂があれば面白いんじゃないか」という発想が生まれました。

そもそもクラレは、「世のため人のため、他人(ひと)のやれないことをやる」という企業文化を持っている会社です。コモディティではなくスペシャリティ。他社がやろうとしない所をやるのが、弊社なんです。何か新しいもの、もっと面白いものを作りたい。そういうDNAから、「クラリティ」は生まれました。

パン氏:そのDNA、カッコイイとしかいえませんね。糊という2次元、つまり平面の世界から、カタチとしての3次元へ進化している。いわば「化学の3次元化」を達成したわけですね。

松本氏:なるほど、上手い表現ですね(笑)

パン氏:「クラリティ」は、すでに御社の工場で量産されてますが、工業化の上では、どんな苦労があったのですか?

松本氏:工業化のつらさは、セオリーと現実とが一致しないことです。もちろん科学的なアプローチでやっているので、「1+1=2」になるはずなんですが、工業化のためにスケールアップをすると、想定外に変数がいろいろ入って全然違うモノになってしまうんです。それをどう排除して「現実を理論に近づける」か、そこが一番難しいところです。言ってしまえば、トライ&エラーなんですが。

大学の研究室に行けば、もっと凄い素材がたくさんあるのですが、それを工業化するとなると、まったく別の技術が求められるのです。

パン氏:「クラリティ」の生産工場は日本国内にありますが、コスト重視で海外で作ることは検討されなかったのでしょうか。

松本氏:まず日本です。化学産業は、素材を作る機械があれば、どこでもできるんじゃないかと思われるかもしれませんが、やっぱり人の手を掛ける必要があります。そうしないと、同じ装置でも均一で安定した品質の素材は製造できません。

規模の拡大とそれによるコスト面でのスケールメリットを求め、日本で事業化したプラント設備をただ海外に持っていってもうまくはいきません。世界のどこでも生産することを可能にするには、十分な生産数量に裏付けされた深い経験と、それに基づいた生産システムを構築する必要があるんです。「クラリティ」の場合は、革新的な重合技術に基づく新規素材であり量産の難易度を考慮して、まず日本で経験を重ねることを重視しました。

「使えない」素材が世界トップシェアへ

パン氏:私も化学メーカーにいたことがあるのでわかるのですが、新たに新規化学素材を各地域で登録するには、環境規制の対応から許認可の取得に至るまで、さまざまな時間とコストのハードルがあります。それを越えてまで、ニッチな新材料の可能性を信じて、設備投資をして量産化するという判断を下せる経営文化が、クラレさんにはあるのですね。

松本氏:そうですね。「それは無理だよね」ということに、逆にロマンを感じるカルチャーがあります。ですから、投資はしたけど回収に時間がかかる、という悩みを持っている部署が多いのですが、最終的にうまくいったケースも、また多いんです。

我々の今の稼ぎ頭になっている材料の中には、発足当初は「こんなの使えないよ」と言われていたものもあります。例えば、ガスバリア性樹脂「エバール」もその一つです。1970年代、食品の包装がビンか缶しかなかった時代には、「エバール」は、ただの堅いだけの樹脂と思われていました。

やがて食品の流通が発達し、軽いパッケージが求められるようになります。ふつうの樹脂は酸素を透過するので、すぐに食品がダメになってしまうんですが、「エバール」には、酸素を通しにくいという性質がありました。これが大いに注目されて、今では世界シェアの65%を占めるまでに至っています。

パン氏:凄いですね。世界で65%ですか。

松本氏:10年単位で頑張っていれば、時代がついてくる。その時になって他社が新規参入しても、ノウハウを蓄積しているので勝てる。そういう考えです。

パン氏:そういう思い切った戦略には大いにロマンを感じます(笑)

マーケティングを越えてイノベーションへ

松本氏:「クラリティ」は他ではできないオンリーワン樹脂なので、未来をポジティブに描こうと思えば、いくらでも描けます。一方で、オンリーワン素材ゆえに顕在化したニーズがなく、マーケティングには苦労します。

パン氏:既存の市場ニーズを分析して、「このような特徴のある材料ができれば、年間何トンというマーケットがある」という発想とは違いますよね。

松本氏:「ここにマーケットがあります。こういうものができたらこれだけ儲かります」というのは、既に価値が1で決まっているものに0.1のバリューを加えることです。我々の考え方では、これはイノベーションではありません。クラレは、バリューをXにします。この変数であるXを最大限に大きくするための挑戦をお客様とともに行っていきたい、というのが我々の思うイノベーションです。

ですから、我々の強みであるオンリーワンに惚れ込んでいただくお客様を、どれだけ見つけるかが鍵だと思っています。

今までは、「好きになってほしい」という受け身だったのですが、この樹脂に関してはもっと積極的に、「好きになってもらう」という肉食でいこうと思っています(笑)

具体的には、我々のリーチを消費者に近づけていくために、「プロトタイプ」を駆使していこうと考えています。

クラレが開発した新素材「クラリティ」。そのオンリーワンの素材を消費者に真に認めてもらうには、「プロトタイプ」が必要だという。後編では、その実践についてお伝えする。