前回紹介した慶應大学主催のシンポジウム「電子書籍ビジネスの未来」で面白いなあ、と思ったのは、津田大介さんや、佐々木俊尚さんらのブック・プロモーションであった。

佐々木さんの『電子書籍の衝撃』の版元、ディスカヴァー・トゥエンティワンは、取り次ぎという書籍卸を通さず書店との直接取引を行っている。干場弓子社長によると『電子書籍の衝撃』では、「発売前の一週間、限定価格110円で全文をダウンロードできるようにサイト上で予告したところ初日にサーバーがダウンする騒ぎになってしまった」という。

これが話題となりアマゾン・ランキングも上がり、書店からの注文も増加したという。津田さんの『Twitter社会論』も、それこそ「つぶやき」プロモーションに徹して5万部近く売り上げた。

最近では大手の講談社も京極夏彦さんの新著『死ねばいいのに』のiPad配信を発表したり、五木寛之さんの小説『親鸞(上巻)』をウェブで公開するなどの取り組みを始めた。ただ、『親鸞』はダウンロード不可。300ページ以上の大作をPC画面上で読みとおすというのは読者に苦痛を強いるもので、あまり頂けない。

このシンポジウムで、電子書籍はそれほど普及しないだろう、との指摘もあった。民主党の岸本周平衆議院議員は、「現在、日本の電子書籍市場はアメリカを上回る500億円規模だが、その中身を見ると90%がケータイ経由、コンテンツは80%が漫画で、さらにその80%がボーイズ・ラブ、ティーン・ラブといったコンテンツ。ケータイ閲読は、パーソナル性、秘匿性が高いので若い女性に人気だが、こうした傾向をみると電子端末がにわかに一般図書や、書店を駆逐するとは思えない」と述べた。

確かにアメリカでのキンドル使用実績では、40歳以上、男性、比較的高所得層がメインなので、日本の電子書籍市場とは構造的な違いがある。日本の出版界が本格的にキンドルへコンテンツを提供してからでないと比較はできないだろう。

書籍の電子化に絡んで著作権の問題もやっかいだ。国会図書館は、蔵書のデジタル化を進めていて1968年ごろまでに出版された書籍については作業を終えたという。改正著作権法により、国会図書館は蔵書を権利者の許諾なしで電子化することができる。しかし、改正前よりこのプロジェクトで浮かび上がったのは「オーファン・ワークス」(権利関係不明の著作)に扱いであった。

明治期の書物だけでも、「製作者、著者で生存されているのは264人に過ぎず、5,500人の権利者が行方不明であった」(福井健策弁護士)そうだ。

現行法制でも、これらのデジタル資料を公開、商品化させる場合は、著者または遺族を捜し出し許諾を得るという気の遠くなるような作業が必要になる。

こうした膨大な権利関係者の存在を考えると、書物のデジタル化を進めるためには、「とりあえず許諾前にスキャンして、権利者からのクレームに応じて対処する(オプト・アウト)フェア・ユースの考えに立ったグーグルのやり方しか現実的にはない」(福井弁護士)ということになる。

フェア・ユースとは著作権の扱いについて公共的目的に関しては著者の許諾を必要としない、という考え。日本は、まだ受け入れてない。

電子書籍マーケットにおける日本の役割

もうひとつ考えさせられたのは、図書、雑誌、ニュース・コンテンツについての電子流通市場について、「日本独自のプラットフォームが必要ではないか」という議論であった。正確には、その是非、というより実現可能性についてであった。現在、電子情報流通市場のプラットフォームはグーグル、アマゾン(キンドル)、iPadなどが押さえている。消費者は、これらの関門を通らないとコンテンツに容易には到達できず、結果としてプラットフォーム管理者が市場価格の決定権を握っている。

つまり日本は、光回線という世界一の伝送路を持ちながら、ここに情報を流して利益を得ているのは外国のプラットフォームばかりであり、この構図は国家戦略上望ましくないではないか、という主張だ。

一般論としては、その通りだ。席上、自民党の世耕弘成参議院議員も「日本独自のプラットフォームはぜひ必要」と強調した。

しかし、いまから「日本版グーグル」を立ち上げるというのは現実的な選択肢だろうか。立ちはだかる壁の高さ、厚さに臆してしまう。経産省が3年の時間と150億円の調査費を使って可能性を検討したが、すでに壮大な検索システムを構築したグーグルに追い付き、追い越すのは困難との結論が出ている。

「国会図書館にその機能を果たしてもらう」という考えもあるが、これはビジネスモデルにはなりえないだろう。

日本は、1998年に世界に先駆けて出版社、電機メーカー150社が集まって、「電子書籍コンソーシアム」を立ち上げながら、取次、書店の抵抗、各社の足並みがそろわず市場化が流産したこともある。

こうしたことを考えると、インターネット市場の競争的な環境確保、独占禁止、プライバシーの保護──という三つの原則で国際的ルールを作る世論形成と先導役を果たしてゆくというのが日本の現実的選択かもしれない。(了)

執筆者プロフィール : 河内孝(かわち たかし)

1944(昭和19)年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。毎日新聞社政治部、ワシントン支局、外信部長、社長室長、常務取締役などを経て2006年に退社。現在、(株)Office Kawachi代表、国際福祉事業団、全国老人福祉施設協議会理事。著述活動の傍ら、慶應義塾大学メディアコミュニケーション研究所、東京福祉大学で講師を務める。近著に『次に来るメディアは何か』(ちくま新書)のほか、『新聞社 破綻したビジネスモデル』『血の政治 青嵐会という物語』(新潮新書)、『YouTube民主主義』(マイコミ新書)などがある。