• 週刊こむぎ


浄土真宗を開いた親鸞の哲学の中で、ひときわインパクトを放つものが「悪人正機」というものです。

「善人なほもって往生をとぐ、いはんや悪人をや」(善人でさえ浄土に生まれることができる。まして悪人ならば間違いないだろう)という言葉に表されるように、「悪人」こそが阿弥陀仏の救いの対象であるという教えです。

善人とは「自分の力で悟りを開ける人」のことを指し、悪人とは「煩悩を持ち続けて生きる人」のことを指します。言うまでもなく世界には「悪人」に相当する人が大多数となるわけですが、仏の力はその大多数の「悪人」を助けるためにあるはずだと親鸞は考えました。(だからと言って、煩悩に任せて悪いことをしても良いと言う教えではありません。「薬があるからと自分から毒を飲むようなことをしてはならない」とも親鸞は語っています)

「自分の力で悟れる!」と思っている人よりも「どんなに頑張っても悩みや迷いが消えない!」と自分の弱さに自覚的な人の方が、もはや万策尽きたと何かにすがる(「他力」を実感する)ような思いになりやすく、阿弥陀如来の力を信じることが救いにつながるという世界観のもとでは、そうした「悪人」カテゴリに属する人こそが救いの中心にいるのだという理屈です。

不思議な力を信じるかどうかは人それぞれですが、この教えからは本来立派なことだと思われがちな「自分だけでやっていける」という考え(ある種の驕り)の脆さのようなものが見えてきます。

実際、「自分だけでこの仕事をこなせるよ」と頑なに問題を抱え込んでしまう人よりも、自分の苦手なことや弱点をよく知っていて、しかるべき時に他人に助けを求められる人の方が、周囲の人からしても「助けやすい」と感じる場面が多いのではないでしょうか。

この教えを説いた親鸞も、厳しい修行を20年間も続けた上で生涯一度も「悟った」とは言わず、弟子にも「自分は煩悩から逃れられていない」と語るなど、自分の弱さを一切ごまかさなかったと言われています。

苦手なことがあればそれを克服するのも素晴らしいことですが、1人1人が自分の弱点を把握し、それを抱え込まずにアドバイスや協力を求められる環境や、何か問題が発生した時にそれを周りに共有しやすい環境を作ることも、物事を円滑に進める上で大切になってくるはずです。

それぞれが「弱さ」や「失敗」をごまかさないことが、それぞれを助けることにつながっていくでしょう。

■こむぎこをこねたもの、とは?

  • 週刊こむぎ

■著者紹介

Jecy
イラストレーター。LINE Creators Marketにてオリジナルキャラクター「こむぎこをこねたもの」のLINEスタンプを発売し、人気を博す。その後、「こむぎこをこねたもの その2」、「こむぎこをこねたもの その3」、「こむぎこをこねたもの その4」をリリース。そのほか、メルヘン・ファンタジーから科学・哲学まで様々な題材を描き、個人サイトにて発表中。

「週刊こむぎ」は毎週水曜更新予定です。