さらば半導体

この記事が出るころには暮れも押し迫っているので読者の皆様も年末の追い込みに忙しいと思い、ややこしい半導体の話はやめて、私の近況についての閑話を書くことにした。

ここ数年、"ホームレス中学生(ワニブックス刊)"、"筆談ホステス(光文社刊)"など出版や映画で面白いタイトルのものが出ている。言葉の組み合わせが妙で思わず目が行ってしまうが、全て実際の出来事に基づいたストーリーであるらしい。悩み多き現代人はこれらの話に一縷の希望を見ているのだと思う。それにあやかるのは甚だおこがましいとは知りつつ、私自身の近況をこのタイトルでご報告することにした。

私は今年(2016年)の3月でちょうど60歳になった。"還暦"などという言葉は遠い未来のものだと思っていたが、時は確実に流れて当然の結果として訪れる人生の通過点である。

体力も気力もかなり落ちてきているのをはっきり自覚したので、30年以上身を置いた半導体業界から、いやビジネスそのものから引退することを決断した。残された30年くらいは何か新しい事に時間を使うことに決めた。幸い、私の家内はフルタイムの仕事をしているので、ちょっとお先に引退させていただいたわけだ(申し訳ありません…)。

辞めるのは簡単だが、"さて何をやるか?"ということについては引退1年前から考えを巡らした。一番いけないのは何もプランがなく辞めてしまうことだというのは、最近とみに多くなったシニア本にたくさん書いてある。私の場合、昼間何もやることがなければ12時前に蕎麦屋に直行、だらだらと飲みながら午後を過ごし、1日を終えてしまうというパターンが目に見えていたので、いろいろなリサーチ、友達の助言を参考にし、当面大学生をやることにしたわけだ。どうせやるのであれば、聴講生などという中途半端なものではなく本チャンの学生になってやろうと決めた。

晴れて大学生になった還暦の私

現在私はある都内の大学の"ふつーの"大学生である。私の場合、すでに40年前に卒業した母校に“学士入学"という形で再入学した。欽ちゃんのように入試を突破する根性もないので、一度卒業した大学の別の学科に3学年から入れてもらうということだ。学費さえ払えば、簡単な面接をして入学OKというあっさりとした手続きであった。ゆえに、入試・教養課程は飛ばして、いきなり専門課程の3学年からのスタートということである。4月からスタートした私の夏過程(4-7月)は2カ月の長い夏休みを経てすでに終わり、今は冬過程(9-1月)の真最中である。以下が私の1週間の履修科目の一覧である。前期にちょっと真面目にやり過ぎてしんどかったのでかなり緩めにとってある。

このペースで行くと2年で卒業はできないことは明らかで、前期終了の段階で計画は2年計画から3年もしくはそれ以上ということにあっさり政策変更した。ご覧の通り全て人文系の科目である。教養課程で必須な語学、体育等は入っていないのがよい。

少年老い易く学成り難し

54年ぶりという11月の雪の日に撮った大学キャンパスの写真、奥が図書館

思えば、大学に再入学をするという私の考えのルーツは、以前書いた東工大の松岡先生との出会いから始まったような気がする。東工大のキャンパスの自由な雰囲気に触れた時に、いつかまたこのような場所に身を置いて、もう一度本気で勉強する機会を得たいという考えが突然浮かんだ。

私の40年前の大学生活はその当時の大学生の典型であった。学校へは友達と落ち合うために行く。4人集まれば雀荘に直行し低いレートで下手な麻雀を打って、夕方になると家庭教師のバイト。ちょっと余裕ができると飲み会(そのころ合コンというコンセプトはなかった)。

現在の学生生活では空いた時間を図書館で過ごすことが多くなった。4月に再入学後初めて古めかしい図書館に入館した時に、図書館内部の様子に全く見覚えがなく、40年前の在学時の4年間で図書館に入った記憶が全くないのに気が付いて唖然とした。多分本当に一度も入ったことがなかったのだと思う。

中国の言葉、"少年老い易く、学成り難し"とはなんと正しかったことであろうか。今ではすっかり老いてしまった少年は、還暦を迎えて初めて学問に目覚めたわけだ。遅きに失した感はあるがまだ遅くはない。

日本の教育システムにはいろいろな議論がある。一個人の意見として言えば、小中→高校→大学→就職という一般的なコースを滞りなく通り抜けるのがベスト、という固定観念では大学で学問する意味というのは分からないままに終わってしまうのも無理からぬことである。ことに、"良い大学に入ればよい企業に就職できて、後の安定した人生が約束される"という前提(今となっては全く通用しなくなった)の枠内で突っ走っていれば、全エネルギーを使い果たしてやっと大学受験を無事突破した若者には、大学の4年は楽しく暮らす天国のような時間ということになっても無理はない。しかし、実際はその通りうまくいかないのが人生の妙であろう。

現代哲学の授業の命題はいきなり人工知能!?

さて、現在の大学の授業であるが、正直言って当初私は全く甘く見ていたので、ある科目によっては結構痛い目にあっている。その誤算の原因を分析すると次の通りである。

研究棟に向かう道には銀杏の葉が落ちていた、ここではゆっくり時間が流れている

  • この40年間ですっかり頭が凝り固まってしまった。その結果、先生(すべての先生が私より若い)が言っていることについて先入観が邪魔してしまって、新しいこととして正確にインプットされない。結果、自分では解っているつもりという錯覚に陥ってしまい、試験では全く見当違いの回答になる。
  • やっと理解したことでも、次の新しいインプットがあると前のことをすぐに忘れてしまう。不揮発性のメモリ領域がなかなか拡張しない。"老年忘れ易し、未だに学成り難し"、である。
  • 人文科学関係の授業であるので試験はすべてが筆記試験。90分の持ち時間でひたすら回答を書くのであるが体力、集中力が続かず書ききれない。手で書く習慣がしばらくなかったので漢字が出てこない(因みに全ての試験がスマホ、辞書などの持ち込みは禁止である)。
  • 授業の内容自体が40年前とすっかり変わってしまっていて、すでにある知識を無理やり応用しようとすると全く頓珍漢な方向に行ってしまう。

夏期に私は現代哲学の授業を取った。最初の授業でジーパンにトレーナーの先生がいきなり出した命題は"ロボットに心を植え付けることは可能か?"、というものだった。最初私は教室を間違ったのかと思ったがそうではなかった。話を聞いてゆくとどうもAIの話らしい。"これだったらちょっとは知っているわい、ディープ・ラーニング、パラレル処理、シンギュラリティ、そんな話だろう"、と完全に高をくくっていた。

しかし授業が進むにつれて私の自信は完全に打ち砕かれた。授業には毎回出て必死にノートを取るのであるが、どんどんわからなくなる。中間試験では不可すれすれの55点、期末テストは気合を入れて準備をして必死に書き、"多分B評価くらいで終わるんだろう"、と思っていたら結果は不可のF評価(どん底10%の学生のうちの1人)。その内容について読者にここで披露したいのだが、何しろ内容が解っていなかったのだからそれもできないという惨めな結果であった。

それでも他の経済学、歴史などの学科では今までの知識等が多少は役に立ち、勉強した甲斐があっていい評価をもらったものもあった。まさに"老年なれど、未だに学成り難し"の心境である。しかし、新しいことに挑戦する充実感を毎日感じながらせっせと学校に通っている。

著者プロフィール

吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
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