東京大学(東大)、慶應義塾大学(慶大)、科学技術振興機構(JST)の3者は7月13日、次世代の不揮発性磁気メモリ(MRAM)向け磁気記録層材料として期待される反強磁性体において、「スピン軌道トルク(SOT)方式」による磁気状態の電気的スイッチング機構を、膜厚や放熱性を含む素子構造によって制御できることを明らかにしたと共同で発表した。

  • 反強磁性体Mn<sub>3</sub>Snの結晶構造と磁気構造

    反強磁性体Mn3Snの結晶構造(左)と磁気構造(右)。Mn3Snはマンガン(Mn)とスズ(Sn)からなる格子面(カゴメ面)が[0001]方向に交互に位置を変えながら積層した構造を持つ。Mn原子上の矢印は磁気スピンの方向を示しており、それらが互いに逆向きを向こうとする性質とMn原子の配置により、スピンが互いに120度を向いた反強磁性秩序を示す。右図中のピンクの矢印は、強磁性体における磁化に対応するクラスター磁気八極子を示し、Mnスピンが形成する磁気秩序に応じて向きを変える。(出所:共同プレスリリースPDF)

  • スピン流を用いた2つの磁気スイッチング機構

    Mn3Sn/重金属(HM)素子における、スピン流を用いた2つの磁気スイッチング機構。内因性機構によるスイッチングでは、電流印加時にスピン流が磁気秩序に直接作用するのに対し、温度アシスト機構によるスイッチングでは電流印加中に磁性秩序が失われる。(出所:共同プレスリリースPDF)

同成果は、東大大学院 理学系研究科の松尾拓海大学院生(現・米・ジョンズ・ホプキンス大学大学院生)、同・肥後友也特任准教授(現・慶大 理工学部 准教授兼東大大学院 理学系研究科 客員共同研究員)、同・Hanshen Tsai特任助教、同・松田拓也特任助教(現・大阪公立大学大学院 理学研究科 准教授)、同・上杉良太大学院生(現・茨城大学大学院 理工学研究科 助教)、同・中辻知教授(東大 物性研究所 特任教授/東大 トランススケール量子科学国際連携研究機構 機構長/ジョンズ・ホプキンス大 Research Professor/カナダ先端研究所 フェロー兼任)、東大 物性研究所の浜根大輔技術専門職員、同・三輪真嗣准教授、同・大谷義近教授(現・東北大学 理学研究科 教授)、理化学研究所 創発物性科学研究センターの近藤浩太上級研究員(現・大阪大学 先導的学際研究機構 准教授兼東大大学院 理学系研究科 客員共同研究員)らの共同研究チームによるもの。詳細は、英総合学術誌「Nature」系の旗艦オープンアクセスジャーナル「Nature Communications」に掲載された。

現在主流であるMRAMの「スピン注入トルク(STT)方式」は、書き込み時の素子劣化や動作速度に課題が残されている。そこで次世代技術として、SOT方式が注目されている。電流をスピン流へと変換し、それを隣接する磁性層へ注入することで、磁気秩序を制御する手法だ。SOTとは、注入されたスピン流が磁性体の磁化に及ぼすトルクのことである。STT方式に比べて書き込み時の素子劣化を抑制でき、サブナノ秒での反転動作も可能とされることから、SRAMの代替となる可能性をも秘める。

一般的な反強磁性体においては、異常ホール効果やトンネル磁気抵抗効果などを利用した電気的な読み出しが難しい。一方、マンガン・スズ化合物のキラル反強磁性体「Mn3Sn」は、異常ホール効果などを示すことから、磁気状態を電気的に検出しやすいという特徴を持つ。さらに、Mn3Snへスピン流を注入し、SOTによって情報の「0」と「1」に対応する磁気状態を書き換えられることも実証されており、ピコ秒級の磁気ダイナミクスを活かした超高速・高効率メモリ向けの磁気記録層材料として期待されている。

一方で、近年の研究から、Mn3SnのSOTによる磁気スイッチングでは、スピン流による直接的な制御である「内因性機構」だけでなく、電流印加時に生じるジュール熱が大きく寄与する場合があることがわかってきた。この「温度アシスト機構」では、発熱によって反強磁性秩序が一度失われ、その後、素子が冷える過程で最終的な磁気状態が決定される。

この温度アシスト機構では熱の発生と冷却に時間を要するため、スイッチングプロセスの完了には約100ナノ秒を要するとされ、反強磁性体で期待されるピコ秒級の高速な磁気ダイナミクスを活かした磁気記録の妨げとなることが懸念されていた。そのため、ジュール熱に頼らず、スピン流によって非熱的に磁気秩序を制御する条件の解明が強く望まれていた。

そこで研究チームは今回、Mn3Snの膜厚を15~200nmの範囲で変化させたMn3Sn/タンタルの多層膜を、スパッタ法を用いてシリコン基板上に作製。さらに、これらの膜をホールバー形状に微細加工し、SOTによる磁気状態のスイッチング特性を系統的に調べたという。

  • 反強磁性体Mn3Sn/Ta多層膜の模式図とMn3Sn/Ta多層膜スイッチング素子の顕微鏡像

    (左)反強磁性体Mn3Sn/Ta多層膜の模式図。アルミナAlOxはキャップ層で、tはMn3Sn層の膜厚。(右)Mn3Sn/Ta多層膜スイッチング素子の顕微鏡像。I+とI-は電流端子、V+とV-は電圧端子。(出所:共同プレスリリースPDF)

測定の結果、Mn3Sn層が厚い素子では、電流を流した際に発生するジュール熱が書き込みを助ける温度アシスト機構が支配的であるのに対し、膜厚が30nm以下になると、温度上昇や消費電力が抑えられ、温度アシスト機構では説明できない低電流密度で磁気状態をスイッチングできることが確認された。

この結果は、Mn3Sn層の膜厚が、SOTによる書き込み機構を決定づける臨界因子であることを示している。膜が厚いと電流で発生した熱が磁気記録層に蓄積しやすく、転移温度以上への温度上昇で磁気秩序が一度消失した後、それが冷える過程で最終的な磁気状態が決定される。この時、SOTの書き込みに要する電流密度は磁気記録層の厚さの-0.5乗に従うことが確かめられた。

  • Mn<sub>3</sub>Sn(15~200nm)/Ta(5nm)多層膜におけるSOT反転電流密度のMn3Sn膜厚依存性など

    (左)Mn3Sn(15~200nm)/Ta(5nm)多層膜におけるSOT反転電流密度(スイッチング電流密度)のMn3Sn膜厚依存性。ピンクの曲線は温度アシスト機構においてスイッチング電流密度が従うと予想される理論曲線。(中央)SOTでの磁気スイッチング観測時に印加された電力のMn3Sn膜厚依存性。(右)SOTでのスイッチングに必要な電流の印加時にデバイスが到達する温度の計算結果。(出所:共同プレスリリースPDF)

一方、膜を薄くすると、発生した熱が基板側へ逃げやすくなり、反強磁性秩序を維持したまま、SOTによる磁気スイッチングが可能になる。その結果、30nm以下のMn3Sn素子では、非熱的、かつ高効率な内因性機構が顕在化したことが考えられるとした。つまり、薄型化によって熱を効率よく逃がすことが、反強磁性体本来の高速な応答、量子スイッチング特性を引き出す鍵であることが突き止められたのである。

  • 度アシスト機構によるSOTでの磁気スイッチングに必要と予想される電流密度の磁性膜厚依存性の模式図

    内因性機構、および、温度アシスト機構によるSOTでの磁気スイッチングに必要と予想される電流密度の磁性膜厚依存性の模式図。両者が交わる磁性層の膜厚tcより薄い膜厚領域では、内因性機構によるスイッチングが支配的となる。(出所:共同プレスリリースPDF)

さらに、最も薄い15nmのMn3Sn素子では、電流パルス幅を100ミリ秒から10ナノ秒まで短縮してもスイッチングに伴い変化する電気信号の大きさが変わらないことが示された。これは、100ナノ秒未満のパルスでは信号の反転率が減衰するとした従来の温度アシスト機構の実験結果とは定性的に異なっており、薄いMn3Sn層の素子において内因性機構によるSOT反転が実現していることのさらなる証拠として示された。

  • SOTによりスイッチングした異常ホール電圧の電流パルス幅依存性

    Mn3Sn(15nm)/Ta(5nm)素子における、SOTによりスイッチングした異常ホール電圧の電流パルス幅依存性。黒線は100ミリ秒(ms)のパルスを用いた場合の値を示す。(出所:共同プレスリリースPDF)

今回は膜厚が注目されたが、実用的なMRAMでは素子サイズがマイクロメートルからナノメートルスケールへと微細化されるため、熱容量の低下に伴いさらなる放熱性の向上が期待されるという。従って、今回見出された膜厚・放熱性の設計指針は、微細化されたMRAM素子において、Mn3Snのような反強磁性体を超高速・低消費電力・高耐久な磁気記録層材料として活用する上で重要な基盤になるとしている。