冨山和彦【書評】『国際秩序』(ヘンリー・キッシンジャー)

国際政治学者キッシンジャーが綴る世界外交史

 

 一昨年、百歳の長寿をまっとうしてこの世を去ったヘンリー・キッシンジャー晩年の著書である。卓越した国際政治学者であり、政治家としてもニクソン政権、フォード政権において米国の外交政策をリードした人物ならではの冷徹な観察眼と確固たる歴史観を持って綴られた世界外交史となっている。

 本書は、欧州において長きにわたる残虐な宗教戦争のあとにウェストファリア条約によって主権国家という概念が確立する経緯をはじめとして、世界各地域の国際政治史を国際秩序≒安定≒平和がいかに成立しいかに壊れるかと言う観点から、古代から現代まで極めてクールに描いている。要は政治家キッシンジャーよりも国際政治学者キッシンジャーが前面に出ているので、押しつけがましくなく、読む側にもすーっと入ってくる。

 国際秩序は力の均衡と国益の対立と調整によって規定されるというのが、本書に通底する歴史観である。要はリアリズムの歴史観であり、理念論や価値観の布教的運動は必ずしも国際平和に貢献しない、むしろノイズになる場合もあるとする。例えば、イデオロギーや宗教的理念のための「聖戦論」や自らの生命をも犠牲にするテロが国際秩序の安定にとっては脅威になるケースである。

 トピック的にはプラグマティズム外交をリードしたセオドア・ルーズベルト大統領に関する著述は日露戦争の講和仲介の背景も含めて秀逸に感じた。また中東史についても長い歴史の流れを辿りつつも、これだけコンパクトにまとまった書き物は私にとって初めてだった。

 著者の歴史観、秩序と安定のメカニズム論からすれば、平和には「均衡の平和」と「帝国(内)の平和」あるいはその組み合わせしかないということになる。身も蓋もない結論かも知れないが、昨今の国際情勢を見ていると、これはかなりの真理のようにも思える。こんな時代だからこそ、経営に関わる皆さんに是非とも読んでいただきたい一冊である。

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