
リーダーは基本的に強運だ。しかし、強運だからリーダーになったわけではないと思う。随分前に聞いた話だが、日経新聞の『私の履歴書』で最も多く出てくるフレーズを分析した記者がいたそうで、「たまたま」「偶然」という言葉が一番多く出てきたことから、やはりリーダーは運が良いのだという説を述べたらしい。
私のこれまで数多くの経営者との対話の中でも、偶然という言葉は少なからず聞いたが、その言葉には、強運という意味合いは感じなかった。
リーダーには偶然を引き寄せる力があるが、その源泉は、常に考えているということだ。会社の舵取りに責任を負い、人々を率いるリーダーは、常に考えている。
別の表現で言えば、常に悩んでいる、もしくは、答えを求めていると言える。こうした状況では、常にセンサーが敏感になっているようなもので、目にするもの、耳にするものを自分の求める答えとの関連性を持って受信することになり、そこでの出会いやひらめきが、「偶然」という言葉につながるのだと思う。
四六時中考えているからこそ、一瞬のニュース映像や子どもとの会話、自然のせせらぎまでもが偶然巡り会ったチャンスへと昇華していく。
これは、直感においても同じことが言えると思う。直感というのは、コップの水が溢れるようなもので、多種多様な判断や決断をしてきたからこそ、答えが瞬時に現れる。
偶然も、直感も、人が逃げ出したくなるような答えのない問題や課題に正対し、考え尽くし、自分の責任で答えを出そうとした人にだけ与えられるものに違いない。
しかし、こうした経験は、残念ながら第三者からは見えない。判断や決断は、後から振り返れば、いくらでも解説できるが、決断までの葛藤や決断の時の苦渋は、側からは見えない。想像することしかできない。だから、人は、リーダーのなせる技を強運という言葉で片付けてしまうのかもしれない。
一方で、こうした強運につながる偶然や直感が逆に働き、強運が尽きる時があることも事実だ。しかも、その尽きた強運を取り戻すのは難しい。そして、運が去っていく時にも共通項があるように思う。
それは、感謝と謙虚さを失った時だ。リーダーになると、権力が故に与えられる人の厚意に溺れ、感謝と謙虚さを忘れそうになる。脇が甘かったという言葉をよく聞くが、常に考える力を持つほどの人が、脇を引き締めるのを怠ってしまうほど、権力は甘い蜜の味がするのだろうか。
何者でもない自分に常に立ち戻れる場所や時間を持つ人だけが、強運を使い切ることができるのだろう。