東北大学総長・冨永悌二の「世界と伍して、成長していくための大学改革を!」

混沌とした世界の状況は アカデミアの領域にも…

 今、世界は混沌とした状況が続く。大学・教育機関もその余波を受け、緊張感が漂う。

 例えば、米トランプ政権と米ハーバード大やコロンビア大といった名門大学との軋轢がその代表例。米国内の大学に籍を置く研究者や留学生の中には、トランプ政権からの〝圧力〟を受けて米国外に脱出せざるを得ない人たちもいる。欧州の有力大学は、そうした研究者や教育人材を受け入れる方針を明らかにしている。

 日本国内では、東北大学がいち早く、「優秀な人材を受け入れたい」と表明した。

「大学も今は時代の転換期にあると思います。これまで無条件に是としてきたことが、本当にそうなのかと問い直すような状況になっていると思います」

 昨年、第23代東北大学総長に就任した冨永悌二氏(1957年=昭和32年7月生まれ)は、大学を巡る現在の状況認識をこう示し、次のように続ける。

「米国では大学の研究者の研究環境が非常に低下しているということが挙げられます。これまでわれわれのようなアカデミアの領域では、自らの専門領域を研究し、その研究成果を社会に還元することが社会から望まれていることでもありました。だからこそ、研究を進めることができたわけです。われわれはそれを100%是としてきました。ところが、今の米国の状況を見ると、トランプ大統領が科学予算の削減といった形で、アカデミアと対立するような状況になってきています。しかも、それを支持する一定層の人たちもいるということを考えると、私個人としては少し驚きでした」

 冨永氏は1957年生まれの68歳。福島県出身。1982年(昭和57年)に東北大学卒業後、大学院を経て、米国フィラデルフィア生体膜研究所に留学。また、アリゾナ州フェニックスにあるバロー神経学研究所にも留学(1993)するなど、米国の研究者や教育関係者と交流し、親交を深めてきた。

 2003年、東北大学大学院医学系研究科教授(脳神経外科)に就任。同大学病院長、副学長や理事(共創戦略・復興新生担当)などを経て、昨年4月に総長就任という足取りである。

 氏が留学していた1980年代から90年代前半の米国と今の米国とは違うのか?

「はい、違いますね。学術分野に関しても、これまでの米国は非常にスケールが大きく、世界中から優秀な人材が集まることで、豊富な研究資金を集めることもでき、その結果、新たな知を生み出してきました。さらにその知が米国の富に変わるという循環を繰り返してきたのです。そういう国であるにもかかわらず、今回のような形でアカデミアに対して、かなり厳しい姿勢をとるということは、われわれも驚きです」

 冨永氏は自らが留学していた頃の米国とは違う姿になった今の米国を目の当たりにして、「ある意味、勉強になったという側面もありますね」という認識を示す。

米国に居づらくなった 研究者の受け入れへ

 米国では今、トランプ政権とハーバード大、コロンビア大などの有力大学との間で軋轢が高まり、政権側は大学への助成金をカットするという挙に出ている。

 トランプ政権が大学に圧力をかけるのは、これら有力大学が学内での反ユダヤ主義デモを放任していた─といったことが主な理由。米国ファーストという自国第一主義から、〝行き過ぎた多様性(ダイバーシティ)〟を批判・攻撃する流れである。

 それから8カ月以上が経った現在、トランプ政権下で大学は厳しい財政運営を強いられている。ハーバード大は日本円で7兆円以上の資産を持ち、これまでは財政に余裕のある私大とされてきた。しかし、政権が約1兆円ともいわれる助成金のカットを表明しており、これが実行されれば、当然、大学の研究活動にも支障が出てくる。研究者や教授、助教授といった教育関係者の中には、脱米国を強いられる人たちもいる。

 そうした状況に、同じ英語圏のイギリス、カナダ、豪州や欧州各国からは、研究者や教育者を「受け入れる」と表明する大学が相次いだ。

 日本の中でいち早く手を挙げたのは東北大学。そうした行動に出た理由について氏が語る。

「そうですね。それはやはり、国際卓越研究大学の第1号として、国から多額の体制強化促進費をいただいています。支援金ですね。(国が運用する)10兆円ファンドからの支援金をいただいておりますので、その分、通常の大学経費に加えて予算があるので、われわれこそ、その受け皿にならなければいけないと考えました」

 国際卓越研究大学─。これは、近年、諸外国のトップレベルにある研究大学が豊富な資金を背景に研究力・技術開発力を高めているのに対し、日本の大学の研究論文が質・量ともに低調になっているという危機感から、国(文部科学省)が公的な財政支援を行うというもの。

 国からの財政支援だけではなく、民間企業との連携、いわゆる産学連携を推進し、民間からの寄付金も仰ぐ。さらには、大学自らの力で資産運用し、多様な財源を持つようにしようという趣旨で始まった制度である。

 昨年末、この国際卓越研究大学の第1号に認定されたのが東北大学。国の財政支援は今後25年続けられるから、〝国際卓越研究大学〟に認定されたことの意義は大きい。

 支援額は、過去5年間のその大学の産学連携や、それから生じる寄付金集めなど、自主努力の実績を鑑みて決められる。東北大学の場合は、年間150億円余となる。現在、同大学の年間予算は1600億円前後であるから、実に大きい支援金と言っていい。

 米国を離れざるを得ない研究者や留学生について、「われわれこそ、その受け皿にならないといけない」と冨永氏が考えたのには、こうした背景があった。

海外研究員の採用にはそれなりの報酬が……

 世界と伍する研究力、人材育成の力を持つ大学運営というのが総長としての冨永氏の考え。

 そのためには、「人が戦略達成のカギになる」として、総長に就任して半年が経った昨年10月、戦略本部内に「Human Capital Management室」(略称HCM室)を設置。

「このHCM室は研究者のリクルートなどの雇用関連や受け入れ体制の整備など、人的資本に関連する業務を担う部署。われわれは米国からだけでなく、世界中、どこの国からも優秀な研究者を継続的に受け入れていきたいと考えています。そのためにはそれなりの体制が必要だと。その重要な一つは財務基盤ですね」

 日本の研究力が低下していることの一つに、研究者への報酬が各国と比べて低いことがある。

 海外から優秀な研究者を招くとなると、報酬が欧米に準ずる水準でないとそれは難しい。

「欧米の助教(昔の講師に相当)と一番若い大学のスタッフが日本の教授の報酬よりも高いのが現状です」

「ですから、(海外の研究者は)給与が高いので、そういった方を継続して雇っていくためには、やはり1年、2年の話ではないですからね。それが5年、10年と続いて、そういった方を何人も雇うということは、それなりの財務基盤が必要だということが一点ですね」

 冨永氏は二点目のポイントとして、「研究者を採用するための成長戦略」をあげる。

「例えば、自分たちの大学は、この部局でこういった将来成長戦略を描いている。その自分たちの成長のために、こういった部局にはこんな優れた研究者がいる。相乗効果をあげるために、こういった人が欲しいんだと。そういう戦略です」

 そして、三番目のポイントとして、『受け入れの仕組み』をあげる。

「先ほどのHCM部門が、雇用の契約から受け入れまで全てを担う。そして、こちらに来てからも、家族をどうやって受け入れるか、子どもさんたちはどういったインターナショナルスクールに行くのか。そういったことまで含めて、仙台市とタイアップしての受け入れ態勢を整えています」

 今後5年間で500人を海外などから採用する計画で、これに要する費用として約300億円の予算を設定している。 彼我の年収の格差を どう解決していくか?

 今年度は100人を採用する予定。うち80人が教授、准教授、助教クラスで、すでに「80人を超える方の採用が内定している」という。

 こうした新しい試みに対しては、いろいろな反応があり、それをやり遂げるには強い意志と実行力、調整力が求められる。

 例えば、報酬(給与)の設定。一説には、欧米の教授クラスだと、日本円にして年間約3000万円は必要との声もある。東北大の教授クラスの年収は1000万円台であるから、ざっと3倍の差がある。

 その人の能力や研究成果に応じて、それにふさわしい報酬を与えるのが欧米社会の雇用。

 一方、日本の場合は企業も大学も、同じポジションではそれほど差を付けず、できる人もそうでない人も同じ給与水準で雇用するという風土がある。

 人材獲得もグローバルに展開される時代に、従来の日本のやり方では通用しない。海外からいかに優秀な人材を呼び込むかという命題である。

 もっと言えば、ある程度の〝格差がつく時代〟を日本も迎えているということである。

国立大学法人化から 21年が経って…

 国立大学は、2004年(平成16年)4月に、大学法人化という大転換を迎えた。従来の、国(文部科学省)が設置する国の行政機関から、各大学が法人格を持つ『国立大学法人』となった。

 国が、国立大学法人の財務的責任の大半を持ちながら、各大学に自主・独立を促すという試みである。背景には、日本の人口減、少子化・高齢化で財政難が進み、グローバルでの激しい競争を生き抜くには、国立大学にも自主・独立の精神が求められるということがある。

 日本のGDP(国内総生産)が世界2位から、2010年に中国に抜かれて3位に転落し、さらに2023年にはドイツに抜かれて4位に、近くインドにも抜かれて5位になる見通しだ。

 そうした国力低下に伴ってか、日本の大学や研究機関の論文作成能力も落ちている。

 文科省の科学技術・学術政策研究所の資料によると、わが国の研究力の国際的位置付けは10年前と比べて低下。

 質の高い『TOP10%論文数』で見ると、『2009年-2011年』は米国が1位、中国が2位、英国(3位)、ドイツ(4位)、フランス(5位)に続き、日本は6位であった。

 それが『2019年-2021年』には、中国がトップに立ち(論文数5万4405)、米国が2位(同3万6208)と順位が入れ替わり、英国(3位)、ドイツ(4位)、イタリア(5位)、インド(6位)となり、日本は13位(同3767)に転落。韓国が10位(同4100)、イランが12位(同3770)と上昇しているのが象徴的だ。

 こうした中、先述の『国際卓越研究大学』の認定制度がスタートし、大学の財政面を含めての自主・独立を促す流れである。

 東北大学が東京大学や京都大学を抑えて、『国際卓越研究大学』の第1号に認定されたことは意義深い。今のところ、今年度(2025年度)も大阪大学、京都大学、早稲田大学、東京大学、九州大学、東京科学大学、筑波大学、名古屋大学の8大学が認定申請している(記載は受付順)。

 国立大学法人7校に対し、私立で申請したのは早稲田大学1校のみという今年度の状況(昨年申請した東京理科大学は今回は申請せず)。大学教育の大宗を担う私立大学の奮闘も期待したいところ。

 今後〝卓越大学〟の認定を受ける大学は、5、6校位になるものと思われる。

グローバル化のため、仏の 女性教育者をCGOに

 AI(人工知能)が登場し、今は〝100年に一度の大転換期〟ともされる。

 大学教授の年収1000万円位という報酬相場にも変化が出てきそうだ。

「わたしたちは、人に投資すると。成果を残す人にはもっと処遇を上げたい。例えば海外から人を雇うということは、その予備軍の一つだと思っています」

 冨永氏は、「日本の研究者だけが市場経済ではない」と語る。

「海外は研究者のコミュニティにも市場原理が組み込まれているんです。秀れた研究をする人、すごく研究資金を獲得する人、そういう人の給料は高い。それは大学を経営する側にとっても、高い給料を払ったとしても、それに見合うだけの成果をあげているからです。東北大学は全国の中でもその先陣を切っていると思っています。わたしの給料は学内で10番目ですからね。わたしより給料の高い教授が9人もいるんです」

 ガバナンスの面でも改革が進む。『運営方針会議』のメンバーは、計9人のうち冨永氏や副学長の青木孝文氏ら学内のメンバーは3人。他には、企業人の東哲郎氏(ラピダス会長、最先端半導体技術センター理事長)、英UCL(ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン)の前副学長のDavid Price(デイビット・プライス)氏ら6人が構成員となっている。

 この6人の中の、Marie Pierre FAVRE(マリー・ピエールファーブル)さん(フランス人女性)は、日本の国立大学では初めてチーフ・グローバル・オフィサー(Chief Global Officer)に就任。

「マリーさんは、フランスの国立応用科学院という工学系の研究体で副学長をされていた方です。東北大学が国際舞台でやっていけるような学外での国際化、そして学内の国際化を目指す上での人事の一環です」

 そもそも国際化とは何か?

「国際化といっても、実質的ではない部分がかなり日本ではあると思います。日本という国は、いろいろな研究を日本語で勉強できるんです。これは歴史的に見てもそれが言えます。明治維新の頃から、フィロソフィといったら哲学という言葉を当てる。そういった形で、全ての研究分野をおよそ日本語で教育できるような環境でした。ですから、あえて英語でものを学ぶということを今までしてこなかったということがあります」

 冨永氏は、「日本語で理解できるのに、なぜ英語でという考えもあると思いますが」と断りながら、次のように続ける。

「ただ、われわれがグローバルに世界で伍してやっていこうと思ったら、やはり英語をバリヤー(壁)にしては駄目だと。ですから、東北大学そのものの国際化を図ることが必要なんです」

『研究第一』、『門戸開放』と 『実学尊重』の伝統に加えて

 東北大学は1901年(明治40年)、東京帝国大学(現東京大学)、京都帝国大学(現京都大学)に次いで、わが国3番目の帝国大学として設立された。『研究第一』、『門戸開放』、『実学尊重』を三つの柱に、「研究と教育は車の両輪」という理念の下、運営されてきた。

 研究面では、八木アンテナで有名な八木秀次教授(1886-1976、後に東京工大、大阪帝大学長を歴任)、KS鋼(永久磁石鋼)を発明した本多光太郎(1870-1954)教授、さらには半導体デバイス開発の第一人者、西澤潤一教授(1926-2018、元東北大学総長)らを輩出。

 また、戦前、当時の専門学校、師範学校や留学生にも早くから門戸を開放。物理学者で後に東京大学総長を務める茅誠司氏(1898-1988)や東海大学を創立した松前重義氏(1901-1991)も卒業生。中国の作家・魯迅も留学生として当時の仙台医学専門学校(現東北大医学部)で学んだ。

 また、1913年(大正2年)に女子学生の入学を国立大学で初めて認めたのも同大学。当時の文部省の反対を押し切って、女子学生3人の入学を認めるなど、その頃から改革・変革の気風があった。こうした歴史と伝統に立って、新しい時代をどう切り拓いていくか─。

 東北大学の広大な青葉山新キャンパス内に『ナノテラス』という〝次世代放射光施設〟がある(2024年4月開設)。〝巨大な顕微鏡〟ともいわれ、物質の構造や機能をナノレベル(10億分の1メートル)で可視化できる最先端施設だ。

 これまで見えなかった超微細な世界を可視化し、データ化することで、幅広い産業分野での研究開発やモノづくりに貢献できると期待される。

 同じような施設には、兵庫県佐用郡に位置するスプリングエイト(SPring-8)がある。ここと、『ナノテラス』の二本立てで研究開発を進められるのが日本にとっての強みとなる。

物質の構造や機能をナノレベル(10億分の1)で可視化する『ナノテラス(NanoTerasu)』。

巨大な顕微鏡といわれ、ここから新しいモノづくりが産・官・学連携で進められている(敷地は東京ドーム1個分)。

 理化学研究所出身で、ナノテラス共創推進担当の高田昌樹氏(東北大学副理事)は、「産学共創が起こりやすいように、キャンパス内に設置しました」と語る。

「外国からの借り物でやっていると、世界最先端はできない」(高田氏)という考えで、建設費約380億円は、国が約200億円を負担し、残りの約180億円を光科学イノベーションセンター、宮城県、仙台市、東北大、東北経済連合会(東経連)の5者が地域パートナーとして負担した。

 施設の所有権は国が持ち、土地を同大学が提供。産官学による共創の場にしようという新しい試み。

『研究第一』、『門戸開放』、『実学尊重』に加えて、冨永氏は、「インパクト、タレント、チャレンジを公約にしています」と言う。

 学術的、社会的に『インパクト』のある研究を担い、世界中から優秀な研究者が集まる環境をつくる。そして、世界で勝負できるような『タレント』(人材)の育成。さらに、自分たちのマインドを変えて国際化を図る『チャレンジ』。

 この3つの機能で、産官学の連携を図り、日本の潜在力掘り起しにつなげようという冨永氏の大学運営戦略である。

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