沖縄科学技術大学院大学(OIST)は6月7日、記憶や学習に関わる、ニューロン間の結びつきが強くなる(シナプス伝達効率が増強される)プロセスの「長期増強」(LTP)において、脳が一時的に酸素から遮断された時に起こる「無酸素誘発性長期増強」(aLTP)のプロセスを詳細に研究した結果、aLTPの維持には神経伝達物質の一種のアミノ酸「グルタミン酸」が必要であり、同アミノ酸がニューロンと脳血管の両方で一酸化窒素(NO)産生を誘発することを明らかにしたと発表した。

また、aLTPを支える細胞の過程は、LTPの過程と部分的に重複しているため、aLTPが長時間持続するとLTPに必要な分子活動が乗っ取られてしまい、記憶形成が阻害される可能性が示唆されたことも併せて発表された。

同成果は、OIST 細胞分子シナプス機能ユニットのハンイン・ワン博士(研究当時)、同・大学 細胞分子シナプス機能ユニットのパトリック・ストーニー博士(現・同・大学 知覚と行動の神経科学ユニット所属)、同・大学 細胞分子シナプス機能ユニットの高橋智幸教授らの共同研究チームによるもの。詳細は、物理・生命科学・地球科学などの幅広い分野を扱う学術誌「iScience」に掲載された。

  • 脳が一時的に酸素不足になるとaLTPが活性化され、グルタミン酸の濃度が上昇する

    脳が一時的に酸素不足になるとaLTPが活性化され、グルタミン酸の濃度が上昇する。aLTPが長期間維持されると、記憶メカニズムを支えるLTPの正常な機能が乗っ取られ、記憶障害が生じる。NOの合成やグルタミン酸塩の放出を促進する分子経路をブロックすると、最終的にaLTPは停止する (画像:ハンイン・ワン博士ら,2024年) (出所:OIST Webサイト)

ヒトが何か新しいことを学ぶ時、つながりのあるニューロン同士は互いに電気信号や化学信号を通じてコミュニケーションを行う。同じグループのニューロンが頻繁に連絡を取り合うと、ニューロン間の結びつきが強くなるが、このプロセスは脳が物事を学習し記憶するのに役立つLTPとして知られている。

そしてLTPのもう1つのタイプが、脳が一時的に酸素から遮断された時に起こるaLTP。脳卒中などで見られる記憶障害には、同プロセスが関与している可能性もあるという。また酸素が不足した脳内で、NOがグルタミン酸の放出に関与していることは知られていたが、そのメカニズムは未解明だったとする。そこで研究チームは今回、酸素欠乏が脳にどのような影響を及ぼし、どのようにしてそうした変化が起こるのかを調べるため、同プロセスを詳細に研究することにしたとする。

脳内の酸素が不足すると、神経伝達物質であるグルタミン酸がニューロンから大量に放出され、その結果としてNOが産生される。ニューロンや血管で産生されたNOは、aLTPの間、ニューロンからのグルタミン酸放出を促進する。このグルタミン酸-NO-グルタミン酸のループは、脳が十分な酸素を得た後も続くという。

脳卒中では、脳が酸素不足になると、健忘(最近の記憶がなくなること)が症状の1つとなる。酸素欠乏が脳に及ぼす影響を調べることは、薬の開発が期待できることからも重要。そこで今回の研究では、マウスの脳組織を、生きた脳の自然環境を模倣した生理食塩水に入れる実験が行われた。

通常、溶液中には脳組織の高い酸素需要を満たすために酸素が添加されるが、それを窒素に置き換えることで、一定時間、細胞から酸素を奪うことができる。その後、個々の細胞の電気的活動を記録するために電極が取り付けられ、生きたマウスの神経活動を誘発するのと同様な方法で細胞が刺激された。その結果、aLTPの維持には、神経細胞と脳の血管の両方におけるNOの産生が必要であることを発見したという。

また神経細胞と血管に加えて、aLTPには、グリア細胞の一種である「アストロサイト」の活動も必要であることが示されたとする。脳の細胞では、ニューロンが主役で多数派のイメージがあるが、実はその10倍以上存在するのがグリア細胞で、ニューロンの生存や発達のために脳内環境の維持と代謝などの支援を行っている存在。アストロサイトは、神経細胞と血管壁細胞の両方に枝を伸ばしており、両者のコミュニケーションをサポートしていることが知られている。

なおNO合成は、グルタミン酸が受容体を活性化することで行われ、そのための分子メカニズムやNOによるグルタミン酸放出の分子メカニズムをブロックすると、最終的にグルタミン酸-NO-グルタミン酸ループが破綻して、aLTPが停止することがわかっている。

注目すべきは、aLTPを支える細胞の過程は、記憶の強化や学習を支えるLTPの過程と、部分的に重複しているという点だという。aLTPが存在すると、LTPに必要な分子活動が乗っ取られ、aLTPを除去すると、学習と記憶に関連するLTPが助けられる。このことは、長時間持続するaLTPが記憶形成を阻害している可能性を示唆しており、短時間の脳卒中後に生じる記憶喪失の説明にもなるかもしれないとする。

今回の研究成果は、長時間持続するaLTPを説明するものであり、虚血後に生じる記憶喪失の回復治療に役立つ可能性があるとしている。