大阪市立大学と科学技術振興機構(JST)は3月11日、脳内において、さまざまな空間情報が「海馬」から「海馬台」を経て下流の「側坐核」、「視床」、「乳頭体」、「帯状皮質」へと分配される情報の流れを明らかにしたと発表した。

同成果は、大阪市立大大学院 医学研究科 神経生理学の北西卓磨講師、水関健司教授らの研究チームによるもの。詳細は、国際学術誌「Science Advances」に掲載された。

現在地、自分の移動速度、自分の向かう方向、目的地までの道順といった空間認識は、ヒトを含めてあらゆる動物の生存にとって必要不可欠ともいえる重要な能力だ。空間認識に関わる情報は、海馬は大脳の側頭葉内側部に位置する海馬で処理される。海馬は、記憶の形成でも重要な役割を果たしていることで知られる領域だ。

その海馬の一部の神経細胞は、現在地に応じて神経活動の頻度が変化し、この活動パターンにより場所の情報が表される。そのことから、それらは「場所細胞」と呼ばれている。同様に、移動速度や道順により活動が変化する神経細胞も存在し、それぞれの情報が表現される。こうした多様な空間情報は、海馬で処理された後に、海馬の下流の脳領域へと分配されて活用されることで、脳機能を支えていると考えられるという。

海馬は、隣接した海馬台という脳領域に情報を送り込み、海馬台は4か所以上のさまざまな下流の脳領域へと情報を送る。このことから、海馬の持つ情報の分配には、海馬台が重要な役割を果たしている可能性が考えられるとした。しかし、海馬の持つ情報が下流の脳領域群へと具体的にどのように分配・伝達されるかについては、これまでのところ解明されていなかった。そこで研究チームは今回、その分配・伝達の詳細な研究を試みたのである。

一般的に用いられる神経活動の計測手法では、活動を計測している神経細胞がどの脳領域に情報を伝達するのかを知ることができない。そこで今回の研究では、256個の多点電極を用いて、神経細胞の活動を記録する大規模電気生理計測と、光により神経活動を引き起こす光遺伝学の手法を組み合わせた解析が行われた。

  • 脳における空間認識情報

    実験系の様子。(左)海馬から海馬台を経て下流の4か所の脳領域へと向かう情報の流れを、大規模な神経活動計測と光遺伝学により追跡が行われた。(右)海馬と海馬台に挿入された256個の電極の位置白点を表したもの (出所:プレスリリースPDF)

この手法により、ラットの海馬台における100個ほどある神経細胞の活動を一斉に計測しつつ、さらに、これらの神経細胞の情報の伝達先を網羅的に調べることが可能となったという。具体的には、ラットが空間探索の課題を行う際の海馬と海馬台の神経活動の様子が記録され、情報伝達の様式が調査された。その結果、主に3つの事柄が発見されたという。

第一に見出されたのが、海馬台は海馬に比べてノイズに強い頑強な情報表現を持つことだ。海馬にはこれまでの研究によってわかってきたことだが、場所細胞のような鋭い反応選択性を示す神経細胞が多く存在している。

  • 脳における空間認識情報

    海馬と海馬台の神経細胞による場所情報の表現。海馬の神経細胞は、動物が特定の場所にいるときに選択的に活動した(B左端列)。一方、海馬台の神経細胞は、場所に対する選択性は低いものの、活動頻度が高いために海馬と同等の情報量を持ち、さらにノイズに対して頑強であることが確認された(B右4列) (出所:プレスリリースPDF)

それに対して海馬台の神経細胞では、一見したところ反応選択性は緩いものの、神経活動の頻度が高いために海馬と同等の情報量を持ち、さらに神経回路に生じるノイズの影響を受けにくいことが明らかにされた。この正確で頑強な情報表現は、海馬台から長距離の神経投射を通じた下流の脳領域への情報伝達に適していると考えられるという。

そして第二に見出されたのが、多様な空間情報は海馬台から下流の脳領域群へと、領域選択的・非選択的に伝達されることだ。具体的には、移動速度と道順の情報はそれぞれ帯状皮質と側坐核に選択的に伝達され、場所の情報は側坐核・視床・乳頭体・帯状皮質の4領域に均等に分配されることが確認された。このことから、海馬台が、情報の種類と標的脳領域に応じて、情報を分配・伝達する役割を持つことが判明したのである。

  • 脳における空間認識情報

    道順の情報を持つ細胞の割合。海馬台から側坐核に投射する神経細胞の多くが、道順の情報を持っていることが確認された (出所:プレスリリースPDF)

第三に見出されたのが、海馬台から下流の脳領域への情報伝達のタイミングは、ミリ秒の時間精度で正確に制御されることだ。海馬や海馬台では、動物が活動しているときやレム睡眠中にはシータ波、休んでいるときやノンレム睡眠中には「シャープウェーブ・リップル波」と呼ばれる脳波のリズムが発生する。海馬台から下流領域へと投射する神経細胞は、標的とする脳領域によって、シータ波やシャープウェーブ・リップル波のリズムに対して特定のタイミングで神経活動を生じたり、活動の頻度が変化したりすることが確認された。

これらの結果から、多様な空間情報が海馬から海馬台を経て、下流の4領域へと分配される一連の情報分配の様式が明らかとなったのである。

海馬は、空間情報を含めたさまざまな情報を取り扱い、記憶・学習に重要な役割を果たす脳領域であり、その機能低下は認知症の要因となるという。今回の成果は、海馬を中心とした記憶システムの動作原理の解明や、認知症における記憶力低下の病態の理解、海馬の機能異常が原因で起きる疾病の解明につながることが期待されるとしている。