東京工業大学(東工大)は3月9日、聞こえてくる音をヒトが予測する場合、メロディや機械的なビープ音を予測するよりも、他者の声を予測する方がより早いことを発見し、声に関する脳内の情報処理は、実際に声を聞く前から始まっていることを仮定、それを実証したと発表した。

同成果は、東工大 リベラルアーツ研究教育院の大上淑美研究員と小谷泰則助教らの研究チームによるもの。詳細は、オランダの生物心理学を中心とした科学誌「Biological Psychology」にオンライン掲載された。

「予期・予測」は、人間が行動を迅速かつ的確に行うために備えている能力だ。予測に伴って出現する脳波として「刺激先行陰性電位(SPN)」がある。SPNは右脳の活動の方が大きい「右半球優位性」という特徴があり、前期成分と後期成分がある。課題に関連した刺激が与えられるとき、その刺激が出る前の数秒前から出現するという特徴を持つ。さらに、金銭報酬を与えた場合には動機づけ(やる気)が高まり、その値が大きくなることなども明らかとなっている。

また研究チームによるこれまでの研究で、顔・記号・言語の3種類の視覚刺激を用いて予測の脳活動を測定した結果、顔の予測は事前に高めのSPN前期成分が高まることを示したという。そこで今回は、聴覚刺激を用いて、予測に関わる脳活動の違いをSPNの成分から分析することにしたという。実験には34名が参加し、時間評価課題が実施された。具体的には、参加者は指定された4秒間を頭の中で数えてからボタンを押し、その数秒後にその時間評価が合っていたか間違っていたかのフィードバック(FB刺激)が2秒後に提示されるというものである。

FB刺激として声(「あたり」・「はずれ」)が聞こえる条件、メロディが聞こえる条件(軽快なメロディもしくは鈍重なメロディ)、ビープ音(2000Hzもしくは500Hz)が聞こえる条件を設定し、頭皮上で68個の電極を用いる高密度脳波電極にてSPNを測定し、FB刺激が出る前の脳活動が分析された。

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    (左)左脳後側頭部のSPNの平均波形。全実験参加者の脳波が平均され、3つの条件が重ね合わされたグラフ。実験では、ボタンが押された時点を0ミリ秒(ms)とし、2000msの時点で音刺激が提示される。SPNは陰性の脳波であり、点線四角内(500~1000ms)のところで、声条件(赤線)の振幅が統計学的に有意に大きくなっていることが確認された。(右)予測と関係する脳波の成分波形。主成分分析が行われ、6つの成分が抽出されたあと、時間軸に沿って各成分の時間変化が描出された (出所:東工大Webサイト)

左脳の後側頭部のSPNを見ると、FBの時点で音刺激が提示されたのだが、その1.5秒前~1秒前のグレーの点線四角内を見るとわかるように、声(赤線)はその時点ですでにメロディ(青線)やビープ音(緑線)よりSPNの振幅が増加していることがわかった。これは、左脳にある言語野が声を聞く前にすでに活動しているためと考えられるという。

また、SPNに対し、成分に分解する分析(主成分分析)を行った結果、6つの成分のうち、2つがSPNに深く関与していることが判明。声を予測する場合は、前期成分(F2・青線)の振幅が大きくなることがわかり、声の予測は、1秒以上も前から脳活動を高めることが明らかとなった。また、メロディやビープ音の予測は、後期成分(F5・赤線)で処理されていることも確認されたのである。

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    (左)脳波P3の平均波形。全実験参加者の脳波を平均し、3つの条件を重ね合わせたグラフ。このグラフの実験では、0msの時点で音刺激が提示された。P3は陽性の脳波であり、音刺激を受けてから出現する。グレーの点線の丸で囲んだ部分では、声条件(赤線)の振幅が大きくなっているのが見て取れる。(右)頭皮状電位分布図。頭上(鼻が画像上を向いている)から見た平均脳波の分布図で、声、メロディ、ビープ音それぞれFB提示時とFB提示後の2種類が比較できるよう並べられている。SPNは陰性の脳波なので、青色が濃いと活動が高く、青色が薄いと活動が低いことを意味している。メロディ条件は、ほかの2つと比べて、FB後(音刺激後)の活動が高く、真っ青になっている (出所:東工大Webサイト)

さらに、刺激が出された直後に出現する脳波で、脳内の情報処理量を反映する脳波「P3」を見ると、声を聞いたときの振幅が大きくなっており、ヒトは声からより多くの情報を引き出していることが示されたという。

このほか、メロディは声とビープ音に比べてSPNが小さかったが、メロディが聞こえたあとにはほかの音よりも脳の活動が高まることも確認された。そのため、メロディのような複雑な音は、予測するときよりも刺激が出たあとの方が脳の活動が高まることが明らかになったのだという。

これらの結果から、脳は、声に対しては聞こえる前から活動を高めるのに対し、メロディのような音楽や複雑な音に対しては、聞こえたあとに脳の活動が高まることが示された。

研究チームは、これまでに脳は顔を見る前から活動していることをこれまでの研究で実証済みだが、今回の研究と合わせることで、顔と声がコミュニケーションにおいて重要な役割を担っていることが示された形だ。

顔や声を伴うコミュニケーションでは、意味の抽出や感情表現、その人物が誰かを判別し特定する作業が必要になり、より長い処理時間が必要となる。そのために顔や声が出現する前から脳を事前に活動させておく必要があるものと考えられるという。

新型コロナウイルス感染症の発生後、遠隔でのミーティングなどが多く行われている。今回の研究結果は、声が聞こえ、顔が見えることは、人間の情報伝達のスピードを速くさせ、コミュニケーションを円滑にさせる可能性があることを示唆しているとしている。