自殺事件にどこまで責めを負うべきかの問題も

従業員の自殺という事態に、企業はどこまで責任をもつべきなのか。実際のところ、この問いに答えるのは簡単ではない。従業員の自殺は最終的には個人的行為であるから、2006年に自殺した胡氏の事件が提起した「過労死にどう向き合うべきか」という問題とはかなり異なる。

たとえ、仕事上のプレッシャーが大きすぎたため自殺したとしても、その責任をすべて企業に負わせることができるだろうか。仕事の圧力に耐えられなかったとしても、会社を辞める事もできたはずだ。何も、命を終わらせるなどという極端なやり方をしなくてもいいはずである。

メンタルヘルスを行うカウンセラーや医師が不足

しかし、別の角度から見れば、企業が従業員のメンタルヘルスを軽視し、最低限度の人道的配慮もしてこなかった、とも言えそうだ。

中国では、従業員のメンタルヘルスに配慮した労働管理を行うような企業はめったにない。著名な企業の中でも、従業員のメンタルヘルスについてその重要性をまったく意識していない企業が多い。華為もそのうちの一社である。通信やITなど競争が非常にきびしい業界では、社員が長期にわたり、強度のストレス、厳しいプレッシャーの下で働くため、鬱病や不安障害などの神経症、精神病にかかる人も少なくない。

華為で起きた従業員の連続自殺事件は、いわば必然の中の偶然、である。明らかにそれは、中国企業にある警鐘を鳴らしている。

企業レベルにおける従業員のメンタルヘルスへの軽視は、その背景に、中国の国全体でのメンタルヘルスへの対処、取り組みの未熟さに裏打ちされている。米国などでは心理サービス、メンタルヘルスケアがすでに社会福祉体系に組み入れられ、費用を実費請求する事ができる。一方、中国では多くの立派な病院にさえまともな精神科がなく、メンタルヘルスを扱う特定部署、カウンセラー、医師などが不足している。

「食が足りる」という事を第一目標に突っ走ってきた中国だが、都市部ではすでに社会転換期に差し掛かっている。高度経済成長で物質的な欲求が満たされてきた今、中国の都市部でも、心の健康という問題がむしろ大きなウエイトを占める時代に入ってきたということなのである。