インテルの独占状態だったデータセンター市場

これまで私が回想録で述べてきたAMDとインテルのCPU開発競争は当時爆発的成長を遂げたデジタルプラットフォームであるパソコン(PC)用のCPU市場の話であった。しかし、PCとインターネットの爆発的成長とともに圧倒的に重要性を増していった市場があった。インターネットを縦横無尽に行き来する大量のデータのトラフィックを一手に引き受けるデータセンターである。

データセンターには何千、何万台ものサーバーボードが設置されており、典型的なサーバーボード一枚には2~4個のCPUが使用されている。その市場を独占していたのがインテルだった。基本的にはパソコン用に開発したアーキテクチャをコアにし、外部インターフェース、メモリサイズなどを大きくアップグレードしたものが市場を牛耳っていたインテルのサーバー用CPU Xeon(ブランド名)である。

Intel Xeon E7340 (提供:長本尚志氏)

前述したと思うが、サーバー用CPUの個数換算での市場サイズはPCの十分の一以下であるが、それに使われるCPUの単価は5~10倍である。それをインテルは独占しているのだからどれだけの利益がそこから稼がれていたかは想像に難くない。当時のサーバー市場の状態は以下のようなものであった:

  1. 市場全体が高成長であるがキーコンポーネントをインテルが独占
  2. 故に、いろいろな市場ニーズに反して単一技術、しかも値段が高止まり
  3. 競争原理がはたらかないので主導権が顧客よりもベンダーに移る
  4. 顧客は競合の登場を待ち望んでいる

この状態はAMDにとっては、"いつか来た道"、しかも相手がインテルとあっては、参入を画策したのは当然の流れであったろう。しかし当時の市場の状況に新参者が割って入るには大きな参入障壁があった。

当時ITという言葉はなく、情報システム(情シス)という総務部の一部が多かった (写真@ママカメラ)

  1. サーバーの世界はPCと違って企業ビジネス、完全にB-TO-BのITの世界。
  2. 当時はIT(IT:Information Technology)という言葉はまだ新しく、IS:Information System、情報システム(略して情シス)と呼ばれていて、典型的な大企業の組織では総務部、経理部に属していた。そこにいる人たちは技術者と言うより、総務部でコンピューターにちょっと明るい人。基本的には官僚みたいな保守的な人たちばかり。
  3. 保守的な人たちなので、コスト、技術革新にはあまり関心がない(今から考えれば信じられない話だが)。完全に減点主義の世界で、問題を起こすことが命取り。当時よく言われたたとえ話は"IBMさえ使っていれば高くてもクビにはならない"、と言うもので、当時はメインフレームからクライアント・サーバーシステムに急速に移行している状態であり、最初のころはインテルCPUのサーバーでさえかなり"先進的"なものであった。
  4. AMDのCPUはインテル互換で市場シェアを広げ、独自アーキテクチャのK7 Athlonでインテルからの技術的独立を果たし、コンシューマー市場では確固たる地位を築いたが、企業系システムの関係者の間では(一部の先進的ユーザーグループを除いては)"AMD? なにそれ?"、と言うのが厳しい現実。
  5. インテルはクライアント・サーバーの世界でXeonというデフォルトのCPUの地位を築くと、その世界で既に存在した他の競合(IBM、HP、NEC、富士通など)を振り切るためにIA64と呼ばれる、独自のアーキテクチャによる64ビット化を目論んでいた。CPUはItanium(アイタニアム)と言うブランドである。

AMD技術陣のカリスマ – ダーク・マイヤー

AMDのダーク・マイヤー、最初はCPUアーキテクトとしてDECから入社したが最後にはCEOまで登り詰めた (著者所蔵)

この状況にあって、"これは勝機あり"といよいよ確信したAMD技術陣のカリスマがいた。ダーク・マイヤーである。ダークはもともとDEC(Digital Equipment Corp.)で業界初の真正64ビットCPU"アルファ""前述のアルファ碁とは全く関係なし)プロジェクトを主導したチーフアーキテクトであった。その頃AMDには、インテルとの技術競争に敗れ、捲土重来を期していろいろな会社から集結した技術者がたくさんいたが、ダークはその中でもリーダー的な存在だった(ダークはその後2010年にAMDのCEOとなった)。

ダークが主導したAMDでの最初の製品はK7-Athlonで、これにはEV6などの先進的なバスなどアルファで培ったノウハウが随所に使われていた。私はダークとは仕事上何度も直接話す機会があったが、ダークの技術者としての夢はサーバー用の強力なCPUを開発し、ビジネス的に実現することだったのだろうと常々思う(その分、その後に訪れるモバイル化のトレンドにAMDが大きく遅れる結果にもなったとも思うのだが…)。とにかく、ダークと彼のチームが構想したK8プロジェクトは、素人の私にも"もしこれがあらかじめ宣言した機能、性能でもって、予定通り開発できたなら多分大成功するだろうな"、とはっきり理解できるような明確な差別化とアーキテクチャ上の優位性を備えていた。

著者プロフィール

吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
・連載「巨人Intelに挑め!」記事一覧へ