筑波大学で学長補佐・准教授を務め、「現代の魔法使い」とも称され、メディアやイベントに引っ張りだこな落合陽一氏。「メディアアーティスト」としても活躍する同氏は、5月14日~17日の4日間にわたり開催される「Advertising Week Asia 2018」において、キーノート・スピーカーとして、登壇することが発表されている。今回、このイベントにちなみ「現代の広告を取り巻く環境」について、落合氏にインタビューを実施した。

  • 落合陽一氏。研究者でありながら、メディアアーティストや経営者など、多才に活躍している

「広告」の枠組みが自由になってきた

--「Advertising Week」で基調講演を実施するとのことなので、「広告」にちなんだ話をお伺いしたいと思います。早速ですが、落合さんは、昨今の日本の広告を取り巻く環境について、どのように感じていますか?

落合陽一氏(以下、落合) : 改めて痛感しているのは、「2020年までは広告メディアの持つ発信力は強まる」ということです。

オリンピックのような大きなナショナルイベントが控えているタイミングで、「日本のイメージ」や「我々の生きる社会」において、コンセンサスが取れるような共感メッセージをどうやって発していくのか? ということが、そういった機会が差し迫ったときに非常に大きな課題になると思います。

その上で、ここ数年はしばらく好景気が続いていたため、広告出稿も増えていたということもあり、広告というコミュニケーションスタイルが多様化し、さまざまな手法が開発されています。

例えば私は、普段は計算機を用いた研究開発やメディアアート作品の制作を行う人間ですが、広告という枠組みだと開発しながら演者として出ることもあれば、技術や企画を提供するプレイヤーとして関わることもあります。

もちろん、ACC(全日本シーエム放送連盟)のインタラクティブ部門の審査員をやらせていただいていたりもするので、そういった意味では広告自体の批評を考えることもあります。

そういった活動の中で、広告がもっているメッセージ性や、メディアをつかった施策の方向性というのが、今までのように「社会の中から誰かをキャスティングするという切り取り方」をしたり、技術要員やコミュニケーションデザインも含めて「クリエイティブを作りこんだりする」こと以外にも、比較的自由になってきたように思います。

例えば、「新しいコミュニケーションのメディア自体既存の研究開発スタートアップの枠組みで開発する」とか、「ワンショットのイベントではないものを継続的にやってエコシステムを育ててみる」といったように、スパンも手法もお金の調達の方法すらも、クライアントの予算と時期の都合だけに囚われたものだけでなくなってきました。

そのようなクリエイティブの方向性には非常に期待してますね。そういう意味では、「新しいビジネスの考えのきっかけをつくる企画」のような「コミュニケーションドリブンなビジネス」を始めるようなものもあり、非常にクリエイティブで面白いと思っています。

対立する"マス"と"個人"がメディアを変えた

--広告のコミュニケーションスタイルが変わってきている、というのは、YouTuberやSNS上で有名なインフルエンサーの登場などからも感じます。広告の手段が、マスメディアという旧来の枠に収まりきらなくなってきたということでしょうか

落合 : この前、『YouTube革命』という本の解説の中でこのようなことを書きました。

我々が今テレビマスメディアと個人発進メディアとの間で観測している<速度の違い>や<プロセスの違い>、<コンテンツ性の違い>は、移行の過渡期でありこの<敵対的生成>がメディアにもたらすフィードバックの片鱗だ。

-中略-

ここから言えるのは片側が片側を吸収するのではなく、<部分と全体のフィードバックループ>とコミュニケーション速度の上昇によって、入力パラメータのことなった<いくつものオルタナティブ>が生成されるのだということを本書は示唆している。

<マス-個人系>や<個人-個人系>、<個人-マス系>、<マス-マス系>だけでなく、<マス-個人-個人-マス系>や<マス-個人-マス-個人系>などの複合的亜種がこれから生まれていくだろう。

『YouTube革命 メディアを変える挑戦者たち』(文藝春秋)より引用

つまり、"マス"と"個人"という対立する、そして相互発進を続ける軸が存在し得る、というのが今の時代感だと私は思っています。

私はこれまで、個人というのはマスよりもはるかに弱い力しかなくて、かつ個人の発したクリエイティブがマスに影響を与えるということはあまりなかったと思うんですよね。もちろん、マスメディアの中にいればその個人というのは機能として力を持っているわけですが。

つまり、マスメディアにフォーカスされて初めてセンター街の濃いメイクのギャルや原宿の奇抜な格好の若者は認知を得たりしてきたわけで、それは一方通行性が強かった。マスメディアがある種"昆虫採集的に"ネタを拾ってきたわけです。

しかし例えば今、YouTuberが発したメッセージや、スマートフォンでとられたコンテンツが、世界を席巻して力を持つこともあり得ます。さまざまなSNSサービスでフォロワーを得た人々がマスメディアとネットメディアを往復することもある。しかも、この場合マスメディアはそう簡単にその人の色付けを行うことができない。すでにフォロワーを獲得しているわけですから、今までと違ってコンテクストを漂白できないのです。

"最も尖ったもの"というのは個人から発信されて、それが一般的な手法になり、マスに吸収され、一般化という漂白を経た後、その個人が、また別の尖ったクリエイティブを出す…というように、個人とマスは、片側には寄らないけど、両側で刺激し合っている。そのような新たな関係性を作っているように思いますね。大人の匂いに敏感な世代がこれを牽引しているのかな。

【ここまでのポイント】
・広告のスタイルが多様化し、旧来のメディア枠に囚われなくなってきた
・対立する"個人"と"マス"が影響し合うことで、新たな関係性を作るようになった

次ページでは、

  • 「新興メディアの事件」から見る、私たちを取り巻く環境
  • 大型から"ローカル"に移行していくプラットフォーム

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