「事件」から見る、現代のメディアと個人

--最近、「Facebookが個人情報を漏洩していた」「YouTubeの本社が襲撃された」などといった、さまざまなニュースが巷を賑わせていますが、このように、テクノロジーが進化するにつれて生まれた、比較的新たなメディアをめぐり、さまざまな問題が生じている状況について、どう考えていますか?

落合 : 思うに、これらの事件は、テレビ局(のようなコンテンツ制作を行う旧来のメディア)であっても同様の事件が起こらなかったかというと、おそらく起こったことでしょう。今までの歴史でもそういった激情を持つ個人による事件や情報管理不足は起こってきました。

YouTubeの話をすると、重要なのは、襲撃されたYouTubeは、コンテンツメッセージを持たない「プラットフォーマー」であった点です。YouTubeはコンテンツを提供しているのではなく、あくまで規約に基づいて、プラットフォームを正常に保つことが役割なのです。そのプラットフォーム運営行為が逆恨みされる、恨まれる、ということは、少し矛先が違うように思いますね。

例えば、テレビカメラを使って何かを撮っているときに、その使い方が悪くてカメラが壊れてしまったときに、テレビカメラに対して怒る、ということや、テレビの電波が受信できないときにテレビ受像機やアンテナ自体に怒ることはめったにないじゃないですか。

また、その製品やサービスが停止したからといって、ユーザーはある程度他のサービス選択肢を選んできたわけです。しかし、今はプラットフォーマーへの依存度が高いからそういうことが起こってしまっている。

要は、単なるテクノロジー機能だけを提供しているにも関わらず、それだけではないと思われているような、ある種のコンテクストを提供するプラットフォーマーとして働いているものが、個人のクリエイティブに対して強い影響を持っているというのは、今の時代に特筆すべきことだと思っています。

コンプライアンス的な意味でも、例えば数億人、数十億人のアカウントを1つの会社がコントロールしなければいけない、という状況では、全員に人間が対応することは難しいですよね。人が人に対応できる工数を超えている。

だから限界費用の面からソフトウェアプラットフォームになるわけですが、そうやって対応するためには、自動化しないといけないし、人と機械に理解可能なルールをつくり、それに違反した人はアカウントを停止するなどしなければいけない。しかも、現状の技術水準やコンセンサスでは、人によって動的にルールを書き換えることも難しいわけですよね。

そうした状況の中で、現在プラットフォーマーがその拡大した顧客層と多様性を持ちながら、それぞれの個人の間隔に寄り添うようなきめ細やかなサービスをユーザーに提供できているかというと、できていない。それで、恨みが発生してしまっているということが問題点だと思います。

プラットフォームは、大型からローカルへ

落合 : さらにもう1つ話をすると、今のメディアを取り巻く環境において特筆すべき点は、ローカルのサービスについてです。例えば、今、ローカルの動画共有サービスって増えているじゃないですか。例えば、日本やアジアでいうとSHOWROOM(ショールーム)とか。

  • SHOWROOM Webサイト。SHOWROOMは、アーティストやアイドル、タレントなどの配信が無料で視聴でき、誰でも生配信が可能な、双方向コミュニケーションの仮想ライブ空間 (画像は5月8日時点)

ただ、そういった地域性が見られるような動画プラットフォーマーが出てきたとして、そのテクノロジー面での品質保証を考えてみると、これまでのような大型でユーザーが数億人いるようなサービスと比べても、ユーザーの数が少ない分、リソースや作り込みに気を使えばサービスの体験クオリティには影響しないんです。

これはソフトウェアビジネスでなければなかなか実感しづらいことですよね。巨大なプラットフォームでは、何億人かユーザーがいることによって、利潤は上がるけれども、ユーザーに対して返ってくるサービスのわかりやすい開発結果、例えばコードが綺麗に書かれているとかUIが良いとか、障害対応や個人情報管理ツールが使いやすいとか、それがユーザー数に比例するのかというと、必ずしもそうでもないと思うんですよね。

ここまでのポイント
・肥大化したプラットフォームは、"きめ細やかなサービス"を提供出来なくなっている
・"ローカル"なプラットフォームでもサービスの体験クオリティは下がらないため、ユーザーはさまざまな選択肢から、利用するプラットフォームを選べるようになってきた

次ページでは、

  • 「広く浅く」から変わるインターネットトレンド
  • "クローズ化"が進むインターネット

についての話をお届けします