業務効率化を目的にAIツールを導入する企業は増えている。だが、既存業務に個別のツールを当てはめるだけでは、業務プロセスや組織の在り方までは変わりにくい。そこで重要になるのが、AIを前提とした社内ITと業務基盤にどうつくり替えるかである。

5月27日開催の「TECH+セミナー クラウドインフラ 2026 May. クラウド運用の落とし穴~コスト・セキュリティ・人材不足を克服する~」に、メルカリ 執行役員CIOの進谷浩明氏が登壇。「すべての時間を価値に変える~メルカリ IT Divisionが目指すAI-Nativeな未来~」と題して、同社の取り組みを語った。

AI-Native実現に向けたメルカリIT Divisionの構想

進谷氏はまず、自身が率いるIT Divisionの役割を説明した。メルカリのIT Divisionは、情報システム部門としての社内IT基盤の構築・運用、コーポレート機能・バックオフィスのDX推進、そしてメルカリ独自の内製コーポレートプロダクト開発という3つの柱で構成される。

  • メルカリ IT Divisionの概要

    メルカリ IT Divisionの概要

IT Divisionのミッションは「技術力と実現力でメルカリの可能性を広げる」だ。ここで同氏が強調したのが、技術力と並ぶ「実現力」である。優れたエンジニアリング、つまり技術力だけでは十分ではないためだという。

「どれだけ優れたテクノロジーを導入しても、それが実際の業務に根付き、成果につながらなければ意味がありません。だからこそ、粘り強く行動し、最後までやり遂げる実現力も重視しています」(進谷氏)

技術力と実現力で、従業員・事業・組織・経営の可能性を最大限に高める。それがIT Divisionの役割なのだ。

そのうえで掲げているビジョンが「すべての時間を価値に変える~Zero Noise, Full Value~」である。複雑な業務フロー、非効率なツール、各所に散在するデータやナレッジなどが、従業員の時間とエネルギーを奪う「ノイズ」になっていると同氏は指摘する。

「IT Divisionは、こうしたノイズを0にすることを目指しています。従業員一人ひとりが本来のポテンシャルを100%発揮し、事業に直接貢献できるFull Valueな状態へ導くこと。そして、ITの力でメルカリの生産性にパラダイムシフトをもたらすことが、私たちの掲げるビジョンなのです」(進谷氏)

このビジョンを実現するために、IT Divisionは2つのフレームワークで組織を運営している。1年先・3年先の到達点を言語化したロードマップを中長期の道標とし、四半期ごとに設定するOKR(Objectives and Key Results、目標設定・管理フレームワーク)で短期の実行力を最大化するという考え方だ。

FY26のロードマップでは「IT基盤とITサービス管理の高度化」「アプリケーション基盤とコーポレートシステムの高度化」「組織と組織運営の高度化」を3つの方向性(ディレクション)に据え、その3領域全てを貫く今期の最重要テーマとして「AI-Nativeへの進化」が位置付けられている。

IT基盤はSaaS統合と独自構築をハイブリッドで使い分ける

IT基盤の中核を支えるのが、ITサービスマネジメント基盤だ。社内ITに関わる業務は、サービスデスクへの問い合わせ対応、ハードウェア資産の管理、ソフトウェアライセンスの管理など多岐にわたる。メルカリではこれらを、ITSM(IT Service Management)、HAM(Hardware Asset Management)、SAM(Software Asset Management)の3領域に整理し、ServiceNowという単一プラットフォーム上で連携。この統合により、運用業務の属人化やブラックボックス化の解消を進めているという。

「企業のIT環境では、ITサービス管理にまつわるプロセスが、それぞれ別のシステムで管理されがちです。これが、複雑なノイズを生む一因になっていると考えています」(進谷氏)

一方、監視・可視化基盤については、ITサービスマネジメント基盤とは対照的なアプローチを採る。既製のSaaSではなく、PrometheusやGrafanaといったオープンソースを活用し、独自の基盤を構築しているのだ。

その理由は2つある。1つは、短期メトリクスを用いた監視にとどまらず、長期メトリクスを用いた高度なトレンド予測など、同社固有の要件に柔軟かつ最適なコストで応えるためだ。もう1つは、エンジニアの技術力を高いレベルで維持するためである。

守るべきプロセスはSaaSで徹底的に効率化し、技術的な深さが求められる領域は自らアーキテクチャを組み上げる。エンタープライズSaaSの活用と、テック企業的な内製アプローチを使い分けるハイブリッドな姿勢こそが、メルカリIT Divisionの独自性だと言えるだろう。

クラウドネイティブに合わせてセキュリティと業務基盤をつくり替える

IT基盤のセキュリティの要として進谷氏が紹介したのが「Mercari Beyond Zero Trust」である。これは、クラウドネイティブの利点を最大限に生かした、メルカリならではの次世代型ゼロトラストであり、Zero Noiseを体現するITセキュリティ基盤でもある。

具体的には、デバイス・アカウント・ブラウザ・認証・認可を密に連携させ、利用者の状況に応じてアクセス可否を判断するアーキテクチャだ。誰が、どの端末から、どのアプリケーションに、どのような条件で接続しようとしているのか。その都度の状況を踏まえてアクセスを認可する。

「Mercari Beyond Zero Trust」採用の背景にあるのは、同社特有の事情だ。

ゼロトラストという概念は広く知られるようになったが、ネットワークやプロキシをベースとする一般的なソリューションは、メルカリの環境には合わないと同氏は言う。

「メルカリのような完全なクラウドネイティブ環境においては、必ずしも最適な選択とは言えないと考えています。何より、従業員の多くがソフトウェアエンジニアであるメルカリにおいては、プロキシを経由することで生じる開発ツールへの干渉が、生産性を大きく損なう重大なノイズとなり得ます」(進谷氏)

アプリケーション基盤の領域でも、業務に潜むノイズの解消を進めている。経営管理基盤EPM(Enterprise Performance Management)ではAnaplanを導入し、各部門のスプレッドシートに分散していた予算・KPIデータの全社統一基盤への統合を進めている。経営が単なる数字の確認ではなく、意思決定そのものに集中できる環境を整える狙いだ。

コーポレートワークフロー領域では、契約関連プロセスを再構築するCLM(Contract Lifecycle Management)と、購買業務を統合するPOM(Procurement Operation Management)を進めている。いずれも、申請する従業員側とそれを処理するコーポレート部門側、双方の手戻りや確認作業を減らす狙いがある。

AI-Native化の起点は徹底的な業務の棚卸しから

ここまで進谷氏が解説してきた基盤整備の延長線上にあるのが、メルカリが今期最重要テーマとして掲げる「AI-Native」への進化である。

「私たちが定義するAI-Nativeとは、単に既存の業務に便利なAIツールを導入するということではありません。プロダクト、仕事のやり方、組織……全てをAI中心に再構築するということです。AIを前提に、業務プロセスや組織の在り方をゼロベースで見直していきます。そうすることで、これまでの延長線上にはない非連続な成長を生み出すことができるのです」(進谷氏)

その出発点となったのが、徹底的な業務の棚卸しだった。同社では100名規模のAIタスクフォースを立ち上げ、会社全体を33の領域に分けて業務フローを棚卸ししていった。

IT Divisionでも、担当する5領域・149業務を全て一覧化し、フローを可視化したうえで、それぞれの業務についてAIを前提とした業務プロセスへ再構築できるかを一つひとつ評価した。

結果として、IT Divisionでは55件の具体的なAI施策案を取りまとめ、現在は実現可能性と効果が高いものから順に本格的なAI化を進めている。

AIエージェントによる業務完遂を目指す具体的取り組み

進谷氏が紹介するAI-Nativeの具体例の1つ目は、ITサービスエージェントである。従業員が何らかの問い合わせをチャットで送信すると、AIが意図を読み取り、APIを通じて実際にライセンスを付与し、管理や報告までを行う。

「私たちが大切にしているのは、回答を提示するだけのチャットボットで終わらせないということ。AI-Nativeで目指すのは、AIが自らシステムを操作し、課題を解決する、自律型AIエージェントの実現です」(進谷氏)

すでに5,000件以上のITリクエストが人の手を介さずに自己解決されているという。これは5,000回分以上の従業員の待ち時間と、依頼を受ける部門の作業時間というノイズが消えたことを意味する。

2つ目はITサポートエージェントだ。ITサービスエージェントをすり抜けてくる複雑な問い合わせに対し、自動振り分け、過去事例に基づくソリューション提案、対応履歴からのアクションログ生成、AIによるナレッジ自動生成という4段階の自動化を進めている。

3つ目は、インフラ運用における脆弱性対応をAIで自動化する「VDI自律型運用への転換」だ。脆弱性情報の自動収集、Infrastructure as Code(IaC)構成データとの突合、GitHubでの自動起票と修正PR(Pull Request)の自動生成、低リスク案件の自動適用と高リスク案件の人による承認を組み合わせるハイブリッド運用を目指す。

インフラエンジニアにとって、日々発表される脆弱性情報の収集とパッチ適用は終わりのない重労働だと同氏は語る。この運用サイクル自体をAIで極限まで自動化することを目指しているそうだ。

4つ目はClaude CodeのAgent Teamsを活用したServiceNow回帰テストの自動化だ。ServiceNowには年2回の大型バージョンアップがあり、それに伴う回帰テストの工数とテスト網羅性の両立がこれまでのジレンマだったという。

これに対し、エンジニア役のAIエージェントが仕様書を探索してテストケースを生成し、セキュリティ・パフォーマンス・QA・エンジニアリング・ドキュメントの5つの専門視点を持つレビューAIエージェントが並列でレビューする。さらに、その結果をNotion DBに集約し、最終的にはPlaywrightのテストコード生成までつなげる構想だ。

5つ目はOKR・プロジェクト管理のNotion化である。全ての情報をNotionに集約し、Notion AIで状況を把握できる仕組みを整えた結果、週1回、10人以上のプロジェクトマネージャーが1時間参加していた進捗報告会を廃止できたという。

AI-Nativeへの進化はテクノロジーとカルチャー、両輪の変革で実現する

講演の最後に進谷氏が強調したのは、「AI-Nativeへの進化はテクノロジーの変革だけでは成し遂げられない」ということだ。

「人がシステムを操作する時代から、AIエージェントが自律的に動く時代へのシフトは確実に訪れます。その前提となる強固なシステム・データ基盤を整備するのは、IT組織として当然の責務です。しかしそれ以上に重要なのが、組織カルチャーの変革なのです」(進谷氏)

求められるのは、従業員一人ひとりが息を吸うように自然にAIを使いこなし、「Zero Noise, Full Value」の思考を徹底すること。そして、戦略的・創造的な仕事へ自らの役割をシフトさせていく姿勢だ。

「テクノロジーの進化とカルチャーの進化、この両輪を技術力と実現力で回し続けることで、私たちは全ての時間を価値に変えることができるのです」(進谷氏)

これからのAI時代に求められるのは、単にAIを導入して業務を置き換えるのではなく、AIを前提として業務そのものをつくり替えていくことだ。その先にあるAI-Nativeを見据えて、メルカリは着実に歩みを進めている。