また、一連の問題について川合氏は、「今後とも慎重に調査を進め、速やかに調査結果を公表し、理化学研究所としての説明責任を果たしたい」としたほか、仮に不正が認められた場合について、「理事長も述べたが厳正に対処していく。科学者としての倫理に反する振る舞いが多々あったことは確かであり、理研として、職員の倫理を再確認しなければいけないのは真に残念に思うのと同時に、研究倫理の欠如は研究機関としては見逃せない事実であり、早急にアクションを起こしていく」と、今回の問題は理研全体の問題でもあるとの認識を示した。

このほか、理研CDBセンター長の竹市氏が、3月10日に理研の3人の著者に論文の撤回を求め、同意を得たとしたうえで、「ただし論文の撤回は責任著者全員の合意を得たうえで、最終判断はNatureが行う問題。論文がこのようなことになったのは遺憾だが、これを教訓にこれまで以上に研究の実施、論文作成における倫理を強化し、再びこうした事態が起こらないようにしていく」と、研究者としての倫理の強化を図っていく考えを示したほか、「STAP細胞の真偽については独立した研究グループによって実現されるか否かが重要であり、研究者コミュニティに協力をお願いしたい」とし、プロトコルの一部を開示して以降、より詳細なプロトコルの開示要求もあり、そうした対応を行い、第3者の手による追証を進めてもらえればとした。

しかし、質疑応答において会場からで、どこまで信用していいのか分からない論文を元に確認しようという意欲は沸きづらいのではないかという質問が飛ぶと、竹市氏は、「共著者の1人である丹羽仁氏(CDB多能性幹細胞研究プロジェクトのプロジェクトリーダー)が責任を感じて、1人で全部追証を行うと言っている」と、まずは理研内部でSTAP細胞が実際にできることを確かめ直す予定であるほか、非公式にではあるが、追証実験を依頼している研究室もあるとした。

ただし、「実際のデータを見たわけではないが、理研内部で、小保方氏以外のスタッフでもある程度の段階までは達成できた、という話は聞いている。しかし、完全な実験を行うためには、ある特定の処理が施されたマウスが必要であり、それの数が少なく、当人たちであっても再現実験が遅れている状態」とのことで、近いうちに新たな論文の提出や、何らかの形で結果の発表を行う、ということは難しいとの見方を示した。

今回の調査委員会は、あくまで論文に不正があったか否かを調べるものだ。実際にSTAP細胞ができるのか否かについて理研では終始、研究者のコミュニティという第3者の評価で決着をつけるべき問題であり、そうした意味では「今回の論文は、別の研究の結果を用いており、完全に不適切。例えそれが故意ではなく、単なるミスであっても、正しいデータが載っておらず、論文の体をなしていないものであるので、研究者たちに撤回を勧告した」(竹市氏)とした。

また、今回の一連の問題について野依氏は、「大変由々しき問題だと思っている。科学の主張をするわけなので、それを説得させる客観的事実が論文に記載されるべきだが、きわめてずさんな取扱いがあったと思っている。あってはならないことだと思っている」と強い口調で答弁したほか、「今回の特徴は4チーム、14名の協力者がいるという点。私が現役だったころの伝統的な科学研究の多くは比較的狭い分野別に行われており、その多くが単一の研究グループで行われていた。しかし、今はネットワーク型の形態が主で、先端的な研究は分野横断的に行うようになり、複数の研究グループがぞれぞれの強みを生かして共同作業を行うことが通例になっている。そうでないと、研究成果の最大化を図れないわけだが、そうなると自立した研究者たちが齟齬なく統合して、全体を検証するプロセスとそれを可能にする責任者の存在が必要。今回については1人の未熟な研究者が膨大なデータを取り扱って、しかもそれがずさんに扱われた。さらに、研究者間の連携にも不備があったと思っている」と、研究が複雑化している一方で、それをコントロールしきれなかった可能性がある点を指摘。「不正云々で厳正な対処という話があったが、それを抜きにしても、研究者が膨大なデータをずさんに扱ってきたということはあってはいけないこと。徹底的に教育をしなおさなければいけない。今回、こういった問題が発覚したが、それが氷山の一角かもしれないので、倫理教育をもう一度徹底して指導していきたい」と、研究者として本来あるべき姿を改めて教育していくことを強調した。

さらに、「(自分の過去のデータを間違えて使ってしまうということについて)古い時代に研究生活を送ったので、こういったことは起こりえないと思っている。なぜ今回、起こってしまったのかは分からない。それについては調査委員会で調べてもらって、その結果をもとにこれから勉強しないといけないと思っている。あるいは、これが非常に特別なことなのか、似たようなことがほかにも起こっているのか、という問題があるが、もし、こうした行為がたくさん起こっているのであれば、時代の成せる業というか、研究の文化が変わってしまったと心配することになる」としたほか、「ネットワークの発達により10年前には考えられなかったことができるようになった。その分、影の部分も大きくなっていっており、研究社会、高等教育がそれについていけていないという面があるのではないか?。教育もそれにあった形に変えていかないといけないと考えている。いろいろな問題が出てきて当惑しているというのが心境」と、ネットワークの進化による研究文化の変化や、論文が誰でも気軽に読めるようになったことに対する心境を吐露した。