東京大学は6月25日、「グリア細胞」内で起こるカルシウム濃度上昇がタンパク質合成のスイッチとなり、脳が傷害された時に神経細胞を保護する機能に関与していることを発見し、グリア細胞における役割の知られていなかった2つの分子が神経細胞を保護する機能に関わっていることを明らかにしたと発表した。

成果は、東大大学院 医学系研究科 細胞分子薬理学分野の飯野正光教授、同・金丸和典助教、同・久保田淳特任研究員、同・関谷敬助教、同・廣瀬謙造、同・大久保洋平講師らの研究チームによるもの。研究の詳細な内容は、6月24日付けで米科学雑誌「米科学アカデミー紀要(PNAS)」に掲載された。

てんかんや脳梗塞などの脳疾患あるいは脳挫傷などの外傷により脳がダメージを受けると、神経細胞が破壊され、脳機能の不可逆的な低下が招かれてしまう。グリア細胞の1種での「アストロサイト」は、健常時には神経細胞による情報処理をサポートすると考えられている細胞だが、脳損傷時には神経細胞を守る働きをするようになる。

脳がダメージを受けるとアストロサイトは大規模な遺伝子発現変動を起こして通常型から病態型へと変化し、深刻なダメージを受けた領域から出る毒性因子が神経細胞に届くのを防ぐのだ。このような変化や保護作用発現に至るメカニズムを理解することは、脳傷害時のダメージを緩和する治療法の開発に有効だが、現在もなお未解明な点が多く残されている。

研究チームは、その謎を解くカギが細胞内カルシウム濃度変化(Ca2+シグナル)にあるのではないかと考え、研究を進めた。アストロサイトは、あらゆる刺激に敏感に応答してCa2+シグナルを起こす細胞である。脳がダメージを受けると、損傷した細胞からの分泌物や物理的な圧力などがアストロサイトを刺激するので、Ca2+シグナルが起こるはずだという。Ca2+シグナルは細胞内情報伝達のスイッチとして機能するため、脳損傷により誘発されるCa2+シグナルが病態型アストロサイト形成とニューロン保護作用のスイッチになる可能性は十分にあると考えられるとしている。

研究ではまず、脳がダメージを受けた時に本当にアストロサイトでCa2+シグナルが生じるのかどうかを、「生体内イメージング法」を用いて検証した。生体内イメージング法とは、生きたままの実験モデル動物(今回の研究ではマウス)の脳組織に顕微鏡のレンズを密着させて高解像度の光学測定を行う技術だ。

生きたマウスの大脳皮質内におけるアストロサイトのカルシウム濃度を観察しながら損傷刺激を与えると、予想通りにCa2+シグナルが誘発されることが判明。そこで、Ca2+シグナルを発生できない遺伝子改変マウスである「Ca2+シグナル不全マウス」を準備し、このマウスで病態型アストロサイトの形成とニューロン保護作用がどのように影響されるかが調べられた。

すると、Ca2+シグナル不全マウスでは病態型アストロサイトが形成されにくく、さらに損傷部位周辺において生存する神経細胞の数が少なくなることがわかった(画像1)。これらの結果は、アストロサイトで脳損傷時に生じるCa2+シグナルが病態型アストロサイトの形成と神経細胞保護作用に重要であることを示すという。

画像1。脳損傷に誘発されるCa2+シグナルの生体内イメージングおよび病態型アストロサイト形成・神経細胞の生存比率解析

Ca2+シグナルは細胞内情報伝達を駆動するスイッチとして働くので、次に、損傷時のCa2+シグナルが制御する因子の探索が行われた。遺伝子発現変動を網羅的に調べる「トランスクリプトーム(DNAマイクロアレイ)解析」および文献情報・遺伝子情報データベース検索の結果、「プミリオ2」と「N-カドヘリン」という2種類の因子が候補として挙がってきた。

プミリオ2は細胞質中に局在するタンパク質合成調節因子の1つ。特定の配列を持った核酸(mRNA)に結合することにより、その核酸から作られるはずのタンパク質の原料(アミノ酸)の合成を調節する機能を持つ。N-カドヘリンは、細胞膜を貫通し、細胞外にも細胞内にも面した部分を持った多機能タンパク質だ。細胞外部位の相互作用により細胞間接着を制御する因子として発見され、これまでの研究により、細胞外の情報を細胞内に伝えることで、遺伝子発現・細胞移動・分裂などさまざまな細胞機能を調節することが明らかとなっている。ただし、いずれもグリア細胞における役割はあまり知られていない。

さまざまな実験による詳細な検証を経て、(1)N-カドヘリンは病態型アストロサイト形成と神経細胞保護作用に必須であること、(2)プミリオ2はN-カドヘリン合成を制御すること、(3)Ca2+シグナルはプミリオ2の遺伝子発現スイッチとして働くこと、の3点がわかった。つまり、脳損傷により誘発されるCa2+シグナルは、N-カドヘリン合成を加速するためのスイッチとして働き、病態型アストロサイトへの変化と神経細胞保護作用をコントロールするというメカニズムが明らかになったのである(画像2)。

画像2。今回の研究で明らかにされた、グリア細胞が脳傷害から神経を守るカルシウム機構の模式図

今回の研究で明らかにされたメカニズムを人為的にコントロールする薬物や手法などを開発できれば、脳疾患や脳損傷によるダメージを軽減するような治療につながる可能性があるとしている。