「日本版FCC」、影響力を行使するには"権限"が不可欠

それにしても、原口一博総務相のイメージする「日本版FCC(※)」の姿がなかなか見えてこない。

※ FCCは、米国のFederal Communication Commission(連邦通信委員会)の略

原口総務相はインタビューに、こう答えている。

「規制機関により言論が封殺されれば、国民が自由に選択する権利が奪われる。(表現の自由は)民主主義の基本インフラなんです」(朝日新聞10月6日)。

この趣旨自体に反対する人は、いないだろう。電波の許認可権を握る官庁(総務省)が、同時に番組内容に口を出す、つまり規制を行うことは言論統制である、という考えのようだ。

ただ、米国のFCCは権力機関そのものであり、スポーツ中継中に胸のはだけたジャネット・ジャクソン氏の姿を放映したCBSに巨額の罰金を課すなど、放送内容も厳しくチェックしている。電波の割り当て、放送行政権という権限を背景にしているからこそできるチェック機能だ。

一方、原口総務相は、電波の許認可権は引き続き総務省に残し、「日本型FCC」には放送番組内容に関する事項のみを取り扱わせる考えのようだ。

「委員会は総務省だけでなく、与党、野党といった政治権力による言論の自由への侵害をチェックする役割をイメージしている」(朝日新聞同)

ただ放送局に対してにせよ、他の団体に対してにせよ、何らかの影響力を行使するということなら「権限」は不可欠だ。仮に番組内容に対し、あるいは外部からの圧力をチェックする権限を付与するとなると、憲法で禁ずる「検閲」との関係をどうするのか。

そうでなく法的権限の裏付けのない任意団体だというなら、放送業界の作る「放送倫理・番組向上機構」(BPO)で十分ではないかいうことになる。

セミナーでは「BPOの強化が一番現実的」でコンセンサス

本コラムの読者は、米国のFCCの行政が時の大統領、政権の意向をいかに忠実に反映してきたかご存じのはずだ。ロナルド・レーガン政権では、大幅な規制緩和政策に基づいてAT&Tの解体、衛星放送、有線放送局(CATV)の認可による多チャンネル時代への移行が行われた。ビル・クリントン政権は、次期戦略産業を製造業から情報通信産業へ転換するべく「情報ハイウエイ」構想を推進した。

FCCが時の政権の意向を反映するのは、議会での承認が必要とはいえ5人の委員、委員長の人事権が大統領の手の中にあるからだ(同一政党の所属者が3人を超えてはいけないというルールはある)。

だから、日本民間放送連盟(民放連)会長の広瀬道定テレビ朝日会長が、「政治的干渉を一切受けない組織を作るのは難しいのでは」と原口構想に疑問を呈したのは当然である。

実はこの問題は、筆者も参加した、総選挙直前の8月末に東京都内で行われた「通信グローバル戦略」をめぐるセミナーでも議論された。

このセミナーには総務省職員、学識経験者、NHKや民放シンクタンク職員、元民主党衆議院議員ら論客がそろい、同月に答申案がまとまった「情報通信法」について活発な議論が展開された。この関連で、民主党がマニフェストではなく、「政策インデックス」の中で設置を提案していた独立行政委員会方式の「日本型FCC」についても論議が行われた。

ただ各出席者からは、「何から独立させるのか」「委員会人事の難しさ」「電波監理審議会との機能調整」「機能、権限、紛争処理の定義と運用方法」――など、複雑で多くの問題があるとの指摘があった。

そして、短兵急に答えが出ない問題であり、「番組内容について検討するという機関であれば、現存するBPOの強化が一番現実的」というのが、大方のコンセンサスだった。

「原口構想」は、時間をかけて慎重に検討を

ところで、過去に総務省(旧郵政省時代を含む)からテレビ各局が番組内容に関し行政指導を受けたケースを見てみよう。この中で、言論の自由の観点からみて、"微妙"と言える事例は、選挙報道に当たって野党への肩入れを指示したとみられたテレビ朝日報道局長発言への厳重注意(1994年9月)ぐらいではないか。

あとは、(1)オウム真理教幹部に取材ビデオを事前に見せた(TBS)、(2)誤ったダイオキシン風評報道で生産農家に被害を与えた(テレビ朝日)、(3)ダイエットの効能について誤った内容を流し健康被害を起こしたケース(TBS)、(4)「発掘! あるある大事典」でのデータ偽造(関西テレビ)、(5)不二家チョコレート再利用報道(TBS)――などである。

いずれも明らかな事実誤認か、倫理上許せない取材方法などであり、これらが「言論の自由に関わる問題」と言われると首をかしげる人が多いはずだ。これよりは、NHK「ETV特集」で、戦時中の日本軍の性暴力を取り上げた番組への自民党議員の介入や、最近のNHKスペシャルで放映された日本の台湾植民地政策批判への抗議活動の方が、言論の自由に関わる問題に該当するかもしれない。

ただNHK番組に政治介入の余地があるのは、国会における予算統制権である。これを、「日本版FCC」で取り扱うとなれば、公共放送の在り方から議論しなくてはならない。

以上のことを考えると、原口構想は、時間をかけて各界の意見を聞き、慎重に検討する必要があるといえるのではないだろうか。。


執筆者プロフィール
河内 孝(かわち たかし)
1944(昭和19)年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。毎日新聞社政治部、ワシントン支局、外信部長、社長室長、常務取締役などを経て2006年に退社。現在、(株)Office Kawachi代表、国際福祉事業団、全国老人福祉施設協議会理事。著述活動の傍ら、慶應義塾大学メディアコミュニケーション研究所、東京福祉大学で講師を務める。著書に「新聞社 破綻したビジネスモデル(新潮新書)」)」「血の政治 青嵐会という物語(同)」、「YouTube民主主義(マイコミ新書)」がある。