米国のFCC(Federal Communication Commission、連邦通信委員会)については、当コラム第5回で、同国放送法の憲法と言われた、「公平原則」が破棄されたいきさつを説明した。また、第6回では、メディアの寡占化に対するFCCの規制と規制緩和政策について解説した。関心のある方はバックナンバーをチェックしていただきたい。

日本の旧郵政省よりも巨大な行政組織「FCC」

FCCの歴史は、いわば米国メディア通信の歴史そのものである。

1927年にラジオ放送の免許を与える条件を決定する独立委員会、FRC(Federal Radio Commission)が発足した。テレビ放送が始めるのを見据えて1934年に、FRCはFCC(Federal Communication Commission、米連邦通信委員会)に改組された。

同委員会は、全米の「ラジオ」「テレビ」「無線」「衛星放送」「有線放送」により行われる通信に関する利害を調整し、規制する権限を与えられている。同時に米国で発信または受信されるすべての国際通信に関する行政権限も握っており、その事業分野、事業活動の枠組みを規定してきた。委員は5人で任期5年、大統領が任命し、上院の承認が必要だ。議長も大統領が指名する。委員3人までは同一政党に所属していてもいい。組織は以下のようになっている。

FCC(Federal Communication Commission、連邦通信委員会)組織図(出典 : FCCホームページ)

上記で分かるように、「委員会」という名称ではあるが、日本の旧郵政省全体よりも巨大な行政組織であることが理解いただけよう。

「総務省の外に、もう一つの外郭官庁を作る気か」と放送界に戸惑いが広がったのは当然である。原口一博総務相もあわてて、「日本型FCC」と軌道修正せざるを得なかった。

面白いのは終戦後、日本を占領下に置いたダクラス・マッカーサー元帥率いる総司令部が1945年12月、FCCのコピー版といえる独立機関、「放送委員会」を作ったことだ。17人の委員を見ると、戦時中に軍部に弾圧された京大の滝川幸辰(ゆきとき)氏や、社会運動家の荒畑寒村氏、作家の宮本百合子氏らが入っている。人選に当たったリベラルな占領軍将校たちの、日本に民主主義を根付かせようとする姿勢や意気込みが伝わってくる。

この機関が、官僚や保守政党の抵抗、数次にわたる骨抜きで、郵政省(現総務省)所轄の「電波監理審議会」に改組されてゆくプロセスは、松田浩氏の『ドキュメント放送戦後史』(双柿社)に詳しい。

FCCは「行政介入」と「規制緩和」の双方を大胆に実行

FCCと司法省(公正取引委員会)が一体となって行ってきた米国のメディア行政の歴史を振り返ると、興味深いサイクルに気づく。多様な言論機能を守る、あるいは市場競争原理を促進するため、時に果敢な行政介入(規制)を行う一方、同じ目的から、大胆な規制緩和も行なってきた。

ラジオ全盛時代の1940年には、市場が寡占化されているとして、NBC(National Broadcasting Company)に分割命令を出し、第3の全国ラジオ放送網であるABC(American Broadcasting Companies)を誕生させた。

映画製作に関してサイレント時代は、発明者の名を冠した「トーマス・エジソン・カンパニー」が、製作を独占していた。トーキー時代に入ると映画製作、配給大手の8社は、全米の映画館を系列化し、チェーンに加わらない映画館には人気スターが出演するA級映画を配給しないという差別(ブロック・ブッキングと呼ばれた)を行った。

1930年、司法省はこの「ブロック・ブッキング」に関し、独占禁止法違反としてパラマウント社などを告訴した。この裁判は、1949年に最高裁で同意判決が下され、制作スタジオと映画館チェーンの兼営が禁止された。映画産業におけるソフト(制作)とハード(流通)が分離されたのだ。

テレビが隆盛期を迎えた1950年代には、CBS、NBC、ABCの三大ネットが巨大化し、圧倒的な世論形成能力、影響力を持つようになった。このためFCCは、以前にも触れたが番組制作(ソフト)と、配信機能(ネットワーク=ハード)を分離させる(フィン・シン・ルール)を導入した。同時に、ゴールデン・タイムでもネットワークが配給する以外の番組を一定量放映することを義務づける「プライムタイム・アクセス・ルール」を定めてメディア権力の分散を図った。

両ルールの導入は、映画の斜陽化で衰退し始めたハリウッドがテレビ番組作りで生き残ころうと必死のロビー活動(議会工作)を展開した結果とも言われている。結果的に「映画の都」は「メディア・コンテンツの都」として復活再生した。なお、これらの規制は、当初の目的を達したとして1996年までに廃止されている。

またFCCは最近(2009年3月)、デジタル化で空いた電波帯域を無論、一定の条件を付けてだが公開入札して売却益を財政赤字の補てんに使う、という日本では考えられない手法も導入している。


執筆者プロフィール
河内 孝(かわち たかし)
1944(昭和19)年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。毎日新聞社政治部、ワシントン支局、外信部長、社長室長、常務取締役などを経て2006年に退社。現在、(株)Office Kawachi代表、国際福祉事業団、全国老人福祉施設協議会理事。著述活動の傍ら、慶應義塾大学メディアコミュニケーション研究所、東京福祉大学で講師を務める。著書に「新聞社 破綻したビジネスモデル(新潮新書)」)」「血の政治 青嵐会という物語(同)」、「YouTube民主主義(マイコミ新書)」がある。