地球の最深海域である「マリアナ海溝チャレンジャー海淵」。その海底地形を、海洋研究開発機構(JAMSTEC)の学術研究船「白鳳丸」に搭載されたマルチビーム音響測深機を用いて観測したデータなどを元に、最大水深1万927mと推定したことを、国立極地研究所(極地研)、東京大学、海上保安庁、名古屋大学(名大)、東海大学の5者が9月17日に共同発表した。
同成果は、極地研 地圏研究グループの藤井昌和助教(総合研究大学院大学 助教)、東大 大気海洋研究所の田村千織技術専門員、同・沖野郷子教授、海上保安庁/名大/東海大の小原泰彦博士らの共同研究チームによるもの。詳細は、英科学誌「Nature」系のデータに特化したオープンアクセスジャーナル「Scientific Data」に掲載された。
マリアナ海溝チャレンジャー海淵の正確な深さを知る
水深約1万1,000mにおよぶチャレンジャー海淵の正確な深度測定は、近年の高精度観測をもってしても容易ではなく、最大水深に数〜十数mの差が生じてしまう。
音響測深は、船から発した音波が海底で反射して戻るまでの時間から水深を求める仕組みであり、水深約1万1000mでは往復に約15秒を要する。さらに海水中の音速は水温や塩分、圧力などによって変化するため、海面から海底までの伝播経路における音速構造が測定値に直接影響する。加えて、船の位置や姿勢、動揺、音響ビームの照射方向、海底を捉える範囲なども厳密に考慮する必要がある。
研究チームは白鳳丸の2023年航海(KH-23-9)において、マルチビーム音響測深機「Kongsberg EM124」を使用し、チャレンジャー海淵の西部・中央・東部の3海盆を横断する測深データを取得。そして、今回や過去の海外のデータなどを基に5種類の海水音速モデルを作成し、比較解析が行われた。
今回の研究成果
解析の結果、東部海盆の最大格子水深は1万914〜1万932mとなり、用いたモデルにより最大18mの差が生じることが確認された。5種類のモデルのうちの推奨モデルは、2023年の航海における上部約1900mのXCTD観測と、白鳳丸の1992年の全水深CTD観測を組み合わせたモデルだ。観測時期に近い上層の海洋構造を反映しつつ、全水深の音速構造を正しく補正できるためである。同モデルによる最大水深は、西部が1万926m、中央が1万912m、東部が1万927mとなり、チャレンジャー海淵全体としての推定最大水深は1万927mと算出された。
この結果は、全球海洋最深部の水深を数m単位で比較する際、単なる数値だけでなく、音速モデルや鉛直基準、観測条件、処理方法も明示する必要があることを示している。一方、3つの海盆にまたがる広域海底地形自体は、モデルの違いによらず安定して再現され、過去の高精度観測ともよく一致したという。つまり、海盆規模の大まかな地形データは頑健であるものの、局所的な最大水深は、音速構造などの影響を極めて受けやすいことが明らかにされた。
また、1つの測深値が海底のどれほどの範囲を代表しているのかという点も重要だ。EM124のビーム幅は船の進行方向・直交方向ともに2度であり、水深1万1000mの平坦な海底を真下に見る単純計算では、1つのビームが海底を照らす幅は約400mになる。そのため、狭い凹地や峻鋭な起伏が存在する場合、1つの音響ビームが海底を照らす範囲(フットプリント)が大きいと最深部を精度高く捉えきれない可能性があるとした。
加えて、船の走り方もデータの質を大きく左右するという。今回の観測では、主な測線を電気推進の4ノット(kn)で航行したほか、8knや機械推進の15knでのデータ取得も実施された。その結果、有効な水深値の採択率は、東西4knで87%、8knで84%、南北4knで80%、15knで78%だった。15knでは測深点の間隔が広がり、特に南北方向では地形が急変する区間で測深値のばらつきが著しく増加した。超深海の深度を精密に測定するには、測深機の性能のみならず、船速や航行方向の最適化も重要となることが明らかにされた。
特に東西方向に4knで航行した際には、船の直下に近い中央ビームの採択率が93%と高水準に達し、極めて密で連続した海底データが得られたという。一方、同じ4knでも南北方向の測線では、進行方向に対して海底地形が急変するエリアで測深値のばらつきが大きく、有効データ率が低下した。これらの知見は、音の往復時間、海水中の音速、船の動態や船速、音が海底を照らす範囲を、個別の要素ではなく1つの観測システムとして統合的に扱う必要があることを提示しているとした。
今回の研究では、生の音響測深や処理済み測深点のデータ、音速モデル、海底地形グリッド、船体・センサ配置情報、処理フローなど、すべてが公開された。これにより、将来的に一層精密な音速情報や鉛直基準が得られた際、過去データの再解析が可能になる。1992年と2023年の白鳳丸による観測データが相乗的に活用された事実は、適切にアーカイブされた観測データが数十年後にも高い価値を持つことを示しているといえる。
ただし、これは1992年から2023年まで深層海洋の状態が不変であったことを意味するわけではない。将来、今回の観測と同時期の全水深CTDなどによる、より高精度な音速情報が得られれば、公開測深データを再処理して影響を再評価できるほか、異なる観測手法で得られた水深を比較するための基準データとしても活用可能だ。研究チームは今後の課題として、こうした異なる観測を組み合わせ、1万927mという推定値をより厳密に検証することとした。
全海洋における高精度な海底地形の把握は依然として途上にある。特に、海盆の大深海域や、海氷に覆われる北極海、南極の棚氷下などでは、実際に現場において観測しなければわからないことも多い。今後は、海底地形・地球物理観測と海洋観測を包括的に組み合わせ、海洋、海底、海底下の固体地球を一体として理解することが重要になる。
今回の成果は、海底を精密に測るには、その上にある“海そのものの状態”を捉えることも切り離せないことを明確に示している。
