
当時の役員から「役員会以外は出社に及ばず」と言い渡されたということは、朝起きても行くところがないということです。若くして定年かリストラにあったような気分でした。
家内に何と言おうかと悩んでいたところ、様子がおかしいので聞いてみると、当時の役員から電話があり、事情を知ったというのです。当然、私がすべて悪いことになっていました。役員連中は家族まで巻き込んで私を排除しようとしたのです。
しかしそれは全くの逆効果でした。母と家内にそれまでの経緯を打ち明けたところ、役員たちの対応に憤慨するとともに、私の考えに共感してくれました。それ以降は仕事の面でも従来以上の良き理解者になってくれたのです。
次の役員改選期までは2年弱ですが、充分力をためておき、役員改選時に主導権を取り戻そうということになりました。しかしそれまでは完全な隠密活動が必要です。
第22回で書いた「父の想い」の中で、父は「我が人生に悔いなし」と言っていましたが、最悪の状態の会社を承継された側としては納得できません。残された家族がどのように苦労したか、墓に入ったら是非とも父には言ってやりたいものです。
言わば会社から追放されたような立場ではありましたが、ちょうど家庭薬団体で採択されたばかりの経済産業省の物流効率化補助金事業を推進するには絶好の機会でもありました。
「家庭薬」の定義は曖昧です。数十年から数百年の歴史がある老舗企業で、オーナー経営か上場企業でもオーナー色の強い場合が多いようです。
歴史を調べると、明治維新の時代、時の政府が医療はすべて海外を重視し、古くからある家庭薬は排除する方針を打ち出しました。しかしそれでは日常の医療がとても高価なものになってしまうため、民衆の強い反対運動が起きました。
そこで私の曽祖父の時代に業界団体が創設され、当時の家庭薬製品を集めて精査し、本当に効果のある製品だけを残す活動を起こしたのです。このように世代を超えて社会に貢献し続けている医薬品産業は世界的にも珍しいのです。
しかし私が業界に入った時の家庭薬業界は、どちらかというと親睦に偏りがちで、特に実業面ではあまり団体の総合力が生かされていないと感じていたのです。
当時の家庭薬業界は、国民皆保険制度により医療の主役が医療機関に移って大きく売り上げが減る一方、急速に台頭してきた大手メーカー、外資系メーカーに押され、家庭薬のシェアが奪われつつある状況でした。
そこで私は考えました。1社ずつは小さいものの、集まれば大手メーカーに匹敵する規模である点や、それぞれのカテゴリーではトップクラスのシェアであることなどを理事会や会合で説いて回りました。嬉しかったのは私の考えに共感してくれる経営者仲間が少なくなかったことです。