
人間、徐々に成長して行くのだろうが、破段階的に一気に伸びる時期がある。契機は様々。苛烈な体験、名著の読破、体育会での鍛錬、優秀な上司。インパクトが大きいのは、若き時代に遭遇する指導者ではないか。
伊藤博文や山県有朋、高杉晋作たちは自身の才能、ひた向きな努力等の故に歴史上の英傑になったのだろうが、その人格形成に松下村塾の存在が大きかった由だ。「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」。辞世の句一つで、オーラ溢れる松陰が破格の指導者であったことは容易に想像出来る。
僭越ですが、私個人の松下村塾は坂本二郎・一橋大学教授でした。未来学者と持て囃され、頻繁にテレビにも登場するタレント教授だったが、先生の本質は経済哲学者だ。
中山伊知郎教授の下、創造的破壊を唱えたシュンペーター著『資本主義・社会主義・民主主義』の翻訳から学究生活が始まり、キンドルバーガーやハーマン・カーン、ガルブレイス的なBig Picture Storyを展開する経済哲学者だった。
坂本ゼミは厳しかった。経済学・社会学・国際関係論の先生指定課題書3冊をひと月で読破し、かつ、3冊の要旨と自身意見を400字原稿用紙30枚に纏める。これを毎月、繰り返す。
ゼミの他、いくつもご指導頂いた。学園紛争が激化し、学校封鎖となり、授業とゼミが完全停止した際、嫌気がさした先生は大学からさっさと去ってしまったが、教育者の使命を捨てず、先生のご自宅に押し掛ける我々ゼミ生を毎週継続して鍛えて頂いた。
司法試験とか会計士試験を目指し、目の色を変えて勉学に励んでいる周囲の学生を見つつ、少し焦りを感じていた際、先生は私に大変貴重なヒントをくれた。『細かい勉強は社会人になり必要になったら、その局面で取り組めば良い。
静かで重厚な大学校舎の意義は、そんな細かい勉強ではなく、今しか出来ない大きな課題について考え尽くすことだ。確かに大学は1年に1、2度しか試験もなく刺激は少ない。
懸賞論文等の他流試合に挑戦したり工夫して、自身に刺激を与えつつ、大きい課題に継続して取り組むべきだ』。得心し、この方法論で励んだ学生時代でした。若きライオン達、成長を目指し、自身の松下村塾も含め破段階的機会を積極的に求めて行って欲しいと思います。
ハイルブローナーの『Worldly Philosophers』、リースマンの『孤独な群衆』、ルネ・デュボスの『健康という幻想』、ケネス・ボールディングの『20世紀の意味』等、坂本ゼミの課題図書を懐かしく本棚で眺めつつ、そんなことを考えていました。