
「今は強い力と弱い力がせめぎ合っている状況」─山口氏はこう話す。地政学リスクが高まる中、各国では軍備拡張を背景に財政支出が膨らんでいる。高市政権が掲げる戦略17分野、官民合わせて370兆円超の投資構想についても「総花的」と指摘し、重点分野の絞り込みや規制改革など、メリハリのある政策が必要だと話す。対立関係が続く隣国・中国については、「重要な貿易相手国であり、安全保障に関わらない分野では、お互いに門戸を開くべきではないか」と指摘する。混迷する世界情勢の中、日本の立ち位置を探る。
地政学リスクの高まりで複雑な要素が絡み合う
─ 世界経済の先行きは混沌としていますが、現状と今後をどう見ていますか。
山口 一言で言って、非常に複雑になってきました。「強い」「弱い」といった単純な見方を超えています。戦争リスクや地政学リスクが非常に高まり、その延長線上でサプライチェーンの分断や資源の争奪競争などが起き、さまざまな要素が複雑に絡み合っているからです。
この状況だけを捉えると、第1次世界大戦と第2次世界大戦の間の「戦間期」に非常に似ているように思います。「複合危機」の状態にあると考えています。
─ 今、全世界でAI(人工知能)への投資が盛んですが、この状況の受け止めは?
山口 今の経済には、複合危機に直面する下で、強い力と弱い力が同時に作用しています。強い力は2つあり、その一つはAI・半導体投資の拡大です。これは、バブルではないかと思います。もう一つの強い力は、世界的な軍備増強が進む中での財政拡張です。
一方、弱い力は世界の供給力・生産力の低下です。サプライチェーンの分断や経済のブロック化によって、供給力そのものが低下しています。これらの強い力と弱い力がせめぎ合っているのが今の状況です。
その結果、世界景気全体は大きく上振れることもない一方で、大きく下振れることもなく、一定の底堅さを維持しているのが現状だとみておくべきでしょう。
─ こうした中で、高市政権が戦略17分野について、2040年までの官民投資額を370兆円超と想定するという戦略を打ち出しました。経済人として留意すべき点をどう見ていますか。
山口 経済人の多くは、この成長戦略について「何とも評価し難い」と受け止めているのではないかと思います。戦略17分野、62の主要な製品・技術等に係る遠大な構想ですが、総花的で焦点が絞られていないからです。
どの分野にどれだけ投資し、どれだけの成果を得るのかという目標も明確ではありません。
もちろん、政府がこうした戦略を打ち出すべきではないとまで言うつもりはありません。政府が動くことが呼び水となり、それに民間がついていくということは十分あると思います。
AIの中でも高度なAI技術や先端的な医療などに対象を絞ることは考えられます。しかし、17分野というのは広すぎ、重点分野を絞り込む必要があります。
─ 分野を絞った投資ならば可能性があると。
山口 この20年余り、政府は成長戦略を打ち続けてきました。政権が代わるたびに成長戦略を打ち出してきましたが、実際にはほとんど成果が出ていません。政府が財政主導で旗を振っても、民間はそう簡単には乗ってこないからです。
民間が求めているのは、重点分野を絞ることです。また何よりも、規制緩和、労働市場改革、税制改革を含む全般的な制度改革が必要だと考えていると思います。
そして本質的に必要なのは、新陳代謝を促す政策です。すべての企業を助けるような政策を打ってしまうと、経済全体の生産性向上にはつながりません。メリハリのある政策と、新陳代謝を促す規制改革、制度改革が出てこなければ、民間投資にはつながらないと思います。
─ 一言で言えば、こうした改革を打つと「痛み」も出てくるわけですよね。
山口 おっしゃる通りです。これだけ安定した政権なのですから、国民に向けて必要な痛みをきちんと訴えていくべきだと思います。企業に対しても、消費者に対してもです。
そうしたことなしに、国民受けする政策ばかりを狙っていくと、結局は総花的で、ポピュリズム的な政策になってしまいます。
国内への投資にはまだ可能性がある
─ 世界的なAIブームを米国が牽引していますが、日本はどのような立ち位置を取ればいいと考えますか。
山口 日本のこれまでを振り返ると、米国を中心に先進的な技術革新が起きたとき、日本はそうした革新を前提としながら、その応用技術でもって力を発揮してきました。
世界の動きをみながら、日本としていわば技術革新の第二段階、第三段階で何ができるかを考えていく。今回のAI半導体についても、基本的には応用段階でどう力を発揮していくかが大事だと思います。
最先端の半導体分野で勝負するのも大切ですが、そこから派生する技術の分野で何ができるかを考えるべきです。
今、造船の分野が動き出しています。これは政府の成長戦略にも含まれていますが、中国や韓国と同じ土俵で真っ向から戦おうとすると、勝てないかもしれません。日本特有の船の造り方など、日本の強みを考えて取り組むことが必要です。
─ 日本の大企業は海外で投資をして得た利益を、さらに海外で再投資しており、資金が日本に返ってこないという問題があります。国内投資の今後をどう考えますか。
山口 国内の設備投資は実質ベースでみる限り、緩やかな増加にとどまっています。企業が日本市場の将来性を慎重にみているということです。
ただし、省力化投資やAI等ハイテク関連の投資については、かなり積極的です。日本は最先端技術でなくとも、2番手・3番手の技術力には自信を持っています。
したがって、研究開発投資は当然、国内でも行われます。また、ハイテク分野以外でも、インバウンド、インフラ、食料品などの産業分野に、日本固有の強さが依然として存在しています。
米国でも市場を牽引する巨大テック企業だけが米国経済を引っ張っているわけではありません。それ以外のヘルスケア、医薬、エネルギー、金融・保険、農林水産業などの産業が一体となって経済を動かしています。
日本は人口が減っているとはいえ、なお、1億人を超える市場があります。長い目でみればさらに減るかもしれませんが、市場を支える産業はハイテク産業だけではありません。米国同様に、医療・介護、一般サービス業、エネルギーなど広範に存在します。あまり悲観的になる必要はありません。
しかし、そうした産業が生産性や収益性を高めて成長していくためには、新陳代謝が必要です。規制改革等を進めながら、新しい産業が生まれる芽を潰さないようにしなければなりません。
─ 少子高齢化の日本でも生きる道はあると。
山口 あると思っています。長い目でみれば、人口は減ります。しかし、人口が減っても、生産性が上昇することによって経済は成長していきます。日本のマーケットも当然拡大していきます。人口が減るからといって、経済そのものが低迷していくことが必然だ、ということではありません。
─ 人手不足が言われる中で、外国人労働者の問題をどう考えていますか。
山口 外国人労働者は重要ですし、今後もその力は必要です。 ただし、どんどん増加してもよいということではありません。日本の文化や人々との調和を維持しながら働いてもらう道をきちんと模索すべきです。
一方的に外国人を排斥するのではなく、門戸は常に開いておくべきです。受け入れることにより日本の人々との間でバランスが崩れるような問題が出てくれば、その都度調整していけばよいと思います。
─ 一部地域で公序良俗を乱し、地域住民とトラブルになる事例もありますね。
山口 私自身は、日本人は少し神経質になりすぎていると思います。もう少し外国人を受け入れる度量の広さを持った方がよいように思います。
─ 日本人には元来、度量の広さはあるはずですね。
山口 ええ。日本人には寛容の精神があります。それをベースにしながら受け入れていけばよいと思います。
実際、介護の現場などをみても、外国人の助けなしには回っていかない世界にすでになっています。優秀な人材については、積極的に受け入れていくという構えでよいと思います。
─ そうした外国人材には子弟もいますから、学校など地域での受け入れにも配慮する必要はありますね。
山口 日本で仕事をするために家族で来ている方もいるでしょう。その場合には、子どもの教育環境も含め、家族全体を日本社会に受け入れていく必要があります。
─ 日本には潜在成長率が低いという課題もありますね。
山口 日本の潜在成長率は0%台の後半です。米欧でも、人口減少の影響もあって、米国で2%程度、欧州が1%強と徐々に低下してきています。人口減少に伴う成長力の低下をカバーしようとすると、生産性を上げなければいけません。
先ほどお話しした通り、戦争リスクや地政学リスク、サプライチェーンの分断、経済のブロック化の中で、グローバル企業全体が投資に慎重になっています。この点も生産性向上には抑制的な要因です。
しかし、何らかブレークスルーを見つけながら、生産性を上げ成長力を高めていくことが重要です。
隣国・中国との関係を どう考えるか?
─ 日本の安全保障が問われる中、企業は隣国・中国とはどう向き合えばいいでしょうか。
山口 経済安全保障に関わるコアな分野は当然あると思います。しかし、経済全体からみれば、その範囲は限定的だと考えてよいでしょう。したがって、それ以外の経済分野で中国と協力することを考えていくべきですし、中国側もそう思っているはずです。
政治的・外交的には厳しい関係にあっても、経済分野では、お互いの努力によって交流を活発化させていく余地は十分あると思います。
─ 政治的には両国の間に今、パイプがないということも言われます。
山口 政治や外交の世界では、そうかもしれません。ただ、経済関係では、多少慎重な面があるにしても、もっと前向きに対話のパイプをつくるべく取り組めばよいと思いますし、中国側もそれを望んでいると思います。
─ 貿易面でもお互いに重要な存在ですね。 山口 お互いにそうです。もちろん、中国にとっても日本の立ち位置は少し低下してきていますが、重要な貿易相手国であることは事実です。
来日する中国人の数は前年同月比5~6割減少しており、国内の小売業や観光業にはネガティブな影響が出ているでしょう。
ただし、逆に前年の4~5割程度の中国人観光客は来日している訳で、中国側もそれを全面的に止めているわけではありません。中国の人々の日本に対する強い関心は残っていますから、中国側としてもそこは大事にしているとみるべきでしょう。
このように両国間では、人の交流を含めた基本的な部分でのつながりは、なお維持されています。今後の関係改善を諦めず、今なおつながっている部分をどう拡大していくかを考えることが大切です。
経済安全保障の問題はしっかり踏まえながら、それ以外の分野では中国との関係を重要なものと位置づけて対応していくべきだと思います。
─ 米中が対立関係にある中、日本の立ち位置をどう考えますか。
山口 米国の同盟国である日本が、中国との関係を一定程度維持し、米中の「つなぎ役」を果たすことは非常に大事です。
単に米国に追従するのでもなく、また単に中国を敵対視するのでもなく、日本は世界の平和のために、米中関係、さらには欧州を含めた多くの国々との間の架け橋として行動していくことが重要です。それが大国として日本に求められている役割だと思います。
先日、ロシアのプーチン大統領が北方領土の択捉島に来ました。東アジアにおける日本の孤立化を狙った戦略かもしれません。こうした地政学的な状況を考えれば、中国との関係をもう少し大事にしてもよいのではないかと思います。
そして欧州も、日本が東アジアで果たす役割に期待を寄せていると思いますし、そうした期待に応えることも必要だと思います。重要なのは、世界の平和とそれを実現するための日本の知恵と行動力です。(以下次号)