
「企業は国益のために存在するのではない。世界市場で勝つことが重要だ」。最近、経営者から発せられた言葉だ。確かに世界で競争に勝つことは経営者の重要な責務である。
しかし、経済安全保障を巡る環境が大きく変わる中、国益か企業利益かという二者択一ではなく、短期と中長期の企業合理性の違いを考える必要があるのではないか。
世界経済は再びブロック化の様相を見せ、各国が技術、データ、資源、サプライチェーン(供給網)を戦略的に位置付けている。だからこそ、自社はどこに軸足を置く企業なのかを明確にしておくことが重要だ。そして、その軸足を置く国や地域の中長期的な安定性についても考えなくてはならない。
同時に、技術、設備、データ、人材、サプライチェーンを改めて棚卸しし、何が競争力の源泉なのかをマッピングし、それらを誰と共有し、何を自社に残し、何を新たに獲得するのか。経済安全保障は、単に守るだけの議論ではない。
私は最近のフィジカルAI(人工知能)を巡る動きに、そのことを強く感じる。日本の精緻な生産技術、現場に蓄積された知見やデータ、サプライチェーンに世界から注目が集まることは大きな機会である。
しかし、日本が生産現場とデータを提供し、AIを制御するソフトウェアやデータ分析、製品コンセプト、標準、エコシステムを海外企業が握る構図になればどうだろう。
かつてインターネットの世界では、クラウドなどの高付加価値領域で海外企業が主導権を握った。iPhoneも象徴的だ。日本企業には優れた部品や素材、生産技術があった。
しかし、それらを統合し、世界の生活を変える製品を構想し、OS(基本ソフト)やサービスまで含めたエコシステムをつくる側では主役になれなかった。部品と生産では競争力を持ちながら、最終的な付加価値を設計するポジションを取れなかった。
フィジカルAIで同じことを繰り返してはならない。今度は日本の強い現場から生まれるデータでAIを育て、ソフトウェアをつくり、製品やサービスを構想し、標準やエコシステムまで取りに行く。その視点が必要だ。
技術を誰と共有するのか。データをどこまで提供し、知的財産を誰が持つのか。これらは単なる取引条件ではなく、10年後、自社がどの付加価値を担う企業であるかを決める経営判断である。
個社にとって合理的な判断が、積み重なれば日本の産業構造になる。経営者が決めているのは今日の利益だけではない。10年後、自社がどの付加価値を担う企業であるか。その選択が自社の持続的な競争力をつくり、結果として日本の産業競争力をつくるのだと思う。