岩手大学を中心とする日本、ドイツ、スペインの国際共同研究グループは、ネコが仲間の尿のにおいを嗅いだときに見せる“フレーメン”という行動を手掛かりに、ネコの尿に「誰のものか」という情報を安定して残す仕組みの一端を明らかにしたことを、8月20日に発表した。
この研究は「動物のにおいを介した個体識別と脂質代謝の仕組みを理解する基礎研究として重要」だとしており、将来的には、尿臭の制御や脂質蓄積の理解、希少ネコ科動物のモニタリングへの応用が期待されるという。
今回の研究成果は、岩手大学の宮崎雅雄教授、市沢翔太大学院生と、ブラウンシュヴァイク工科大学のシュテファン・シュルツ教授、ヤナ・カスパース博士らによるもの。詳細は、Cell Press が発行する科学雑誌『Current Biology』の電子版で同日公開されている。
ネコが仲間の尿のにおいを嗅いだ後、口を半開きにして上唇を持ち上げ、ぼんやりとした表情を見せることがある。この独特の表情は、「フレーメン反応」(Flehmen)と呼ばれている。一般には見慣れないキーワードだが、人気漫画「ちいかわ」に登場するキャラクター・ハチワレがまれに見せる“ネコらしい行動”のひとつとして記憶している人もいるかもしれない。“ネコの変顔”とも表現されるが、ネコ固有の行動ではなく、ウマ、ウシ、ヒツジ、ヤギ、ゾウなどにも見られるという。
動物の多くはこのように、尿や涙などに含まれる情報(フェロモン)を嗅ぎ取ることで、仲間を見分けたり、求愛したり、縄張りを守ったりしている。その感知に関わるのが、「鋤鼻器」という器官で、哺乳類だけでなく両生類や爬虫類も持つ器官だ。発見者の名前にちなんでヤコブソン器官とも呼ばれる。ちなみに、ヒトでは鋤鼻器官は退化していると考えられている。
実は一部の動物が行う“フレーメン反応”もこのヤコブソン器官の開口部を空気に晒してフェロモンなどのにおい物質を取り込もうとしている行動なんです⊂((・⊥・))⊃ https://t.co/8u72GpyA0C pic.twitter.com/J119DoMn3m
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研究グループは今回、ネコのフレーメンを指標として尿中成分を調べ、特殊な脂肪酸である「分岐鎖脂肪酸」を十数種類発見。その種類と比率はネコごとに異なる一方、同じ個体では採尿日が違っても、尿を室温で24時間置いても、比較的安定していたという。
さらに、行動試験でネコが個体ごとに異なる組成を嗅ぎ分けられることも示した。こうした結果から、分岐鎖脂肪酸はネコのマーキング尿に個体情報を与える「においの名刺」の有力な候補と見ている。
また、分岐鎖脂肪酸を含む脂質が、腎臓に脂肪滴として蓄積していることも発見。腎臓の脂肪滴が「においの名刺」の貯蔵庫として働き、個体特有の組成を安定して尿へ供給している可能性があるという。これに関連する尿成分や腎臓の脂質蓄積は、ライオン、トラ、イリオモテヤマネコといった、他のネコ科動物などでも確認されたとのこと。
岩手大学では、ネコの「においの名刺」に関する今回の研究成果について、9つの問いを立て、さらに詳しく解説している。
まず、「ネコは尿のにおいで相手を区別できるのか」について。同じ個体の尿を繰り返し提示すると、ネコが嗅ぐ時間は次第に短くなったがが、別の個体の尿に替えると再び長く嗅いだとのこと。以前に嗅いだ尿臭への慣れは、月単位の間隔を空けてもみられるという。これらの結果から、ネコは尿臭の違いを嗅ぎ分け、そのにおいを長期間記憶している可能性があるという。
「フレーメンから分かったこと」は、自分の尿より未知のネコの尿でフレーメンが多く起こり、同じ尿を繰り返すと減少するということ。この行動を手掛かりに尿中成分を調べたところ、炭素鎖が枝分かれした特殊な「分岐鎖脂肪酸」が13種類見つかった。
研究グループは、複数の分岐鎖脂肪酸の組み合わせが、個体特有の「においの名刺」を作っていると考えている。なお、分岐鎖脂肪酸の種類と比率は個体ごとに異なる一方、同じ個体では採尿日が違っても比較的安定していることも分かったとのこと。
一般的なにおい成分は時間とともに蒸発するが、分岐鎖脂肪酸は比較的ゆっくり蒸発する「半揮発性」の物質であり、25度の環境に尿を24時間置いても、その組成には個体ごとの特徴が比較的よく残っていたという。分岐鎖脂肪酸は、環境中に残された尿に個体情報を長く保持する役割を担っている可能性があるそうだ。
では、「ネコは分岐鎖脂肪酸の違いを本当に嗅ぎ分けられるのか」。研究グループが、分岐鎖脂肪酸以外の尿中脂質を同じ条件にそろえ、分岐鎖脂肪酸だけを別の個体由来のものに替える行動試験を行ったところ、一度慣れていたネコは再び長くにおいを嗅いだという。このことから、ネコは個体ごとに異なる分岐鎖脂肪酸の組成の違いを実際に嗅ぎ分けられることが示されたとしている。
ネコの「においの名刺」は、腎臓にも関係する。ネコの体内を調べると、分岐鎖脂肪酸は腎臓で検出され、腎臓皮質の細胞内にある「脂肪滴」に脂質として蓄積されていた。ネコの腎臓に多くの脂肪滴があることは100年以上前から知られていたというが、これまでその役割は分かっていなかった。今回の研究成果で、この脂肪滴が分岐鎖脂肪酸の「貯蔵庫」として働き、個体特有の組成を安定して尿へ供給している可能性が浮かび上がったという。
同じネコ科の動物であるライオン、トラ、ヒョウ、ジャガー、オオヤマネコ、イリオモテヤマネコなどでも、関連する尿成分や腎臓の脂肪滴が確認されているが、その組成や脂肪滴の量には種による違いがあるとのこと。研究グループは、これはネコ科動物に広く存在する特徴ではあるものの、進化の過程で多様化してきた可能性を指摘している。
今回の研究のポイントは、珍しい脂肪酸を発見したことだけでなく、「時間とともに変化するにおいが、どうやって安定した個体情報を伝えるのか」という問いに対し、個体特有の分岐鎖脂肪酸の組成と、それを腎臓の脂肪滴に蓄える仕組みを結び付けて示した点にあると説明。ネコの「においの名刺」は、マウスなどとは異なる仕組みが存在する可能性があるという。
今回は基礎研究の成果として発表したものだが、研究グループでは将来的な応用可能性として、「分岐鎖脂肪酸を標的としたネコ尿臭の制御」、「腎臓の脂肪滴を手掛かりとした、生理的な脂質蓄積と病的な脂質蓄積の違いの理解」、「尿中の分岐鎖脂肪酸を利用した、希少ネコ科動物の非侵襲的な個体識別・モニタリングへの応用」の3つを挙げている。

