本田技研工業(Honda)が、SDV開発を支える新たなデータ基盤を構築している。キーワードは「お魚屋さん理論」だ。車両データの増大に対応するため、中央集権型だけではなくデータメッシュを組み合わせたハイブリッドアーキテクチャを採用し、Snowflakeを活用したモダナイゼーションを進めている。
Snowflakeが米国で開催した「Snowflake Summit 2026」で、本田技術研究所の野川忠文氏(SDV研究開発センター デジタルプラットフォーム戦略開発室 室長)、中野眞希氏(同デジタルソリューションブロック アシスタントチーフエンジニア)に話を聞いた。
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左から、本田技術研究所 中野眞希氏(デジタルソリューションブロック アシスタントチーフエンジニア)、野川忠文氏(SDV研究開発センター デジタルプラットフォーム戦略開発室 室長)、柏木直人氏(SDV研究開発センター デジタルプラットフォーム戦略開発室 DevOpsブロック アシスタントチーフエンジニア)
中央集権の限界、そして「データの民主化」へ
本田技術研究所は、Hondaの創業者・本田宗一郎氏が「技術者が技術にフォーカスし、新しい価値を生み出し続ける」ことを目的に設立した組織だ。野川氏が率いるSDV開発部門は、自動運転やナビゲーションシステム、それらを支える車両側コンピュータ(E&Eアーキテクチャ)と連携するクラウド基盤の開発を担う。近年は事業側との連携強化のため一時的に本田技研工業へ移っていたが、2026年4月、技術を軸とした価値創出をさらに推進するため、本田技術研究所へ戻った。
SDVの進化に伴い、車両から収集される走行データやセンサーデータは急速に増加している。当初Hondaは、IT部門がすべてのデータを一つのプラットフォームへ集約する中央集権型のデータ基盤を構想していた。しかし、全社からの要望が一つの部門に集中することで、データ提供や活用のスピードが追いつかなくなっていった。
「ガバナンスやセキュリティ、法規対応の観点から、集約が必要な部分ももちろんあります。ただ、そのバランスが当初の目論見どおりには取れませんでした」と野川氏は振り返る。IT部門に問題があったわけではない。世の中の変化が想定以上に速く、当初の設計思想だけでは対応しきれなくなっていたという。
そうした中で出会ったのが、Snowflakeの掲げる「データの民主化」という考え方だった。
「データが1カ所に集まると、そこがボトルネックになります。データを持っている人たちが主体的に活用し、他のドメインとも共有することで、データの価値をさらに高められる。Snowflakeは、その考え方を実現できるソリューションだと感じました」
この思想への共感が、Hondaがデータメッシュを志向するきっかけの一つになったという。
大型スーパーと鮮魚専門店、 "お魚屋さん理論" とは?
野川氏がチームで使っているという独自の比喩が「お魚屋さん理論」だ。
全社の一般ユーザー向けには、標準化された品揃えを広くカバーする大型スーパー(中央集権型プラットフォーム)が適している。一方、SDV開発のような専門性の高い領域には、特化した品ぞろえときめ細かな対応ができる鮮魚専門店(データメッシュ)の方が向いている。野川氏はこれを、出店エリアを限定しながら鮮度の高い商品を届ける地域密着型の鮮魚専門店になぞらえる。「鮮度の良いものを届けようとすると、全国展開より、エリアを絞り込んだ方がいい。それと同じで、SDVのような領域は広く浅くではなく、特化した形の方が価値を発揮する」
全社共通で利用するCRMデータやマスターデータは、Enterprise Data Platformで一元的に管理する。一方、SDV向けには車両データを迅速に活用できるSDV Data Platformを用意し、両者を併存させるハイブリッドアーキテクチャを採用した。
全社ユーザーや非エンジニアには、一貫性とガバナンスを重視した中央集権型のプラットフォームを提供する。一方、SDVのような専門領域では、ドメインエキスパートやR&Dエンジニアがデータメッシュを活用し、変化の速い車両データを柔軟に扱えるようにする考え方だ。
「物理的にデータを1カ所へ集約する必要はありません。重要なのは、どこにデータがあっても、全社から横断的に利用できる状態を実現することです」と野川氏は説明する。
ただし、この考え方を一気に全社へ広げるつもりはない。「従来の取り組みを否定することにもなりかねません。まずはSDV領域で成功事例を作り、それを足がかりに全社へ広げていきたい」と段階的な展開を目指す。
Snowflake採用の決め手──クラウドコスト50%削減も視野に
SDV領域のデータ活用基盤としてSnowflakeの採用を主導した中野氏によれば、2020年頃から保有していたデータ活用基盤を、Snowflakeへ刷新することを検討し始めたという。決め手の一つは、コンピュートとストレージが完全に分離しているアーキテクチャだ。「データ活用においては、コンピュートコストの割合が大きく、そこが最適化されているのが大きかった」と中野氏は話す。加えて、社内の非エンジニアも直感的に使えるユーザーフレンドリーなUIも高く評価したポイントだったという。
Snowflakeのセッションでは、データ利活用者のクエリ分析を実施し、ユースケースにあわせたソリューションを選定し、基盤刷新を実施することによってクラウドコストを約50%削減、さらに年間7.2人月分の運用工数を削減できる見込みであるとも明かした。既存のデータマート方式からの移行により、保守性が向上し、稼働が安定しているという。
基盤としてのSnowflake導入が進んだ今、野川氏は「やっと店舗を構えた」と現状を表現する。既存のデータ活用自体はすでに行われているが、Snowflakeの機能を最大限に生かした形での本格展開は、まさにこれからだという。
それに向けて取り組んでいることの1つが、社内向けのデータカタログ機能の整備だ。「誰が、どんなデータを持っているか」を可視化し、要件が固まりきっていない段階からでも、自分のドメインのデータと他チームのドメインのデータを組み合わせて何ができるかを探索できる、セルフサービス型の環境づくりを目指す。
「単純な要件を聞いて作る活用基盤ではなく、もっとセルフサービスで、自分の持っているデータと他のチームが持っているデータを掛け合わせながら活用できる環境を整えたい」(野川氏)
AI活用も本格化──自然言語で広がるデータ活用
同社では、AI活用を本格化している。すでにコーディングエージェントを活用しており、今後はSnowflakeのAIエージェント「CoCo(旧名称:Cortex Code)」も活用していく考えだ。あらかじめチューニングされた"スキル"を備えている点などを評価している。
分析結果をダッシュボードとして出力する「Cortex Analyst」は現在POC(概念実証)を進めている。
一方、「CoWork」は企業データへの自然言語による問い合わせや業務ツールとの連携を可能にするAIアシスタントとして、「社内でデータ活用に携わる非エンジニア層にとって特に有効だろう」と期待を寄せた。CoCoはデータエンジニアにとって非常に有益な武器だが、利活用者はそこまでデータエンジニア的なことはできない。誰でも使える自然言語でのUIが、データ活用の裾野を広げる起爆剤になる、との見方だ。
データ活用の次の一歩──AIと新たな価値創出へ
ドメインを横断してデータを掛け合わせたとき、何ができるようになるのか。Hondaにはすでにいくつかの手がかりがある。運転挙動データをもとに保険料率を算出する「UBI(Usage Based Insurance)」はその一つで、優良ドライバーには保険料の低減という恩恵が生まれる。バッテリーの劣化状態を検知して交換時期を予測したり、リコールに至る前の予兆を捉えてディーラーへの来店を促したりする活用も考えられるという。
野川氏が特に強調するのが、自動運転向けに蓄積される車外カメラやインキャビンのデータの可能性だ。こうしたデータは、現状はもっぱら自動運転自体の精度向上に使われているが、「世界中を走る車から集まる映像を見られれば、今何が起きているかが分かるようになる」と語る。
活用の進め方は、二段構えだ。UBIや位置情報活用のように、すでに要件が明確なものはそのまま実行に移す。一方で、まだ具体的な用途が見えていないものについては、例えばセールス部門の担当者が自分の持つ顧客データに加えて車両データも見られるようになれば、新しい活用法が見つかるかもしれない。そうした"まだ見えていない可能性"を発見しやすくする環境を早く整えたい、と野川氏は話す。
インフラの土台は現状AWSが中心だが、将来的には自動運転の学習サーバなど用途に応じたマルチクラウド活用も検討している。「データ活用がクラウドごとに分かれてしまうのは避けたい。マルチクラウドに対応できるデータ活用ソリューションが欲しい」と野川氏は話す。
自動車業界全体が抱える課題は、実はどのOEMも似通っているというのが野川氏の見立てだ。「新興系はレガシーがない分、思った通りに作れる。レガシーを持つOEMは、そこからどれだけ早く抜け出せるかが勝負になる」と野川氏。
基盤としての「店舗」は整った。次に必要なのは、そこにどんな価値を並べるかという議論だ。「プラットフォーム目線ではやれることがたくさん見えているが、それをビジネス側と一緒に一歩踏み出す環境が必要」と野川氏。動くデモを通じて可能性を可視化することが、社内の合意形成を早めるカギになるとみる。
Snowflakeへの期待について、野川氏は技術支援だけでなく、他業界での知見の共有を挙げる。「同じ課題を抱える他業界がどう乗り越えているか、差し支えない範囲で教えてもらえるのがありがたい。技術プラスアルファの経験値を参考にしたい」と語った。
ハイブリッドアーキテクチャという「店舗」は整った。今後はデータをどう組み合わせ、新たな価値を生み出していくかがHondaの次の挑戦となる。

