村田製作所が全社展開する社内生成AI「Murata Coworker」のユニーク利用者は、累積約3万人に達している。文書作成や要約だけでなく、資料作成や翻訳、RAGを用いたリサーチなど、村田製作所の業務に特化した機能も提供する。AWS Summit Japan 2026の講演から、同社が生成AIをどのように社内へ浸透させ、AIエージェント時代のガバナンスや認証認可をどう設計しているのかを紹介する。
AIで「社内の知」を循環、村田製作所が描くAI活用
村田製作所は、AIを業務効率化の道具としてだけでなく、新たな事業機会につながる技術として見ている。AIサーバーをはじめとする市場の拡大は電子部品需要にも直結する一方、技術の変化が速い市場で競争力を保つには、自社の業務にもAIを取り込み、変化に素早く対応できる体制を整える必要がある。
鈴木氏は、同社のDXについて、単なるデジタル化ではなく、データを業務に活かし、最終的にビジネス上の成果につなげる取り組みだと説明した。さらにAIについては、社内に蓄積された暗黙知を見える形にし、部門や業務をまたいで結び付け、次の学びにつなげるために活用しているという。
同社が意識しているのが、暗黙知と形式知を循環させる「知識創造プロセス」だ。例えば、行動や音声のデジタル化、経験者へのヒアリングにAIを活用して暗黙知を捉え、会話や議事録の要約などを通じて人の知見を体系化する。さらに、情報の探索・抽出・統合によって新たな知を見つけ、デジタルツインやパーソナライズ学習などを通じて再び人の知識へと還元していく。こうした各フェーズをAIで加速・高度化することで、知識創造のサイクルを回していく考えだ。
鈴木氏は「AIは人の業務を置き換えるものではなく、人がより本質的な業務に取り組みながら、社内の知見をより早く共有し、次の業務改善や意思決定に活かしていくことが重要」と述べた。
「攻め」と「守り」を同じ目線で進めるAIガバナンス
こうした取り組みを社内で広げるため、村田製作所は生成AIのCOE(Center of Excellence)を設けている。AIを入れるだけでは十分ではない。事業戦略やデータ理解、業務プロセスの設計、現場のマネジメントと結び付いて初めて、成果につながる。そのため同社では、技術開発やプロダクト開発と、セキュリティやガバナンスを一体で進めている。
生成AI CoEでは、全社でユースケースを棚卸しし、市場調査業務などビジネスインパクトが見込める用途を特定して基盤機能として拡充している。事例創出に向けたハッカソンも定期的に開催するほか、内製の「RAG playground」を提供して実務への適用を支援。こうしたユースケースの推進により、年間数十億円規模の効率化効果を実現しているという。
鈴木氏は「ポイントは開発と守り。推進と守り。この二つを同じ目線で、両方バランスを取って進めている」と話す。現場の動きやすさを残しながら、全社として必要な統制をどう効かせるか。そこが同社のAIガバナンスの焦点になっている。
AIエージェント向けのガバナンスガイドラインは、AWSと共同で策定した。従来のRAGを前提としたガイドラインを見直し、入力、推論プロセス、メモリ、マルチエージェント、外部ツールやデータ利用など、エージェントならではのリスクを整理した。また、リスクレベルの判定基準や、必要に応じて人が判断に介在するHITL(Human in the Loop)の実装方針も定めている。
リスク対策は、入力画面、アプリ処理、LLM、参照データ、外部ツールなど、生成AIシステムを構成するレイヤーごとに整理している。特にAIエージェントでは、LLMが外部ツールを利用する際の制御を重要なリスクの一つとして位置付けている。技術的な制御だけでなく、セキュリティチェックや関連法令・ガイドラインの確認、透明性の確保、利用者との適切な契約・合意、委託先・パートナー管理といった人・組織面の対策も組み合わせる。
3万人が使う「Murata Coworker」、PowerPoint作成にも変化
その代表例が、社内向けAIプロダクト「Murata Coworker」だ。ユーザー部門と共創しながら生成AI CoEが内製開発しており、一部拠点を除く全社に展開されている。累積利用者は約3万人、MAU(月間アクティブユーザー)は約2万人に達する。利用率も2024年7月の16%から2025年7月には52%へ上昇した。さらに、1人当たり月約3時間の工数削減という効果も出ているという。
一般的な文書作成、要約、アイデア出し、調査に加え、村田製作所向けに特化した機能を備える点が特徴だ。汎用機能ではChatGPT、Claude、Geminiなど複数の生成AIを利用できる一方、村田特化機能として、資料作成を支援する「PPT Add-on」、翻訳を行う「Translator」、社内データを活用する「RAG system連携」、調査を支援する「Researcher」、ITサービス管理を支援する「Help Desk」などを用意する。
これらを村田製作所独自のデータやシステム、基盤モデル、AIツールチェーン、生成AIガバナンスやオブザーバビリティと組み合わせ、一つの基盤上で提供している。
特に資料作成機能について鈴木氏は、リリース後、「社内におけるPowerPointのプレゼンテーションを自分で作っている人がもう激減した」とその手応えを語った。
プロダクトを作って終わりにしないことも重要だ。アイデアソンやハッカソンで社内のニーズを拾い、そこから生まれたアイデアを機能として実装し、再びユーザーに還元する。 Murata Coworkerは、単なる生成AIツールではなく、社内の知見をためて次の業務に活かすための基盤として育てられている。
AIエージェントにどこまで権限を渡す?認証認可をどう設計するか
AIエージェントの活用が進むほど、認証認可の設計が重要になる。従来のシステムではユーザーとシステム、ユーザーとデータの間で認証認可を行えばよかったが、エージェントがその間に入り、自律的にツールやデータへアクセスするようになると、どの権限を、どこまでエージェントに引き継がせるのかを慎重に設計する必要がある。
鈴木氏は「ユーザーからの入り口の部分、AIエージェントが呼ぶツール、さらにデータ、そこに適切に認証認可が引き継がれているのか、設定されているのか。ここが非常に重要」と強調した。Murata CoworkerではAmazon Verified Permissionsを使い、RBACとABACを組み合わせた細かな認可制御を進めている。 安全性の面では、Amazon BedrockとNVIDIA NeMo Guardrailsを組み合わせた「ガードレールの重ね掛け」も採用している。モデルやユースケースごとの差異を吸収しながら、検知対象やポリシーを調整しやすくする狙いだ。あわせて、エージェントの利用状況や品質、コストを把握しながら、改善につなげる仕組みも整えている。
村田製作所は2024年3月に生成AIの推進体制を構築し、これまでに全社2万2000人へのリテラシー向上研修や100件を超える生成AIのPoCなどを進めてきた。今後はAIエージェント基盤の構築や社内外システムとの連携を進め、さらにPhysical AIやデジタルツインへと展開する考えだ。目指すのは、AIによる自動化そのものではない。人が価値ある問いを立て、AIと共創しながら価値創造につなげていく姿だ。




