フジテレビは、2026年に開催された冬季国際スポーツ大会の中継制作において、Amazon Web Services(AWS)を活用した「Live Cloud Production(LCP)」を導入した。映像スイッチングや音声ミキシング、CG合成といった制作機能をクラウド上で実行することで、ネットワークコストを45%削減し、現地でのセットアップ時間も21%短縮したという。
今回の取り組みについて、フジテレビ テックアートデザイン局 回線・送信技術部 主任の河井宏允氏、テックアートデザイン局 制作技術統括部 音声の福岡優紀氏に話を聞いた。
専用線と専用機材に頼る国際中継の課題
海外で開催されるスポーツ大会の中継では、現地からの映像伝送用に国内の放送局とを結ぶ国際専用回線を手配し、映像スイッチャーや音声ミキサー、CGシステムなどの番組制作に必要な専用機材を現地へ輸送し、現地にて機材を組み上げる必要がある。
しかし近年は物価高騰や円安の影響もあり、回線費用や機材輸送費は上昇傾向にある。現地での設営作業も大きな負担となっていた。
こうした課題に対し、フジテレビが着目したのがクラウドプロダクションだった。
河井氏は、「過去の実績からもクラウドを使えば海外からでも低価格で安定した伝送が実現できる見通しは立っていました」と振り返る。
福岡氏も、「従来は大きな専用ハードウェアを現地へ持ち込み、設営していました。クラウド化できればコストや労力を削減できるのではないかと考えました」と話す。
転機となったのは2023年11月のInter BEEだった。ソニーのソフトウェアスイッチャー「M2L-X」と出会ったことで、本格的な検証が始まったという。
2024年のPoC成功後も残った課題
フジテレビは2024年のパリ大会でPoC(概念実証)を実施した。PoCでは、地上波ニュース枠でのオンエアにも成功し、クラウドを活用した制作の可能性を確認したが、本番運用に向けては多くの課題が残っていた。
河井氏は当時をこう振り返る。
「技術的にやりたかったことはすべて実現できました。ただ、その結果に満足はしておらず、実運用に落とし込むには改善が必要だと感じていました」
課題は多岐にわたった。具体的には、SRT伝送による複数映像の同期、クラウドスイッチャーとクラウドミキサー間の遅延、LiveUとの連携、バーチャル演出システムとの統合、クラウド障害への備え、ネットワーク監視やセキュリティなどである。
また、複数メーカーの製品を組み合わせる必要があったことも難しさの一つだった。
「いろいろなメーカーの機器やソフトウェアをつなぐ必要がありました。その連携にはかなり苦労しました」と福岡氏は語る。
その後、フジテレビは約1年半にわたって検証を重ねた。2025年には従来のキャリア専用線を前提としない制作体制へと踏み出す。
「完全にクラウドプロダクションに舵を切りました」と福岡氏は振り返る。
クラウドプロダクションにおける遅延の問題や運用面での懸念は残っていたものの、ソフトウェアのバージョンアップによる改善や、制作側が求めるバーチャル演出との連携が実現できる見通しが立ったことも後押しとなった。
24日間の本番運用でクラウドプロダクションを実証
2026年のミラノ大会では、AWSのフランクフルトリージョン上に制作環境を構築した。
ミラノの国際放送センター(IBC)から送られた映像はSRTでAWSへ伝送され、クラウド上でソニーのM2L-Xによる映像スイッチング、Waves Cloud MX Audio Mixerによる音声ミキシング、Vizrt Viz EngineによるCG合成を実施した。完成した番組映像はAWS Direct Connect経由でフジテレビ本社へ送られ、地上波放送に利用された。AWS Direct Connectによりラストワンマイルを管理できる点も大きなメリットだったという。
一方で、生放送をクラウド上で実施することへの不安もあった。
河井氏は、「クラウドを使うことに不安を持つ人もいました。そのため、冗長構成やバックアップ経路を丁寧に説明しました」と話す。
フジテレビはフランクフルトリージョンを中心に運用しながら、パリリージョン経由のバックアップパスも用意。現地には最小限のオンプレミス機器を配置し、ハイブリッド構成を採用した。
また、東京側ではAmazon CloudWatchなどを活用してストリームやネットワークの状態を監視した。
「現地ですべてを見る必要がなくなりました。東京側で集中監視できるため、現地スタッフは制作に専念できました」と河井氏は説明する。
結果として、大会期間中の24日間、システムは安定稼働を継続。一度もバックアップ用のオンプレミス環境へ切り替えることなく運用を完遂した。
福岡氏は、「開催地が分散していたうえ、通信環境にも不安がありましたが、大きなトラブルなく運用できました」と振り返る。
遅延1.7秒、ネットワークコスト45%削減を実現
クラウドプロダクション導入の効果は数字にも表れた。
まず、制作現場が重視する遅延は、エンド・ツー・エンドで約1.7秒まで抑制することに成功した。
福岡氏は、「制作側は遅延を非常に気にします。チューニングには苦労しましたが、最終的には許容範囲まで短縮できました」と振り返る。
さらに、ネットワークコストは従来比で45%削減。現地でのセットアップ時間も21%削減した。
福岡氏は、「もっと削減できる可能性があると思っています。国際大会以外でも十分活用できる手応えを感じています」と話す。
また、機材量も大幅に削減されたことで、現地スタッフの負担軽減にもつながったという。
「これで終わらせてはいけない」 クラウドプロダクションの次なる挑戦
今回の取り組みは、フジテレビにとって単発の実証実験ではない。
河井氏は、「社内でも一定の評価と理解を得られたので、これで終わらせてはいけないと思っています。他の現場でも使っていきたい」と今後への意欲を語る。
将来的には国際スポーツ大会だけでなく、国内のスポーツ中継やレギュラー番組への展開も視野に入れている。
福岡氏は、「リモートで作業できる世界を目指したい。技術的には家やカフェから制作に参加できる可能性もあります」と展望を語った。
もっとも、その実現に向けては課題も残る。
その1つがセキュリティだ。河井氏は「従来の放送システムはスタジオ内のあらゆる機器と接続できるようにすることを前提として設計されていた。これに対し、クラウドプロダクションでは、必要最低限のアクセスのみオープンにし、不要なアクセスはシャットアウトする、という考え方が必要になる」と話す。
また、ソフトウェアライセンスの在り方も課題だ。クラウドは必要なときだけ利用できる一方、制作ソフトウェアの契約形態は必ずしもそれに最適化されていない。より柔軟なライセンス体系が実現すれば、国内番組でもクラウドプロダクションを活用しやすくなるという。
専用回線と専用ハードウェアを前提としてきた放送業界において、フジテレビの取り組みは新たな制作スタイルの可能性を示したと言えそうだ。





